第393話 『可もなく不可もなし』ですか、旦那様?
「いかにもドイルだな。お前は
「そんなことだと? 君は無知蒙昧の徒かね、ネルソン? 世界を統べる法則を捕まえて、そんなことだと?」
「わかった、わかった。一般有意性理論とやらいうご高説は、またの機会に伺おうじゃないか。できればその利用方法も添えてな?」
ドイルはなおも「利用法など枝葉に過ぎない」などとぶつくさ言っていたが、ネルソンが代わって自分の身に起きたことを報告し始めた。
「私はアカデミー卒業以来の業績を、改めて『テミスの秤』で評価してみた。『誰もが望みを口にすることができる世界の実現』という目標を片方の秤に載せてな」
「旦那様、結果はいかがでしたか?」
マルチェルの声にはネルソンを案ずる心がにじみ出ていた。
「うん。『可もなく不可もなし』、そんな結果が多かったよ。否定的な評価でなかっただけ、良かったと言うべきだろう」
「『可もなく不可もなし』……。『可もなく不可もなし』ですか、旦那様?」
マルチェルの声には不服の意が籠っていた。ネルソンが捧げた人生が「可もなく不可もなし」とはどういうことかと。
「マルチェル、物事には裏と表があるということだ。たとえば抗菌剤の開発。あれは国民の生存率を改善するはずの発明だった。しかし、現実には軍部に独占され戦争を有利に運ぶ軍事技術として利用されている。私の目的に寄与したかと問われれば、『今のところ目立った寄与はない』と言うしかない」
そう言われると、マルチェルには返す言葉がなかった。
「だが、捨てた物でもない。環境が変わって自由化されれば、国民の生存率を改善する効果はしっかり果たされるだろう。そうなれば私の目的に大きな貢献をするはずだ」
世界を相手に価値を測る新しい評価能力なら、そこまで俯瞰して価値評価ができる。
「つまり、抗菌剤の自由化に取り組む今の努力は正しいということを示している」
ネルソンの言葉は力強かった。
「そして、もっとも評価の高い仕事は『ウニベルシタスの開設』であった」
「おお!」
「うむ。私は3か月後に商会の経営を息子に譲り、ウニベルシタス事業に専念することを決めた」
「それは思い切りなさいましたな」
王国随一の薬種問屋である。その家督を譲るのは軽い話ではなかった。
「そう難しい話でもない。私の仕事が終わったというだけの話だ」
「はは。たしかにもう若くはないな」
「お前は年長者に対する敬いをもう一度勉強すべきです、ドイル」
「おや、もっと老人をいたわれということかい、マルチェル?」
にこやかな表情でやり取りするマルチェルであったが、そばに座っているステファノにはひりひりとした空気が伝わってくる。
「そうですね。こちらがいたわってあげても良いですよ。組手に混ざってみませんか?」
「遠慮するよ。野蛮なことは僕には向いていないからね。ああいうものは頭の良くな――」
「えへん! 師匠! ヨシズミ師匠には何か変化がありましたか?」
そのまま行ったら雷が落ちそうな気配を察して、ステファノは無理やりに話題を変えた。
「うん? オレけ? おめェも知ってるように魔術付与の練習中だッペ。だんだんと成功率が上がってきたトコだナ」
急に話を振られたヨシズミだが、ステファノの目配せを受けて話を合わせた。
「ふうん。興味深い結果だね。飯屋流の魔術付与術がステファノ固有のものではなく、他人にも再現可能だと証明できたわけだ」
「先生が言う『一般有意性理論』にも合致する現象が見られました」
ステファノはドイルの興味を引きそうな情報を提示した。
「物質化していない状態のイドは、それをまとう物体固有の周波数で振動していることがわかりました」
「飯屋流魔術付与では術者のイドの振動数を物体の固有周波数に同調させる。これにより2つの性質が異なるいイドを一体化させンだッペ」
「面白いね。
ステファノの思惑通り、ドイルの関心はヨシズミの報告内容に向けられた。
「波動であるならば空間を伝播させることができるはずだ。そういう利用法も考えられるね」
「イドの波ですか?」
「そうさ。『
ID波。それは魔力が空間を伝播する可能性を示唆する概念であった。
ステファノが志向する遠距離魔術も、あるいはID波を制御することによって可能となるのかもしれない。
流れが変わったのを良いことに、ステファノは自分の報告を続けることにした。
「俺の方はヨシズミ師匠にアドバイスをもらいながら、『魔冷蔵庫』、『送風魔具』、『魔洗具』、『魔掃除具』の術式を開発しました」
「魔洗具ッてのが洗濯用の魔道具ケ? 魔掃除具の話はしなかったと思ったッケ?」
「魔洗具の術式を煮詰めていたら、分離した汚れを集めて固める方式を考えついたんです。そうしたら床掃除にも使えるなと思いまして」
「おめェ、そんなついでみてェに魔道具を作るって……」
魔道具作りの精妙さを実感したばかりのヨシズミである。いくらステファノの自由自在さを知っているとはいえ、呆れざるを得なかった。
「ははは。自重がないな、ステファノ。いや、結構だ」
「お前は少し黙っていろ、ドイル。ステファノが道を誤ってはいかん」
ネルソンは常識人であることを忘れなかった。
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