第395話 荷物を運ぶだけなら空の上に上がるのは無駄な動きですね。

「そうですね。そういう部分が俺には判断しかねます。先生たちの知恵で適切な行動をアドバイスしてください」

「任せたまえ。我々には科学者もいれば、戦略家もいる。こういうことを判断するには最適なメンバーだろう」


 研究開発において少なからずマッドな性癖を持つドイルであったが、開発品のリリースについて無謀な考えを持っているわけではない。

 むしろ世の中へのリリースには興味がない。そういうことは商売人なり為政者が良きに取り計らってくれれば良いという考えであった。


 宇宙の真理を知ること。その真理を自らの手で具現化すること。

 ドイルの興味はそこに尽きた。


「師匠、魔術で荷車を浮かせるのはやはり難しいですか?」

「できなくはないが、常時微調整が必要だノ」


 重力の影響を正確に打ち消さなければ、荷車は上昇か下降のどちらかの動きを取る。

 重力の大きさは地表の条件によって変化するので、水平飛行を続けさせたいなら魔術による重力改変効果を常に調整する必要があるのだ。


「十分な高度を飛行するというなら別段気にする必要はないがね」

「荷物を運ぶだけなら空の上に上がるのは無駄な動きですね」


 現代の航空貨物が事業として成り立っているのは、そのスピードと航続距離のおかげである。

 魔術的にジェット機の飛行速度を再現することはできるだろうが、操縦者の訓練は人間が時間をかけて行う必要があった。


「当面は自動車とやらの魔道具化で十分だな」


 ネルソンはそう言ってドイルの顔をうかがった。


「そう言うだろうと思ったよ。僕は構わない。高い所は嫌いだからね」


「嫌い」というより実際は「怖い」といった方が正しい。ドイルは高所恐怖症だった。


「家の中の移動だったらどうです? 階段の代わりに床か、部屋全体を上下させたら?」

昇降機エレベーターだな」


 ステファノの提案にヨシズミが異世界での呼び名をコメントした。


「そいつは随分横着な発明だね。2階に行くのに機械を使うとは」

「脚の弱い年寄りもいッペ。それに、『2階』とは限らねェ」


 ドイルの冷やかしにヨシズミが反論した。


「ほう? たとえば?」

「4、50階建ての建物はことさら珍しくなかったッペ」

「……。そりゃあ昇降機が必要になるわけだ」


 それだけの高さを想像しただけで、ドイルはげんなりとした顔になった。


「発明品のタネとして『魔動車マジモービル』、『魔飛行機マジプレーン』、『魔昇降機マジエレベーター』が見込めるということだな」


 議論を引き取ってネルソンがまとめた。


「魔飛行機に関しては、くれぐれも慎重にナ。高高度空間の状況は地上とはまるで違うッペ。飛行機が飛べても人の体に何が起きるかわかんねェ」

「ああ、なるほど。山に登っただけで空気が薄くなり気温が下がりますからね。雲より上となったら、呼吸もままならないのでしょう」


 飛行機の発達とともに与圧服や防寒装置も発達してきた。それらの備えなしに高高度に挑めば、太陽に翼を焼かれたイカロスのように地に落とされることになるだろう。


「すぐに手がつけられるのは魔動車か。古くなった荷馬車を土台にすれば良かろう。マルチェル、ジョナサンに話を通してやりなさい」

「かしこまりました、旦那様」


 ネルソンは邸内の荷車を魔道具化する許可を、ステファノに与えた。


「進む、さがる、止まるの動きは問題なく付与できッペ。左右に曲がる仕掛けは馬車にはねェから工夫がいンな」


 車輪の回転数を左右で変えれば操舵機能がなくても曲がることはできる。戦車の方向転換と同じ方法である。

 

「どう動くか、指示を出す仕掛けが必要だナ」

「ふむ、ふむ。船の舵に当たるものだね?」

「そういうこッタ。舵輪のような仕掛けでもイかッペ」


 機械仕掛けにつなげる必要はない、「右に曲がる」、「左に曲がる」という度合が舵輪の回転量などで読み取れればそれで良い。

 検知、解釈、行動は術式に籠めた化身アバターに任せる。


「旦那様、ヨシズミ師匠、ありがとうございます。焦らず、一つ一つ試していきます」

 

 今回の荷馬車は魔動車用に製作されたものではない。操舵装置を含め、魔動車に適した構造を取り入れて「新車」を作れば、より性能の高いものとなるであろう。

 それは今後の課題であり、楽しみでもあった。


 ◆◆◆


 カリカリと紙の上をペンが走る。


 ステファノは夕食後の自室で、ノートに記録を書き込んでいた。内容はもちろん今日語り合い、練り上げた魔道具の術式や、構造のスケッチである。


(ドイル先生は論理の力で魔道具の可能性を示唆してくれる。ヨシズミ師匠は異世界の科学がどんな応用をされていたか、技術の可能性を示してくれる。旦那様は広い目で俯瞰し、戦略眼で状況を分析してくださる)


 三者三様、ステファノにとって誰もが得難い師であり味方であった。


(マルチェルさんは……陰の力だ)


 マルチェルは他の人間がいるところで前に出ることが少ない。自分の仕事はあくまでも裏方だと割り切っていた。

 言葉は少ないが、いつも必要な時に支えてくれる。絶対的な安心感を与える存在であった。


(俺は本当に恵まれている)


 4人の優れた師。ステファノは彼らを大切にし、その高みに少しでも近づきたいと思っていた。


(俺の強みは……化身アバターだ。虹の王ナーガの自律化に努力を集中しよう)


 世界との仲介者である虹の王ナーガこそが、自分の未来を切り開く鍵になるとステファノは信じていた。

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