第285話 ステファノ、風を操る。

「壊れているんですか?」

「そういうことだ。修理に出すはずだったんだが、レイチェルめ、忘れやがったな?」


 マードックは忌々しそうに魔風器を振り回した。


「うん? もう一度見せてもらっても良いですか?」

「構わねえが、動かないぜ」


 魔風器を受け取ったステファノは、イドの眼でそれを観直した。

 先ほど、マードックが振り回した時、壊れているはずの魔風器にかすかな魔力の動きが観えたのだ。

 

 魔風器は、棒状の取手の先に中空の輪をくっつけた形をしている。この輪から風が吹き出すのだとマードックが教えてくれた。輪の内側には矢印が描かれていて、風向きを示している。


(確かに風属性の魔力が籠められている。所有者宣言がされていないから、魔力を借りる・・・ことはできるな)


 ステファノは魔風器のトリガーを無視し、発動部分の術式に自分が所有者であるという宣言を上書きした。


(ステファノの名において、発動せよ!)


「うおっ! 風が起きやがった!」


 音もなく魔風器の輪から風が吹き出し、それを顔に受けたマードックがのけ反った。


「直ったのか、そいつ?」

「いえ、たまたま動いたようです」


 ステファノは宣言を取り消して、魔風器を止めた。トリガー部分の理屈もわかったので、おそらく直せるだろうが、下手に手を出さない方が良いとステファノは思った。


(魔道具修理ができるなんて知られたら、面倒なことになるだろう)


「魔道具って、こういう『ちょっと便利な道具』みたいなものが多いんでしょうか?」

「そうだな。大概はこの程度のものじゃないか? 火を噴く剣みたいなものもあるらしいがよ」


 マードックは皮肉な笑みを浮かべた。


「火なんぞ出さなくたって、剣で斬られりゃ死んじまうからな。魔剣だの、魔防具って奴は見掛け倒しらしいぜ」


 言われてみればその通りだ。すべてがそうではないだろうが、魔道具というのは案外武器には向いていないのかもしれない。


(籠める魔術次第だろうけど……)


 雷魔術の「ち縄」を杖にでも籠めておけば、護身用に最適だろう。


「ありがとうございました。参考になりました」


 ステファノはマードックに礼を述べた。


「おうよ。また何かあったら言ってきな」


 同じ平民のステファノに親近感を覚えたのか、マードックは気さくにそう言ってくれた。


 ◆◆◆


「今日は隠形五遁を練習させてください」

「随分気に入ったようだな? 霧隠れの他にも物になりそうな術があるか?」


 ドリーの試射場で、ステファノは攻撃術ではなく、遁走術を練習しようとしていた。


「そもそも攻撃魔術は自分向きじゃありません。遁術の方が性に合っているし、役に立ちそうです」


 マリアンヌが聞けば「何を腑抜けたことを」と呆れそうな言葉だが、ステファノは本心で言っていた。


「火遁、金遁、土遁はちょっと危険なので、まずは木遁木の葉隠れを試してみます」

「この間の仮説では、風魔術で再現するのだったな」

「はい。霧隱れと同様に目くらましの術なので、危険はないと思います」


 要するに風を起こして木の葉を飛ばすだけである。攻撃力はまったくない。


「規模にもよるが、初級の上くらいの魔術か?」

「そうですね。中から上というところですね」


 ドリーの問いをステファノは肯定した。


「良かろう。試すのは構わんが、ここは森ではない。木はないぞ」


 当然、枝から落ちた枯葉もない。風魔術で何を飛ばそうというのか?


「乾いた地面であれば土煙を飛ばすことができます。ここではそれもできないので、これ・・を飛ばします」


 ステファノが取り出したのは、1枚の紙片であった。それをドリーの目の前で細かく裂いていく。


「紙吹雪という奴か……」

「そうです。あくまでも原理を再現するだけですので」


 細かく紙吹雪を作り終わると、ステファノはドリーに標的の調整を頼んだ。


「標的までの距離は5メートルでお願いします」

「わかった」


 逃げるための術である。敵は近くにいる・・・・・ことが前提であった。

 敵が遠くにいるのなら、走って逃げれば良いのだ。


「5番、木遁木の葉隠れ。用意良ければ撃て」


 ステファノの構えができているのを見て、ドリーが発動を許可した。


 ステファノは紙吹雪を握り込んだ拳を口に当て、強く息を吹き込んだ。


 しっ!


 鋭い擦過音と共に、白い吹雪が標的に向かって飛んだ。ステファノが放った風をまとって、紙吹雪が標的の頭部を襲う。


「おお! そう来るか!」


 成り行きを見守っていたドリーが思わず声を上げた。


 標的に届いた紙吹雪は頭の周りを取り巻いて乱舞していた。人であれば視界がふさがれているだろう。


けつ!」


 ステファノが命じると、紙吹雪は意思ある者のように標的の顔面に貼りついた。完全な目隠しであり、目、口、鼻を塞ぐ妨害手段であった。


「検分するぞ」


 ドリーはそう言うと、標的を引き寄せた。細かい紙片が標的の顔面にぴたりと吸いついている。

 試みに1枚を摘まみ取ってみた。剥がす時に吸い込まれるような抵抗がある。


 指を放すと紙片はひらひらと舞い、また標的の顔面に貼りついた。


「お前の術は地味だがしつこいものが多いな」

「本人の性格でしょうか?」

「自分で言うか? ふふふ」


 ドリーは真顔になると、短杖ワンドを引き抜いて標的に向けた。


「試すぞ? 散れ!」


 ドリーがぶつけた陰気を受けて、紙片は標的から飛び散った。


「なるほど。実害のない嫌がらせか? 数秒の足止めには十分だな」


 その数秒があれば、追っ手を引き離せる。


「確かに遁術成功だ。もっとも、やる気であれば殺しのためにも使えるがな」


 相手の目をふさいでおいて斬りつける、矢を射かける。そういう使い方もできるということだ。

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