第154話 ステファノ、ヨシズミに大喝を受ける。

「よし。始めよう」


 ヨシズミの声で、「自由稽古」が始まった。申し合いなしで打ち合う。実戦形式の稽古であった。


 ヨシズミの構えに隙などない。隙ができるのを待っていては、永遠に打ち込めない。

 これは試合ではなく、「稽古」である。ステファノは教えを受ける立場であった。


 よって、後のことを考えず果敢に打ち込む。


 右袈裟斬りをかわされれば、蛟を鞭にして素早く上段に戻し、左からの袈裟斬りに変化させる。これに杖を合わされて流されれば、体を入れ替えながら左ひじを入れに行く。


 ヨシズミは表情も変えずに右ひじをはね上げて、これをかわした。足を動かして行き抜ける動きが、既に上段からの斬り下ろしにつながっている。ステファノは流れに逆らわず回りながら地を蹴って、大きく距離を取った。


 結局ヨシズミは立ち位置を動かず、ステファノがすれ違って反対側に抜けた形になった。


 大きく動けば慣性が働く、飛び下がった・・・・・・ステファノはヨシズミに正対しているものの後ろ重心になっている。そこへヨシズミがすいっと間を詰める。


 杖を脇に下げたままの動きであるが、その瞬間にはステファノは動けない。防御のために杖を構えることしかできなかった。


 どこから来るのか? ステファノはヨシズミのイドを観て、次の動きを読もうとした。


 ヨシズミはただ進んだ。流れ始めた水が地表を滑るような動きは、どこにも力みがなく、「次の動き」というものがなかった。気づいた時には杖が触れ合う距離に入られている。


「えい!」


 ヨシズミが初めて気合を発した。イドの力ではなく、純粋な瞬発力により触れ合った杖からヨシズミが「圧」を掛けた。ステファノはそうと知った瞬間、蛟を縄に戻した。


 ヨシズミの杖は「押す」動きに入っている。「斬る」動きではなかった。ステファノは蛟から左手を離し、右半身になりながら右手の拳を撃ち出す。


 この間合いでは杖での攻撃よりも拳の方が早く相手に入るはずであった。


 しかし、杖が触れ合った一瞬の「圧」はステファノの動きをわずかに遅らせていた。意図する動きに体が即応できていない。


 ステファノの拳が有効な打点を捉える前に、ヨシズミが踏み込み、弛んだままの拳を左肩ではじき返す。

 拳は勢いを失い、一瞬無力化されて宙に浮く。


 ヨシズミは反作用で押された左肩をそのまま回し、自然と右半身になってステファノに右肩でショルダータックルを入れた。右拳を撃ち出していたステファノはこれを避けられず、左肩に受けた。


 行き違って振り向くヨシズミに対して、ステファノはバランスを崩してよろめいた。必死に右足を踏み出して体を支えつつ、蛟を硬化して振り向きざまに斬り上げる。


 しかし、既に振り下ろされていたヨシズミの杖が、ステファノの頭部を叩いた。鉛のように重い衝撃がイドの鎧越しに脳天に響き、ステファノは軽い脳震盪を起してひざまずいた。


「それまで」


 静かにヨシズミが告げて、稽古は終わった。


「今日のところはこんなモンケ?」


 汗もかかず、ヨシズミはステファノに声を掛けた。


「ありがとうございました」


 ステファノは呼吸を整えてから立ち上がった。


「うん。最初の相抜けは良くできたヨ。したッケ、せり合いで崩されたところから泡食ッてたな」

「はい。後手後手に回らされたので、無理をしました」

「そういうことダ。無理せず勝つには、どうやって相手サ崩すかのせめぎ合いだッペ。間合いの出入りが大事だナ」

「よくわかりました」


 引き出しの数が違っていた。こちらがどう出ようとも返す手順を持った相手である。当然の結果であった。


「おめェは眼が良いから相手を観るのはイインダ。したっけ、今みてぇに手の内見せねェ相手もいッからヨ。眼だけに頼ると足元掬われット?」

「うーん。難しいですね」

「そりゃ、そうだッペ。みんな工夫して来ッからナ。ははは」


 結果は負けだが、攻防に良いところもあったとヨシズミは批評してくれた。


「せり合いで崩されながら杖サ縄に戻していなした・・・・のはイカッタヨ。アレしなければもっと強く打たれてッからナ。武器にこだわらず、右拳で攻めたのも悪くはネかッタ」


「そンでもアソコは、『撃つ』ンでなくて『掴み』に行った方がイカッタナ。間合いが近くなってたからヨ」

「そうか。そうすれば体当たりを捌く手順も作れたんですね?」

「そこは相手次第サ。踊りみてェなモンだッペ。1人で動いてンじゃねェからナ」


 ヨシズミの指導は柔軟で、実践的であった。


「それはそうと、おめェの『ヘルメス』ナ?」


 交流魔法のことをヨシズミは口にした。


「あれは『奥の手』にしとけ。滅多に見せンでねェ」

「はい」

「当たり前だけッと武術じゃおめェの『上』なんぞ山ほどいる。そンでも初見でアレ使えば勝機は生まれッからヨ」


 秘技、秘剣の類は人に見せぬからこそ価値がある。それも1つの極意であった。


「そのためにもヨ、外歩きすッときは面倒でも手袋サして歩け」

「鹿革の手袋ですね」

「そうダ。手首の傷を隠すためとでも言っとけ。そうすりゃ世間はおめェの「弱み」だと思うッペ」


 人は「弱みを持った人間」に甘くなる。自分より下とみて油断する。


「そう思ってくれンなら、ありがたい・・・・・ことだッペ」

「弱者の剣」

「うん? 何だッペ、そりゃあ?」


 ステファノはクリードの師を思い浮かべていた。


「剣の達人がそう言ったそうです。力も才もない自分の剣は弱者の剣だと」

「そいつはおっかねェノ……」

「え?」

「考えてみろッテ。その人は周り中が自分より強いって言ってんだッペ? そんな人間が戦って生き残るにはどうしたらイイ? 何だってするってことだッペ」


「そういうことですか」


 ステファノはどうやら思い違いをしていた。「弱者の剣」とは力に頼らぬ丁寧な剣術のことかと思っていたが、本当の意味はもっと恐ろしいことであったようだ。


「さすがはクリードさんの師匠」

「クリードってあの『飯綱使い』ケ?」

「はい。知ってますか?」


「昔ナ。戦場で見掛けたことがあったッペ」

「強かったですか?」

「アレは危なかった・・・・・ナ……」

「へ? 危ないとはどういうことで? 切れ味が鋭いということですか?」


「アレはヨ、自分も人も死んで構わねェッて剣だッペ。普段はそうでもねェが、追い詰められッと命を捨てて掛かって行く。あんなに簡単に死ぬ気になれる奴ァ、どこかおかしィッペ」


 ステファノは旅の野営で、思いつめたような表情をしていたクリードを想い出す。


「死に物狂いッて奴は強い。それは間違いねェ。したけどヨ、長くは持たねェノ。1分か2分。人が死に物狂いで動ける時間てのは精々そんなモンだ」


 ヨシズミは眉間に眉を寄せて言った。


「だからヨ、ステファノ。そんな奴に会ったら、おめェは逃げ出せ。1分か2分逃げ回れば、物狂いは落ちッからヨ」

「はい、逃げます。ですが、師匠。逃げられない時、逃げてはいけない時・・・・・・・・・はどうしたら良いでしょう?」


 例えば大切な人を守らねばならない時、自分はどうしたら良いのだろうか?


「馬鹿、コノ! おめェは何モンだァ!」


 ヨシズミは大喝した。


「いっぱし戦えると思うから逃げてはダメだとか思うんだッペ? 力も才もねぇ弱者が踏み止まって何になる? てめェが死んだらそれでお終いだッペヨ!」


 ステファノには返す言葉もなかった。


「『弱者の剣』ッて言葉にはそンだけの覚悟サ込められてンノ。卑怯者だ人情なしだッて指差されても、必ず生き残るッて覚悟サ示してンダ、このゴジャラッペが!」

「すみませんでした……」


「オレはヨ、20の時にこっちの世界に飛ばされて、物好きな貴族に拾われたノ。恩もあッたし、魔法も使えたモンで戦に駆り出されンのは仕方ねェと思ッて……。随分と人を殺したッペ。逃げンのは許されねェと思ってサァ」


「したっけ、逃げちゃいけねェ時なんか世の中にねェノ。逃げたらイかッタ……。ホントにそう思うノ」


「おめェはその歳でオレよりナンボか賢い。『不殺』の誓いを立てたんだッペ? だったら、逃げたらイかッペ。逃げて、逃げて。足腰立たなくなるまで逃げ回って、後のことはそれから考えたらイかッペヨ……」

「師匠……」


 ステファノはただ泣きながら、頭を下げた。


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