第407話 これは……よほど注意が必要ですね。

 翌日。マルチェルは商会所有の馬車でギルモア家本領を目指した。

 秘蔵の短剣を譲り受けるためである。


 マルチェルが短剣を持ち帰るまでの間、ステファノはネルソン邸の魔道具化を推し進めた。


 魔洗具や魔掃除具、魔冷蔵庫の実装はあっけないほど簡単だった。魔法の強度や持続時間を実物に合わせて調整するだけであった。


 難しかったのは魔動車だ。


 土台としたのは古くなった荷馬車であり、蛇輪や加減速レバーを後づけしたものだった。

 車としての挙動を一から調ととのえなければならなかった。


 曲がりすぎても走りすぎても、車は凶器になる。実際に試運転をしてみて、ステファノはそれを実感した。


「これは……よほど注意が必要ですね」


 ステファノは試運転を見守っていたヨシズミに語りかけた。


「わかるケ? こんなもンがびゅんびゅん走り回ってたら、危ねェなんてもンじゃすまねェベ」

「スピードはあまり出せない方が良さそうです」


 最高速度をあえて抑える。利便性よりも安全性を優先するために、2人は魔動車の性能を意図的に落とすことにした。


「今はこの1台だから良いですが、魔動車がたくさん走り回るようになったらあちこちで事故が起きそうです」

「通行の規則作りや交差点での通行整理、駐車場の整備なんかが必要だッペナ」


 ヨシズミの目には道を埋め尽くす自動車の列が見えている。事故現場に残されたタイヤの跡が見えている。

 ガードレールに捧げられた、萎れた花束が見えていた。


「世の中の仕組みを作るのは魔法師の仕事ではねェ。ウチで言ったら旦那サンだッペ」

「師匠ならともかく俺にはまったく検討がつきませんし」

「余計な口は出したくねェが、オレのいた世界では車が多すぎたッペ。事故も多くて、人がウンと死んでたンダ」


 魔法が普及してから交通事故の被害は減った。


 人々はイドの外殻をまとい、不意の事故から身を護った。

 魔法で跳躍移動できるようになり、個人で自動車を使用する機会も激減した。


「便利なことはイイことだが、命を懸けてまで急ぐ必要はねェ。魔動車の普及は程々でイかッペ」

「はい。魔動車は他の魔道具と違って命の危険があります。むやみに作らぬよう注意します」


 ステファノにしてみれば、元々荷物を楽に運ぶために工夫した魔道具だった。自分が乗って走り回ろうと考えたわけではない。


 せめてもの安全策として、ステファノは魔動車の術式に1つの工夫を取り入れた。


「人や障害物に近づいたら自動で停止するッテ?」

「はい。街中を走るには不便でしょうが、安全には代えられないかなと」

「……。そうだナ。街ン中ではゆっくり行けば済むこッタ」


 でき上がった魔動車は「馬の要らない馬車」というよりは「牛の要らない牛車」に近かった。

 だが、ヨシズミはそれで良いと思った。


「ステファノらしい良い車ができたッペ」


 ヨシズミの言葉は、冷やかしでもお世辞でもなかった。


 ◆◆◆


 その変化はまずドイルに訪れた。


 明かりをつけようと魔灯具に手を触れると、魔法の光が灯る前に何か別の光が渦巻いて見えた。


「うん? 何だ、今のは?」


 思わず自分の目をこすったドイルは、魔灯具を見つめ直した。


(もう一度やってみるか)


 ドイルは明かりを消し、もう一度改めて魔灯具に触れてみた。


 やはり同じだ。光が点灯する前に、一瞬紫の光が渦巻いた。


(これが「光属性の魔力」という奴だろうか?)


 実験と検証は科学の基礎である。ドイルは魔灯具点灯の操作を何度も繰り返し、光属性の魔力を自らの目で観測した。


 光属性魔力、すなわち「陰気」に集中していると、それが出現する前に働いている存在に気がついた。


魔核マジコアなのか、これが?)


 魔灯具に納められた鉄粉。その中で魔核はうごめいていた。


(魔核に集中。細部を見ろ)


 イデア界には距離も時間もない。すなわち大きさに意味はない。小さな鉄粉の内部にも宇宙が存在する。

 内は外となり、外は内となる。


 陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。


「天上天下唯我独尊!」


 ドイルはギフト「並列処理」を発動した。10の視点から魔核を観察し、解析する。


(現実界でのイドンは擬似物質として存在し、ID波により伝播する)


 それは振動し、不可視の光を発しているはずであった。


魔視脳まじのうが覚醒している今、僕はそれを紫色の光として知覚している)


 つまり陰気を発する元をたどればイドンが観えるはずであった。


 並列処理の多重視点は時の流れを切り刻み、意識の焦点を深く浸透させる。

 ドイルの意識は魔灯具の魔核に入り込み、内なる宇宙を観た。


(星空……。星に観えるのがイドンか?)


 瞬時にドイルは星の1つへと移動する。星は紫のもやをまとい、ゆらゆらと揺らしていた。


(水中の玉藻のようだな)


 ドイルは意識の手を伸ばし、慎重に紫の靄に触れてみる。


(光あれ!)


 その意志が籠められていた。その意志こそが靄を生み、動かす元であった。

 同時に「光」に籠められた太陽光の概念。それをインデックスとして宣言に刻み込んであった。


(観えたぞ! イドンを震わせる「アポロンの竪琴」!)


 ドイルの意識は急速に逆行し、現実の視点に戻った。

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