第189話 ナーガの眷属、「け」の型「水蛇」。

「どうした? 気に入らんのか?」


「人を殺さずに倒すことはできないでしょうか?」


 甘いことを言うなと叱り飛ばせない重さがステファノの言葉にはあった。


「何かあったのか?」


 ドリーはステファノの事情を聴くつもりになっていた。


「やむを得ず人を殺しました」

「お前がか?」

「はい。ある事件で賊に捕らわれ、手足を縛られて殺され掛けました。生き残るために縄を切って、賊の1人を……その縄で絞め殺しました。手の傷はその時のものです」


「そうか」


 そういうことかとドリーは頷いた。といって、掛けてやる言葉が彼女にはない。

 受け止めるのも乗り越えるのも、本人にしかできないことであった。


「自分の術が人を殺せるものだと知りました。でも、俺はもう殺したくありません。殺さずに人を守る術を使いたい」

「欲が深いな」

「そう……ですかね」


 殺さずに守る、殺さずに捕えるとは贅沢な話なのかもしれない。きれいごとだ。

 

「きれいごとでしょうが、どこまで行けるものかやれるだけやってみるつもりです」

「ふん。好きにするが良いさ。お前の術はお前のものだ」


 ドリーは冷たく突き放したが、言葉の端々ではステファノの覚悟に興味を持っているようだった。


「さて、20メートル先の相手に当てるが威力は殺さぬ程度に抑えるとなると、随分と面倒な加減が要るぞ?」


 ドリーはステファノの悩みを一言でまとめた。


(氷弾を届かせるとなると勢いが強すぎる。氷の玉じゃダメなんだ。かといって水のままでは散ってしまう……)


 ステファノの魔術には意思があるように見えるとドリーが言っていたが、本当にそうなら自分で飛んで行ってくれるのになと、ステファノは妄想した。


 雷魔術は「雷蛇らいじゃ」となって飛んで行った。さしずめ水魔術なら「水蛇みずへび」であろう。蛇の形か……。


「もう一度やってみます!」

「良し。5番、水魔術だ。発射を許可。任意に撃て!」


 ステファノは両手を体の前に突き出した。

 

虹の王ナーガ!」


 ステファノはあえて声に出して虹の王ナーガを宣言した。


「『け』の型!」


 ステファノの前面に浮かぶ虹の盾が青に色を変えぐるぐると渦を巻いた。渦の中に緑の帯が生まれ中心へと巻き込まれて小さな渦を作る。

 緑の渦は水を生み、波を立て、冷気を呼ぶ。


「飛べ、水蛇!」


 ステファノの命に応じ、緑の渦は氷の矢となって走り出た。


 矢の数は2本。


 訓練場の照明を受けてきらきらと輝く2本の氷矢こおりやは、ドリーの「蛇の目」には身を躍らせる2匹の水蛇に見えた。命に従う喜びに体を震わせているようにさえ見えるのだった。


 ピシリ、ピシリと氷の矢は相次いで標的の両肩に突き刺さった。行動を阻害するには十分な傷だ。


 すると、しゃりしゃりと音を立てて蛇が皮を脱ぎ捨てた・・・・・・・・・


ばく!」


 ステファノが両手を握り締めると、2匹の水蛇は肩に刺さったままぐるぐると標的の上半身に巻きついた。

 2匹の蛇は水の体でありながら、ステファノの魔力をまとっているため流れ去ることがない。


「これはまた厄介な術だな。『殺さず』という約束とは面倒なものだ」


 頭を振り振りドリーは標的を引き寄せた。


「ふうむ。この縛めはこのまま維持できるのか?」

「えーと、特に力も要らないので俺が起きている限りこのままだと思います」

「そうか。切ろうとするとどうなる? 水魔術を使うぞ」


 そう言いながらドリーは短杖ワンドを抜き、氷をまとわせて剣の形を取らせた。


「ふん!」


 短い気合と共に氷の剣で水蛇が転じた「水縄」に斬りつけた。

 何とも言えぬ抵抗感を刃の先に感じるが、剣は縄の1本を切断した。


「硬くはないな。むっ? 何だと!」


 斬ったはずの水縄が、何事もなかったようにつながった。


 もう一度繰り返しても同じことであった。術者本人を倒さぬ限り、この縄は切れない。


「ちょっと下がってくれ。火魔術を試したい」


 ドリーはステファノを下がらせると、標的を3メートルほど遠ざけた。


「火炎流」


 氷を消した短杖の先から、今度は炎がほとばしった。水縄ごと標的を包み込む。


 じゅうじゅうと音を立て水が蒸発していく。しかし真っ白な蒸気を上げて煮え立ちながらも、水縄が細くなる気配はない。


「蒸発しながら水を集めているのか」


 ドリーは納得して魔術を消した。


「もう良い。お前も術を収めて良いぞ」

「はい。散れ!」


 ステファノが命じると、水縄は蛇の形に戻って床に滑り降り、水たまりとなって消えた。


「はは。去り際まで蛇の形を貫くか? 念の濃い術だ」


 ドリーはステファノの訓練を終わりにさせ、また椅子に座って検討会を始めた。


「最後はいろいろ工夫していたな。大事なことだ。最初から上手く行く魔術は少ない。安全な状況でいろいろと試してみることは術の幅を広げる役に立つ」

「はい。雷蛇でのイメージが水蛇に役立ちました」

水蛇みずへびと名づけたのか。わかりやすい名前だ。良い名前をつけてやると術は使い易くなる」


 ドリーの感想は常に実践的であった。


「やってみてわかったと思うが、氷魔術は遠距離攻撃には向かない。手の届く敵に使ったり、壁にして防御に使うことが多いな」

「そうですね。飛ばすのが大変だということがわかりました」

「そうだろう? 土魔術を重ね掛けすれば何とかなるがな。それなら身の回りの物を土魔術で飛ばした方が早い」


 確かにそうだ。石でも、ナイフでも近くにあるものを引力操作で飛ばせばよい。

 何もわざわざ氷を作り出す必要はない。


「それをあえて水魔術でやらせるのは、応用力をつけさせるためだ。重い物を持ち上げて体を鍛えるのに似ているな」

「そういう訓練法ですか」


 ステファノにとってはすべての魔術が初めてのようなものなので、何も考えていなかった。

 逆に言えば「難しい」という思い込みもなかったので、気負わずチャレンジできたのかもしれない。


「俺は水の圧を上げるために土の魔力を容れ物として使っていたんですが、それは構わないんですか?」

「魔力だけならな。それを禁止していたら多属性持ちのほとんどは術が使えなくなる」


 自在に特定の属性だけを活性化させるという使い分けは簡単ではない。むしろできる人間が稀であった。

 普通の術者は魔力を練る時、持っているすべての属性を活性化させてしまう。


「お前のように初心者でありながら属性の使い分けができるというのは異常な状態だ」


 自分は10歳からできたのだがなと、ドリーは口の端でにやりと笑った。


「水蛇だがな、あれは凍らせて飛ばしやすくしたのだな?」

「はい。ただ完全に凍らせてしまうと当たった時の威力が強すぎるので、表面だけ凍らせました」

「それが皮を脱ぎ捨てるように見えたのだな?」

「蛇として動かすには、脱皮のイメージを持たせた方が都合良かったので」


 イデア操作において違和感のないイメージは極めて重要なポイントである。イメージが固まればいくつものステップを「一言」の命令に集約することができる。


 水蛇で言えば「ばく」という一言である。


「わかっていると思うが、お前の術は今のままでは手順が掛かりすぎる。実戦だったら敵に逃げられるか、逆襲を受けることになる」

「わかります」


 実践で使える術とは磨き抜かれたものでなければならない。瞬時に抜き打てる刀のようなものでなければ。


「今日は『術が出せる』というところまでで十分だ。これから術の細部を練り込んで行け」

「明日は風魔術についても同じことをやってみます」

「そうだな。どんぐりは良い工夫だが、あれだけに頼るのは良くない。手札を多く持つに越したことはないからな」


 ステファノは訓練場の後始末、片づけと掃除を手際よく手伝うとドリーに礼を言って帰路についた。

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