第267話 水曜日は体を解放し、心を解放し、そして魔力を解放する日であった。

 この日のミョウシンは落ちついていた。昨日ステファノが教えた瞑想法は時間があるたびに繰り返している。

 といって、すぐに身につくものでもない。効果が表れるのがいつの日であるかは、誰にもわからない。


 しかし、ミョウシンに焦りはなかった。

 ミョウシンは知っていた。


(イドは確かに、そこにある)


 自分はそれを見つけるだけで良いのだ。どれほど長い道であろうと、この道は必ず目的地につながっている。

 何を焦る必要があろうか? 1歩進めば、1歩ゴールに近づくのだ。


 これほど頼もしいことはない。


 不思議なもので、自信がみなぎると技もさえる。

 瞑想の効果はまだ出ていないのに、ミョウシンの身ごなしは安定感を増した。


 バランスが整えば体幹の粘りが強くなる。ステファノの崩しに抵抗できる時間が伸びた。


(うん? 昨日よりもミョウシンさんの手応えが重い……)


「受け手」が抵抗してくれれば、「攻め手」の練習精度が上がる。ステファノは崩しの方向やタイミングを工夫し、技への「入り」をより素早く、強いものに磨いていく。


 それにまた「受け手」が抵抗するという格好で、お互いのレベルが上がって行くのが理想の打ち込み稽古であった。


 攻守を変えて2人は打ち込み稽古をみっちり50分行った。


「はい。良いでしょう。短期間で目を瞠る上達ぶりと思います。明日からは乱取り稽古を取り入れましょう」

「ありがとうございます」


 ステファノの「客観視」はミョウシンの技を受けるたびに磨かれていく。自分が攻め手となった時はミョウシンの技を思い浮かべながら、その動きに自分を重ねていく。

 その精度は、数を重ねるたびに増していった。


 汗を抑えると、2人は休憩を兼ねた瞑想に移る。呼吸を整え、イドを練る。


 今回ステファノは言葉のみでミョウシンの意識を誘導し、イドによる補助は行わない。

 ミョウシンは思い通りにイドを動かすことができないが、それは構わない。意識が集中できればわずかにでもイドに動きが生まれる。意識を向ける場所さえ間違っていなければ、後は「慣れ」だけの問題であった。


 仕上げに「鉄壁の型」を教える。


 既にミョウシンには「柔」の基本があるので、1日1手といわず3つの手を教えていく。

 ミョウシンは動きの意味を噛みしめながら、ステファノが示す手を己の体に写し取ろうと努力した。


 ◆◆◆


 水曜5時からはヴィオネッタ先生のところで絵を描く時間だ。授業はチャレンジにより修了資格をもらったが、基礎的な美術の技術が向上したわけではない。

 ステファノはデッサンから学んで、絵画の技術を高めたいと思っていた。


 ヴィオネッタ先生はステファノのデッサン画を後ろから眺めながら、あれこれとアドバイスをくれた。


 木炭の使い方や正しい遠近法など、どれをとってもステファノには初めてのことであり、新鮮に感じられた。


 デッサンしながら交わした会話によれば、ステファノがここで描いた「明るく見える絵」は結局ギルモア侯爵に献上されたらしい。

 いわくを聞いて侯爵はいたく面白がったということであった。


(あの下手な絵が王族に献上されなくて良かったよ。侯爵閣下でも十分とんでもないことだけど)


 ヴィオネッタの研究室で過ごすひと時は魔法とも、体術とも、授業とも関係ないゆったりした時間であった。

 思えば随分贅沢なことをさせてもらっている。そのことをヴィオネッタに言うと、先生は笑った。


「今更でしょう。あなたが実力で手に入れた機会です。それにここはアカデミーです。学びの心がある者にはいつでも門戸を開いていますよ」


 正確に言えば、「その資格を持つ者には」という限定がつくのだが。


 ステファノはと言えば、飽きずにデッサンを繰り返しながら考えていた。


(デッサン1つをとっても対象の性質、構造を知らなければ本質を捉えられない。上辺だけの模倣になってしまう。魔法も同じことだな。来し方、行く末を観て奥行きを把握しなければ)


 知らず知らずのうちにデッサンと魔法とを結びつけ、対象の観察はいつしかイデアの観測を目指して行った。


 ◆◆◆


 水曜日は体を解放し、心を解放し、そして魔力を解放する日であった。


 ヴィオネッタの研究室を出たステファノは魔術訓練場で試射の訓練をさせてもらう。

 その日は対象をイデアとして捉える練習に取り組んだ。


「それはまた突飛な発想だな」

「理屈は合っていると思うんです」


 ステファノは狙いとするところをドリーに告げて、意見を求めた。


「ふうむ、イデア界では距離は関係ないと言うか……。しかし、ここは現実界だからな」

「ですが、因果を引き寄せることはできているわけですからね。引き寄せる場所が、ここ・・ではなく、離れた的になるというだけで」

「理屈の上では同じだというのか……。お前が言う『構成要素』の指定で何とかならんのか?」


「場所」、「対象」、「態様」を指定できるなら、「標的」を場所として指定したら良いのではないかと、ドリーは言う。


 しかし、やってみても上手く行かない。どうも現実界の「雑音」が場所の指定をぼやかしてしまうようだ。

 5メートル以上遠方を発動ポイントに指定すると術は不発に終わる。


「どんぐりでは上手く行っていたのにな」

「あれはちょっと違うようですね」


 どんぐりを発動体とするケースでは、|手元で術を仕掛け、発動のきっかけを後から与えているだけである。

 あくまでも術はどんぐりを起点に発動する。


 離れたポイントに術を掛けているのではなく、指定した発動ポイントを移動させただけであった。


「離れた場所を指定するためにはイデアのレベルで認識する必要がありますね」


 ギフト「諸行無常いろはにほへと」を、ステファノは初めてイデア認識の道具として意識した。

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