第268話 未来は1つに定まっていない。

 ステファノは30メートルの距離を隔てて標的と向き合っていた。

 あえてその距離にしたのは、肉眼に頼らぬよう自分を追い込むためであった。


 魔視脳まじのうによるイドの認識「魔視」でもギリギリの距離である。


 標的に「場所」を重ねて指定しようと術式を構成しても、発動できる形に維持できない。砂山の上に鉄の玉を置くようにぐずぐずと土台が崩れてしまう。


「対象」としての自己同一性は認識できているので、イドを飛ばして当てることはできる。

 しかし、「場所」としての特定ができない。


(とにかくイドを良く見よう)


 ステファノは長期戦になる覚悟で、標的の認識から始めることにした。


「いろはにほへと~ ちりぬるを~」


 誦文を唱える。


 ここにはドリーしかいない。隠すことなくギフト本来の使い方で、力を呼び出す。


「わかよたれそ~ えつねならむ~」


 心を無にしていろは歌を唱えた。何が起きるかはステファノにもわからない。

 ただ標的をイデアとして捉えたいと願った。


 イドの輝きは見えている。始原の赤に薄っすらと包まれた標的はところどころに終焉の紫をにじませている。


(あれは、撃たれて弱くなった部分か……)


 誦文を続けながら、ステファノは観察する。


(現在の姿は「来し方」の結果だ。過去の到達点に「今」がある。それに対して「未来」は未だ存在しない)


 誦文と、観相と、思索とをステファノは続ける。


(可能性として「未来」を観る。終焉の紫は破綻の可能性だ。紫の光は「可能性」を示しているはずだ)


 可能性であるがゆえに、光はもやもやと揺らいでいる。未来は1つに定まっていない。

 無数の可能性が奥行きとなって重なっている。それが揺らぎの正体であった。


(揺らぎのすべてを認識するのは不可能だ。人の脳は「無限」を相手にはできない。未来を1つにまとめることはできないのか?)


 誦文を繰り返しながらステファノは未来の可視化に取り組んだ。しかし、未来には手ごたえがない。掴もうとするとするりと手の中から抜けてしまう。


(だめだ! やはりまとめては認識できない。うん? いや待てよ。「現在」は認識できているが、そもそも「過去」はどうなんだ?)


 今まで「過去」を観ようとしたことはなかった。「現在」を見れば事が足りたからだ。だが、「未来」を観るために、まず「過去」を観てみよう。ステファノはそう考えた。


「いろはにほへと~ ちりぬるを~」


 ステファノは標的の過去に魔視を向けた。すると、途端に標的の像がぼやけてしまった。始原の赤がにじむ。


(過去も1つではない? どういうことだ。過去は現在の連なりであるはずだ。決まった過去から現在が発生しているはずじゃないか)


 しかし、魔視に映る「過去」は1つではない。あたかも無数の可能性の中から1つの「現在」が選ばれているように。

 無数の過去が「現在」という1点に収れんし、また無数の未来へと枝分かれしてゆく。砂時計の形のように時空はくびれている。


(無数の過去からたった1つの現実が選ばれ、無数の未来から現実となるのもたった1つだ。その1つを探し出せというのか?)


 未来がまだ決定されていない以上、現在から未来を選ぶ根拠などない。どんなに「ありそうな未来」でも「あり得そうもない未来」に覆い隠されることもある。


(どうやって選べというのか? いや、選んだらどうなるんだ?)


 わからないなら、やってみるしかない。ステファノはわら束から1本のわらを引き抜くように、1つの未来を選び取った。


 すると、1筋の糸が現在へとつながり、枝分かれした過去へと光が連鎖した。


(むっ? つかめた!)


「ドリーさん! 火魔術の許可を!」


 ステファノは振り向きもせず、ドリーに叫んだ。


「5番、火魔術。発射を許可する!」

「我が命に従いて標的を燃やせ。火球!」


 その瞬間、30メートル先に炎が出現して標的を中心に燃え上がった。


「なっ? 火球だと?」


 火はすぐに燃え尽きた。危険がないと見て取ったドリーは標的を検分するために引き寄せる。


「うむ。威力、発動、命中精度を合わせて7点というところだな」

「それなら丁度良い範囲に収まっていますね」


 マリアンヌ学科長に披露した「内輪の実力」に沿っていると判断して、ステファノは安心の声を漏らした。


「馬鹿を言え。距離が違う。あれは10メートルの話だ。こっちは30メートルだぞ!」

「点数が上がるっていうことですか?」

「上がるも何も、お前……」


 ドリーは肩を落とした。


「こんなもの本当は採点対象外だ。威力と狙いはポイントを3倍して評価すべきだからな」

「それでは10点満点を超えてしまいますね」


 やり過ぎだったかと、ステファノは頭をかいた。


「つまり、今のは既に上級魔術クラスだ」

「えっ? ただの火球なのに?」

「どこが火球だ、馬鹿者!」


 ドリーは標的を指さした。


「30メートル先に突然炎が現れた。完全に『遠隔魔術』じゃないか! そんな火球がどこにある?」

「ええー、同じつもりで撃ったんですが……」


 ドリーはステファノを怒鳴りつけようと息を吸い込んだが、その顔を見て拍子抜けした。


「はあー。お前なあ、非常識にも程度があるだろう? 火球とは炎を飛ばすものだというのがわからないか?」

「それより狙った場所に出現させた方が手っ取り早いと思って」

「て、手っ取り早い……。思ったって……。そんな思いつきであんなことができるかあ!」


 ドリーは頭をかきむしった。


「お前と話すとおかしくなる。とにかく座って説明しろ」


 ステファノは自分に「過去」、「現在」そして「未来」がどう見えたかを説明した。

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