第190話 魔道具作りは魔術行使ではない。

 今日は思わぬ展開で単位を1つ拾ってしまった。

 水曜3限の「美術入門」は授業免除で修了させてもらうことになった。

 

 来週から水曜日13:00から14:50の時間帯を自由に使える。


 ステファノは新たな授業をそこに入れようとは思わなかった。

 他の授業で出された課題の対応や、講義内容の復習に充てれば丁度良いであろう。

 

 どの授業でも全くの初心者であるという状況に変わりはないのだ。


(1学期は自分のペースで行こう)


 ステファノは焦りそうになる自分に言い聞かせた。


 ◆◆◆


 夕食を終え、シャワーを浴びてしまえばもうすることはない。魔術史の課題が気になるが、部屋でできることはなかった。


 ステファノは日課のノートをつける。講義用のノートは別にしたので、内容が混ざることはない。

 デッサンに魔力を込めてしまった事件は印象的であった。図らずも「魔道具」を作る才能が自分にあると知った。


 これはひょっとすると、スールーたちと取り組もうとしている研究報告に使える技術かもしれない。

「折衷案」として「作る時に魔力を使うが、使う時には要らない」というタイプの魔道具ができるかもしれない。


「情報伝達」にどう役立つものができるかは、まだわからないが。


 そして、マリアンヌのリクエストによって描いたランプの絵は「心理的な光」を発した。しかも、それは魔術師ではないヴィオネッタの言葉で発動できるものであった。


 この意味は大きい。


 もちろん、「誰でも使える希少な魔道具」を作り出せたという意味が一番大きいのだが、もう1つの意義がある。


「魔道具作りは魔術行使ではない」


 魔術学科長であるマリアンヌがそう認めたことである。


 何しろ彼女の目の前でやって見せたのだ。あれが「魔術行使」と判断されれば、実行者のステファノはアカデミーを追放される。教唆したマリアンヌもただでは済まない。


 だが、そうはならなかった。マリアンヌは描き上がった絵を「納まるべきところに献上する」とまで言った。

 それはギルモア侯爵家か、あるいは王家のことであろう。


 つまり、そこに憚るべき罪はないのだ。


「人に見られれば騒ぎになる」ということと、「行うだけで罪になる」ということとの間には天と地ほどの開きがある。


(人に見られなければ問題ないっていうことだ)


 だからヴィオネッタの研究室であれば構わないと判断されたのだ。


(自分の部屋だって同じだよね?)


 部屋のドアには鍵を掛けてある。ふいに人が入って来ることはない。

 そうであれば、魔道具作りを試してみたところで問題はないということだ。


(今日作ったのは「意識を反射する」魔道具だ)


 1つめは「感情」を、2つめは「明るくなるという意思」を反射するものだった。


(俺が作れるのは「意識」に働きかける魔道具だけなのか? それとも「現象」も左右することができるのか?)


 マリアンヌが勘違いしたように、「本当に部屋を明るくする」魔道具であればそれは魔術の再現を意味する。

 「一般人が魔術を使える」という革命的な道具である。


(そんなことを可能にする道具ならば、国宝にされるというのもわかる)


 自分にそこまでの物が作れるのだろうか? できるともできないとも、判断の基準がステファノにはわからなかった。


(ヴィオネッタ先生のところで絵を描くときは、「魔術」を絵に込めないように気をつけなくては)


 意識を反射するだけなら良いが、独立した魔術を発動することがあれば誰かが罰を受けることになる。

 使った者か、作った者か……。試してみる勇気はステファノになかった。


(魔術を込めた道具を試すとしたら、魔術訓練場に持って行かなければならないな)


 訓練場でドリーの立ち合いがあれば、魔術の発動は許される。事情を話して協力を得ることはできるだろう。

 試す時は込める魔術の内容をよく吟味しなければならない。無法な使い方をされることがないように。


 安全な「生活魔術」が魔道具化の対象として妥当であろう。万一暴走したとしても、被害が小さくて済む。


(どうせ試すなら、「情報革命」の研究に役立ちそうなものにしたらどうだろう?)


「版画のようなもの」で文書を大量に複製できれば、情報伝達効率を飛躍的に高めることができる。スールーとサントスの情報革命定理はそう規定する。


 例えば今日描いた絵を複製することを考えてみる。


 方法は2つ考えられる。人が手書きで複製するか、一旦複製した絵を版画に起こして複製を刷るか。


(どう考えても答えは「版画化」だ。だが、一度は複製画を描かねばならないし、板を彫る手間暇と、紙に刷る手間暇がかかる)


 どうにかして複製化のプロセスを単純化できないだろうか。ステファノはイメージする。


(人手がかからなければ良いんだ。絵が自分で複製を作り出してくれれば助かるんだけれど)


 原画に白紙を重ねると、絵を写してくれるような魔術か技術。そんなものがあれば良いのだが。

 そのためには「物質に作用する魔道具」を作り出さなければならない。


(「目に見える」というレベルとは全然違うよね。これはもう魔術そのものになるはずだ)


(考える方向を変えてみようか。魔術だとしたら、どの属性が使えるだろうか?)


「火」は微妙だ。紙に目で見える変化が出るほどの熱を与えたら、パリパリに脆くなってしまうだろう。

「水」はどうだろう? 使えそうもないようにステファノには思えた。

「雷」もどう使えば良いのか見当がつかない。

「風」もそうだ。


(残るは「土」と「光」か)


「土」は「引力」。木炭が載った部分、つまり色がついた部分に引力を与えて浮き出させることができないか?

 そうすれば版画の「版」ができそうだ。


「光」はどうなんだ? 紙も日焼けする。原画の黒い部分に相当する位置に強い光を当てれば、白紙も色づくか?


(どうだろう? 読めるほどの濃い色がつくかな。真っ黒にするのは難しそうだ)


 ステファノは一旦「土魔法」を基本にして、魔道具化を考えることにした。


(どうやるにしろ、黒い部分と白い部分で作用を変えるということだ)


 版を作るなら、「白い部分は押して凹ませ、黒い部分には何もしない」という操作を絵にやらせることになる。


 考え方はわかる。むしろ単純なことなのかもしれない。

 しかし、自分でやることを考えて見ても、魔術をどう使えば良いのか、ステファノは思いつかなかった。


(ふうむ。経験が乏しいからな。引き出しが足りない。明日ドリーさんに良いアイデアがあるかどうか聞いてみようか)


(あるいは「絵に魔術を込める」という考え方が間違っている可能性もあるかな? 別に「絵を写し取る」道具を作った方が良いのかもしれない。それもドリーさんの意見を聞いてみるか)


 汎用性を考えるならば、絵を写し取る魔道具という2番目の方法が適切であろう。なぜなら、原画自体は誰が描いたものでも良いことになるし、魔術を込めるのも1度で済むからだ。


(そうすれば、一般人が版を作ってそこから複製をたくさん作れる。そこに魔術師は必要ないはずだ)

 

 まとめた考えをノートに記すと、ステファノは翌日の予定について意識を振り向けることにした。


(明日の木曜日は1限目が「魔力操作初級」か。これに関しては一応・・できているから大きな問題はないと思うけれど……)


 そう思ったステファノであったが、ネルソンたちとの会話を想い出した。


(「魔力の物質化」は大問題・・・なんだったな)


 初学者に過ぎないステファノが「魔力の物質化」ができると知られれば、その方法を根掘り葉掘り探られることになるのは確実であった。


旦那ネルソン様やドリーさんのように、魔力が診える人がいるかもしれない。イドの鎧を出さないように気をつけよう)


 体を薄く覆うだけのイドの繭であれば目を引くことはないだろうと予想されたが、注意をするに越したことはない。教室ではイドを抑えるようにステファノは自分に言い聞かせる。


 ステファノには他人のイドが見えないが、イデアを呼び出せば色となって眼に映る。おそらく講師を務める人物もそのような眼を持っていることだろう。


(最初は少し鈍いと思われても良いから、イデアは小出しにしよう。虹の王ナーガは教室では禁じ手だ)

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