第157話 教務長の涙。

「決して失礼な意味で申し上げるのではございませんが、アリステア様の言葉遣い、身だしなみ、仕草の中に上品な女性を感じさせるものがございます」

「ええ、そうなのよ! 私も常々そう思っていました」


 リリーが目を輝かせて、こくこくと頷いた。


「学長、落ちついて下さい。それで?」

「これは幼い頃に年上の女性と接している中で、移った・・・ものではなかろうかと」

「姉の真似をしていたというのか?」


「年上の女性からすれば、幼いアリステア様はさぞ可愛らしい存在でしたでしょう」


 アリステアは俯いたまま、ぎゅっと閉じた目に力を入れた。


「今は遠く離れていると言ったな? それはどうして?」

「アリステア様の『口癖・・』です」

「口癖? 常に言うような言葉はないと思うが……」


「決まった言葉ではありません。『独り言』と『繰り返し』です」

「ふむ……」

「アリステア様には『独り言』が多いと感じました。これは幼い頃にお慕いする方を失った寂しさから来るものではないかと。『繰り返し』の方は『同じことを2度言う』癖のことです。これはお慕いする方を心に思い浮かべて、会話をされている内に癖になってしまったのではないでしょうか」


 びくんと教務長の肩が震えた。


「そうでしたの。それは何て心の優しいことでしょう。アリステア、恥じることはありませんよ。とても良い癖です。あなたにお似合いですよ」


 リリー学長はアリステアを見て、ふんわりと微笑んだ。


「わたしも気にすることはないと思うぞ。アリステア、ステファノの言う通りなのか?」


 何事もあいまいには済ませられないマリアンヌは、アリステアに事の次第を確認した。


「違う……。姉ではない。わたしに姉妹きょうだいはおりません」


 うつむいたままアリステアは低い声でつぶやいた。


「そうか。ステファノの言うことは間違っているのか?」

「そ、それは……。り、隣家のフローレンス様の、ことでしょう」

「姉……のようなご婦人がいたのか?」


「2歳で母を亡くしたわたしを弟のように。いつも……」

「そうか、わかった」

「流行り病で、最期はお目にかかることもできませんでしたね。でき……なかった」


 ぽたりと組み合わせた手の上に涙が落ちた。


「アリステア……」

「ああ、良かった」

「アリステア?」


 教務長は頬を濡らしたまま、顔を上げ目を見開いた。


「わたしの中にフローレンス様がいらっしゃる? いらっしゃるのですね。これまで生きて来て気づきませんでした。ああ、良かった」


 涙をぬぐいもせず、アリステアはステファノを見てにっこりと笑った。


「ありがとう、ステファノ。素晴らしい回答ですね。今まで見たどんな入学面談よりも素晴らしい回答でした」


 マリアンヌはあんぐりと口を開けて、アリステアを凝視した。

 この男が手放しで人を褒めるところを出会ってから初めて見たのだった。


「参りました。ネルソンにやられましたね。推薦状の件は納得いたしました。申し分ありません」

「ありがとうございます」


 学長の言葉にステファノは安どした。後は魔力の発現だけだ。これは自分次第の項目であり、きちんと手順を踏みさえすればクリアできるはずであった。


「それではもう1つの入学条件である魔力の発動を見せてもらいましょうか?」


 この日のためにステファノは披露する魔術・・を決めてあった。


「震えよ、アポロンの竪琴。光あれ!」


 上に向けた右手に、雑味のない真っ白な光が灯った。

 何度も練習した光魔術は直視しても眩しくない程度のほのかな灯りであった。


 ヨシズミに見てもらい、この手順、この強さであれば「初級光魔術」として通用するだろうと認めてもらったものであった。


「ふむ。結構でしょう。初級レベルですが、光魔術が安定しているようです」


 これは専門家であるマリアンヌからの評価であった。彼女は力任せの「大技」よりも、バランスの取れた繊細な技の方を好む傾向があった。

 ステファノの光魔法「アポロンの竪琴」は光に揺らぎがなく、その色もくすみのない澄んだ白色であった。


 普通の魔術師が得るイデアは、身の回りの因果、すなわちランプや焚火の火が基本であったので、ステファノのような純粋な光は珍しかった。


「よろしい。消してよいぞ」


 マリアンヌの許可を得て、ステファノは手の上の光を消滅させた。


「静まれ」


 蛍の光が消え去るように、白い灯りが小さくなって消滅した。


「ふむ。大変結構だ。ところでその手袋には何の意味がある? 熱よけかね?」


 マリアンヌは室内でも外さないステファノの手袋に興味を示した。


「これは恥ずかしながら傷痕を隠すためにつけております」

「傷痕だと? どういうことだ」

「お見苦しい物をお見せしますが、お許しを」


 マリアンヌの目配せを受けてステファノは手袋を外した。

 両手首と手のひらに縄目によって擦れ、爛れた傷跡が赤く残っている。


「とある事件で虜囚となり縄目を受けた時の傷です。人目につくと見苦しいので普段は手袋を」


 特に左手首をぐるりと取り巻く傷跡は肉にまで縄が食い込んだことを物語っていて、今見ても痛々しい。


「そうか。わかった。仕舞って良いぞ」


 これでステファノの手袋は「公認」となった。学長、学科長が許可したものに余人が文句をつけることはできない。少なくともアカデミー内ではフリーパスだ。


「さて、推薦状には問題がない。魔力の発動も十分なレベルにある。したがって、あなたの入学を認めたいのですが……」


 リリー学長が難しい顔をした。


「学長、そこから先はわたしから説明いたしましょう」


 すっかり平静を取り戻したアリステアが間に入った。


「ステファノ、先程正門に並んでいる間に君を見掛けた者がいましてね。被害届を出して来たのです」

「被害届、ですか?」


 ステファノにはまったく覚えのないことであった。ひったくりを掴まえたことはあったが、あれは済んだ話のはずである。


「キミは最近サポリという町を訪ねましたか?」

「はい。1週間ほど前に」

「やはり……。その時に、キミに襲われたという者がいるのです」


 ステファノの脳裏にジロー・コリントと名乗った少年の姿が浮かんだ。伯爵家の子息だと言っていたが。


「こちらには覚えがありませんが、どういうことになりますか?」

「うむ。公式に届けがなされた以上、衛兵隊へ申告することになる。キミは取り調べを受けることになるだろう」

「やましいところがないので構いませんが、アカデミーへの入学はどうなりますか?」

「調べが済んで罪なしと認められるまで保留ということになります。そうですね?」


 アリステアがリリーの目を見ながら言うと、それに同意するようにリリーが頷いた。


「調べを受けて疑いを晴らせば、アカデミーに入学できるんですね?」

「もちろんです。アカデミーは罪なき人間に門戸を閉ざすことはありません」


 きっぱりとしたアリステアの言葉に、ステファノは覚悟を決めた。


「わかりました。衛兵隊の取り調べを受けさせていただきます」

「反訴はしないのか?」


 成り行きを見ていたマリアンヌが皮肉な口調で尋ねた。


「疑いが晴れれば良いことですので、争うつもりはありません」

「お前が正しいということは相手が嘘を言っているということだ。ならば誣告ぶこくの罪で訴えることもできるが?」

「自分は平民ですから」


 それだけ言えば十分であろうと、ステファノの目が告げていた。貴族と平民が言い分を争わせたところで、誰が平民の味方をしてくれるか? 争うだけ時間の無駄であった。


 一方においてコリントにも訴えを支える証拠はない。自分の証言だけなのである。ステファノを罪に問うとなれば正式な裁判が必要となる。そんなところに伯爵子息のジローが顔と名前を晒すわけがない。

 ステファノが反論すれば、「言いがかりをつけて乱暴をした上に、決闘を挑んで敗れた」という事実が公になる。わざわざそんな醜聞をまき散らす真似はしないはずであった。


「嫌がらせだとわかっているのですね」


 口の端に笑みを浮かべながらアリステアが尋ねた。


「嫌がらせのおつもり・・・・なのでしょうね。嫌がらなければ良いだけのことです」


 ステファノもかすかな笑みを以て、問いに答えた。

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