第380話 順番としては僕から試すべきだろうね。

 次の日、ネルソン、マルチェル、ドイル、ヨシズミ、ステファノの5人が書斎に集まっていた。


「順番としては僕から試すべきだろうね」


 そう言ったのはドイルであった。

 5人が囲むコーヒーテーブルの上には、太陰鏡ルナスコープが置かれている。


 外見はただの粗末な鉢巻である。


「ヨシズミが大丈夫だと言ってくれてはいるが、万一ということがある。被験者の脳に障害が生まれて暴れ出した場合のことを考えると、マルチェルから始めるわけにはいかないよ」


 超絶的な格闘術を身につけたマルチェルが暴走すれば、その場にいる全員が命を落とすかもしれない。


「ならば私が最初でも良いのではないか?」


 ネルソンに武術の心得はない。攻撃力に関して言えば、ごく普通の大人であった。


「君は代えが利かないだろう。君が倒れれば、ネルソン商会もウニベルシタスも、そして復興ルネッサンスも終わる。……抗菌剤も何もかもな」

「……」


 ネルソンはギルモア侯爵家の直系にして、類まれな薬学者。そしてギフト「テミスの秤」の持ち主でもある。

 その特異な属性が一連の難事業を可能にする鍵であった。


 ネルソンの代わりを務められる人間は存在しなかった。


「その点僕はただの天才・・・・・にすぎない。優秀な人間を20人も集めればある程度穴埋めできるだろう」

「お前は威張っているのか、謙遜しているのか、わからんな」

「随分謙遜しているぞ。穴埋めは100人でも足りないと思うが、控えめに20人と言ったんだから」


 議論の結果、太陰鏡の使用はドイル→マルチェル→ネルソンの順に1度ずつ順番で行うことにした。


「魔法円が額の中心に来るように縛ってください」


 製作者のステファノが、太極鏡の使い方をドイルに説明した。言われた通り、ドイルは太陰鏡を装着した。


「では、椅子に深く腰掛けてリラックスしてください。そうです。目を閉じて、深く息をして」


 ドイルの正面に座ったステファノは太陰鏡に右手をかざした。


「我ステファノの名において命ずる。虹の王ナーガよ、陰気を以て心の闇を払え。太陰鏡ルナスコープ発動!」


 ドイルは瞼の裏にまぶしい紫色の光を感じた。同時に、ひんやりとした氷の杭のようなものが額から挿し込まれる。

 痛みはない。不快な感覚でもなかった。


 存在を知らなかった体の器官を、突然見つけたような不思議な気持であった。存在に気づいていなくとも、それは確かに自分のものである。


 魔視脳への刺激に誘われたのであろうか。ドイルは無意識のうちにギフト「タイムスライシング」を発動していた。

 10人のドイルが太陰鏡の効果を同時に分析する。


 そのすべてを上から見下ろす自分がいた。


 ◆◆◆


「何分経った?」


 目を開けて、ドイルが初めて発した言葉はそれだった。


「5分だ」


 ネルソンが短く答える。その間にもドイルの脈を取り、瞳孔の開きを確かめる。


「体に異常はないようだな。気分はどうだ?」

「爽やかな目覚めと言いたいところだが、何も変わらんね。頭痛はなし。かといって、感覚が鋭敏化した部分もない」

「至って普通ということか」


 ネルソンと入れ替わりに、ヨシズミがドイルの額に手をかざす。


「陰気が魔視脳に集まってッペ。オレやステファノに比べッと、まだ密度が薄いナ。全身の陽気にもムラがある」

「太陰鏡の効果は表れていますが、魔視脳の開放までには至っていないようですね」


 ヨシズミの分析にステファノが同意した。


「後1、2回繰り返せば完全覚醒に至りそうです」

「そうなればドイルも魔術が使えるようになるのですか?」


 ステファノの予測を聞いて、マルチェルが疑問を述べた。


「本人が望むかどうかは怪しいですが」

「何を言う、マルチェル? 望むに決まっているじゃないか。僕の魔術師嫌いと、魔力制御能力を得たいかどうかとは全く別の話だよ」

「おや? 魔術など自然法則に背く邪法だと否定するのでは?」


 マルチェルは魔術師を毛嫌いするドイルが魔術行使する姿を想像できない。

 科学さえあればそんなものは必要ないと言う声を聞きなれていた。


「マルチェル、ウニベルシタスで教えるのは『魔法』だよ? 混同してもらっては困る。僕が望むのは飯屋流魔法体系の修得さ」

「なるほど。『科学と魔法の融合』ですね。お前が望むものは」


 そこにこそ万能科学者としてドイルの居場所があり、まだ見ぬ知の世界が広がっていた。


「言うまでもない。世界が僕を待っているのだ。僕がやるしかないではないか」


 ドイルは傲然と顔を上げた。


「やれやれ、ぶれない男だ。それはそうと、施術中・・・何か感じたかね?」


 医学者としての関心からネルソンは太陰鏡を体験したドイルに感想を求めた。


「先ず紫の光を感じた。目を閉じても見えるんだ。それから、氷の杭。冷たい何かが額から入り込んでくる感じ」

「苦痛はなかったのだな?」

「一切なかった」


 ドイルはステファノに顔を向けた。


「冷たい何かとは、太陰鏡の冷却機能の影響だろうか?」

「恐らくそうではないかと。陰気そのものに冷感は伴っていないので」


 ネルソンは再びドイルに向き直った。


「他に感じたことはあるかね?」

「ギフトが進化したよ」

「何だと?」


 ドイルは施術中に体験した「ギフトを俯瞰する自分」のことを告げた。


「今まで、その視点はなかったわけか」

「なかった。僕自身が同時に10個の思考を進行させていた。伝えるのは難しいが、頭の中が10個に分割されているような状態だった」

「ふうん。『俯瞰する自分』がいると、ギフトの働きはどう変わるんだ?」


 核心的な質問をネルソンは尋ねた。


 ドイルはにやりとほくそ笑んだ。

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