第245話 この石ころはいささか大粒だぞ、学科長殿。

 ステファノは背嚢から圧印器を取り出すと、それがどういうものか、コースターと作りかけの木片を見せながら説明した。


「こっちはこのまま紹介すると騒ぎが起きそうなので、俺がいないと使えない魔術発動具として説明するつもりです」

「魔力を持たない人間が命じても動いてしまうのではないのか?」


 それがこの道具の売り物・・・であったはずだ。


「そこは魔力で鍵を掛けます」


 練り込んだのはステファノのイドである。自分以外の指示を受けつけないように魔術的に鍵を掛けることは難しくなかった。


「最初からそこまで考えてあったのだな?」

「こうなることはわかっていたので」

「策に溺れるなよ、少年」


 策を弄する者はいつか己の仕掛けた罠に落ちることがある。破れた策ほど脆いものはない。

 ドリーはステファノの若さを懸念した。


「世の中には自分より賢い人間がいるものだということを、常に忘れるな」


 当たり前のことなのだが、賢い人間ほどそれを忘れがちである。


「そうですね。今日もそういう人に3人会ってきましたよ」


 情革研の3人はいずれも自分より数段賢い。ステファノはそう信じていた。

 自分が役に立てるのは「ギフト」と「魔力」という特殊能力に恵まれているからだ。


 そう言えばその2つが与えられた意味を考えろというのが、神学入門のテーマであった。ステファノ自身の足元を見直せとでも言うように。


「肝に銘じておきます」


 ステファノは素直にそう応じた。

 ドリーという人は、そのさっぱりとした人格に似合わぬ苦労を重ねてきたのであろうと、何となく感じ取っていた。


「圧印器と言ったな。そいつは仕舞っておけ。私は初めて見た顔をしていよう」


 自分が意見を求められることもないだろう。試射場のただの番人・・・・・。マリアンヌにとっての自分は精々そんな存在にすぎないと、ドリーは推測していた。

 そのことに対して、特に不満はない。その代わり、こちらから歩み寄ってご機嫌を取る必要も感じていない。


 高い所の景色が好きな人間は、上を見て歩けば良い。


(足元の石ころにつまずかなければ良いがな……)


 マリアンヌが来るまでの間、「内輪向けの魔術」をおさらいしようとするステファノの横顔を見ながら、ドリーは皮肉な笑みを浮かべた。


「ふふん。この石ころはいささか大粒だぞ、学科長殿」

「ドリーさん、何か言いましたか?」


「……いや。5番、火魔術。準備が良ければ撃て」

「はい。火球!」


 それからステファノは標的の頭部に10回連続で7点の火球を命中させた。


「それくらいで良かろう。そろそろ時間だ。訓練場の入り口で学科長を出迎えてやったら良いのじゃないか?」

「そうですね。こちらでお願いしたことですから」


 ドリーの勧めもあり、ステファノはマリアンヌ学科長を迎えに行くことにした。

 

 入り口に立ち、学科長の到着を待つ。

 待っている間にもできることはある。ステファノは手にした杖に籠めたイドを意のままに動かしてみる。


 既に自分の体にまとったイドなら、自由に動かせる。それを手に持った物体にまで広げようというのだ。


 感覚の通わない物質に、肉体と同じ操作を施すのは比較にならぬほど難しい。「こうなっている」というフィードバックが得られないのだ。


 ステファノは魔道具作りを思い出した。道具がまとうわずかばかりのイドと自分のイドとを混ぜ合わせ、練り上げる。あのやり方がここでもできるはずだ。

 その思いつきに、ステファノは微笑んだ。


 陽と陰が絡まり合う「二相交流」の術名を「ヘルメスの杖」と名づけてもらったが、ここでは杖本来のイドとステファノのイドが太極図のように絡まり、混ざり合う。


(こいつの名を「ヘルメスの杖」にしてやろう)


 名づければそれがイメージとなる。杖はステファノの一部となった。

 ヘルメスの杖にイドを送り込めば、どこがどれだけ濃くなったかが観なくても感じられた。


 イドの玉を作って、杖の端から端へと移動させる。徐々に早く、さらに早く。


(これって、飛んで行くんじゃないか?)


 ふと思いついて試してみた。地面で折り返したイドの玉を、そのまま杖の先から空へと撃ち出す。


 ふんっと、わずかに空気を震わせて、イドの玉は上空100メートルを超えて昇って行った。


(散れ!)


 もう十分と、ステファノはイドを拡散させた。


(これは……遠当ての極み・・だな)


 水平に棒を構えて撃ち出せば、何百メートルでも飛んで行きそうだ。イドは物質ではない。重力も空気抵抗も受けないのだ。


 イドの物質化は極めてまれな現象とされているらしいので、マリアンヌ学科長には見せられない。もちろん「蛇尾くもひとで」もなしだ。


 実はステファノにとってはイドを併用した方が、魔力の制御がしやすいというのは皮肉な話であった。


(これは俺のギフト「諸行無常いろはにほへと」のせいなんだろうな)


「来し方行く末を観る」能力のお陰で、イドとイデアが観えるようになった。ステファノにとって、イドはごく基本的で身近な存在になっていたのだった。


 ステファノはギフトの力により、マリアンヌが視界に入るより先にイドの存在としてその来訪を感知していた。マリアンヌの方はステファノの姿を視界にとらえて、一層ゆったりと歩み寄って来た。


「わざわざ来ていただいてすみません」


 ステファノは腰を折って、マリアンヌの来訪に礼を述べた。学生の身分としてそれは当然の作法だった。


「出迎えありがとう。では試射場へ行こうか。係員のドリーには話を通してある」


 こうして腹に一物抱えた者同士が、仲良く試射場に向かったのであった。

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