第153話 ステファノは縛縄「蛟」を得た。
「すまない。馬鹿なことを聞いてしまった」
滅多に人に頭を下げないドイルが、神妙に謝罪した。
「良いさ。わかっている。ギルモアのことを気にしたのだろう?」
「ああ。お前が貴族の保身だけを考える奴なら俺を引き取ったりしないことはわかっている。ギルモア家を敵に回すことになったらどうなるかだけが心配だった」
「ならば言っておこう。ギルモアが民を捨てて王家に盲従するときは、私はギルモアを捨てると」
ネルソンに迷いはなかった。
「そのような家ならばもはやギルモアとは呼べぬよ。ギルモアはどこまでも獅子だ。狐にも、ましてや犬になどならん」
それは正にドイルが欲していた言葉であった。
「信じよう。信じた上で頼みがある。僕をアカデミーの講師として送り込むことに力を貸してほしい」
「あれほど嫌っていたアカデミーにか?」
「ああそうだ。この国の未来は若者の肩に懸かっている」
ドイルはヨシズミと語り合ったビジョンをネルソンとも分かち合った。教育こそが未来を拓く武器であることを。
「なるほど。ついにお前も人の師たる覚悟を決めたか。よかろう。正教授は難しいが、臨時講師くらいならやりようはあるだろう」
ネルソンには財力と政治力がある。寄付と称して金を使えば、ドイル1人を講師陣に紛れ込ませるくらいのことは難しくなかった。
「旦那様」
「どうした、マルチェル?」
何やら考え込んでいたマルチェルが口を開いた。
「文武両道と申します。国の未来のために若者を育てるならば、武を鍛える場があってしかるべきかと」
「む? お前がそれをやりたいというのか?」
「ステファノを指導して感じました。1人の武は所詮万剣にしかず。後に続く者あっての武道かと」
「ふーむ……。ならば『私塾』を開くか?」
「私塾でございますか?」
「いきなり武術道場では人目を引こう。お前の言う文武両道。武道と学問を学ぶ場として私塾を設けてはどうかな?」
ギルモアの息が掛かったネルソンが武術を学ぶ人間を集めたとなると、何か危ないことでも始めるのかと疑われる恐れがあった。それよりも学問を教える学校が武術指導を兼ねる形を取ってはどうかという提案である。
「それは結構ですが、学問の指導は誰が致しましょう?」
「これから探すさ。何、焦る必要はない。どうせ私塾を開くとなれば準備や根回しが必要になるからな。1年後を目途に事を進めれば良かろう」
「1年後とは?」
「その頃にはステファノがアカデミーから戻れるだろう。若者を纏める指導員役を務めるには丁度良いではないか?」
「ええっ? 俺が指導員ですか?」
「アカデミー卒業とはそういう資格を得るということだ。魔法の実技だけでも十分指導者たる実力は備えていると思うぞ」
突然のことにステファノはうろたえた。
「魔法指導なら俺なんかよりヨシズミ師匠が適任です」
「ステファノ、オレが表に出るのはダメだ」
「師匠……」
「前の世界の科学や魔法はこの世界よりもはるかに進んでいた。だが、オレがそれを指導してしまえば、この世界の発展を大きく歪めてしまう。この世界にはこの世界の進むべき道がある。よそ者のオレがしゃしゃり出ることではないよ」
「でも、魔法のことは俺だけでは教えられませんよ」
「そんなことはない。教えるだけが指導ではない。共に学ぶというあり方も立派な教育だ」
「ステファノ、私もそう思います」
「マルチェルさん……」
「お前が魔法師として成長する姿を見せることで、後に続く者も育って行くことでしょう。難しく考える必要はありません」
まだ何か言いたそうなステファノであったが、マルチェルの言葉でいくらか気持ちが軽くなったようだった。
「残るはギルモア家と王家の去就だが……」
悩ましげな声を出したのはネルソンだった。
「こればかりは探るのに時間が掛かるな」
「僕やネルソンが進める研究を妨害しようとするかどうかだね」
「ドイルはともかく、旦那様は既に30年に渡って研究を続けています。ギルモアも王家もこれを潰そうとして来たとは思えませんが……」
ネルソンの研究は「抗菌剤」を中心として成り立っていた。研究を妨害された覚えはネルソンにはなかった。
「それでも、結果として抗菌剤はまだ軍事機密にされている。そこに誰かの意図が働いているかもしれない」
ドイルは慎重な姿勢を崩さなかった。ここに集まった人間の中で、貴族階級との摩擦を最も強く経験して来たのは彼であった。
「ふむ。確かにその可能性を否定することはできんな」
「30年待ったのです。そろそろ抗菌剤を万人の物として世に出しても良い頃でございましょう」
「マルチェルもそう思うか? 隣国との和平が整っている今こそ、その時期にふさわしいと私も考えている」
「ならばギルモア家がその動きを応援する気があるのか、確かめてみてはどうだ?」
ドイルの提案にネルソンは頷きながら思案を巡らせて行った。
◆◆◆
次の日、ステファノは「電気を通す縄」についてドイルに相談してみた。電気の性質と素材について説明すると、ドイルは暫く考えた上で「塩」が良いのではないかと言った。
「鉄や炭の粉を編みこむというのは難しいぞ。縄を作り始めるところから工程を変えなければいけないし、出来上がった縄を使う場面を考えると粉が手についてしまって扱いにくい気がする」
墨染や塩水に出来合いの縄を浸して乾燥させる方がはるかに簡単だろうと言われた。
早速ケントクに墨汁と塩を用意してもらい、ステファノはそれぞれの溶液に綿のロープを浸し、鍋で煮詰めた。墨染~塩ゆでの順で行い、繊維の隅々まで成分を行き渡らせて取り出し、乾燥させた。
縄の消耗を考えて、大目に縄を煮込むことにした。
ケントクたちには呆れられたが、その日の内には納得のいく導電ロープ「
ヨシズミの勧めで皮手袋も入手してもらった。鹿革をなめした柔らかい物で、手にぴたりと吸いつくような伸びのある手袋であった。
「これサつけてれば電気を扱っても自分が痺れることはねェぞ。縄サ手に持ったまま電気流せッペ」
捕縄術については、さらに次の日、マルチェルの知る技を手解きしてもらった。修道院にはさまざまな武術が伝わっており、捕り縄を得意とする者もいたらしい。
「仕上げは『蛟』を使った『交流魔法』だナ」
ヨシズミが授けた発動方法はこうだ。水魔法で「蛟」を覆い、結晶化している塩を塩水にして「蛟」に浸透させる。
そこへ交流魔法で電流を流し、触れた相手を感電させるというものであった。
「蛟」にイドを纏わせれば、杖のように使うことも、鞭のように振り回すこともできる。
「縄を体の一部だと思って自在に使うことを目指せ」
ヨシズミを受け太刀として、ステファノは蛟を木刀に見立てた打ち込み稽古、鞭に見立てた型稽古、水を纏わせる魔法発動、電流を流す魔法訓練というように一連の技を磨いた。
3日の稽古をやり通した後、ヨシズミは初めて土魔法を解禁した。
「これからは蛟に引力を纏わせる稽古サすット」
木刀に見立てた素振りでは「質量」を増す魔法を掛けていた。今度はさらに打ち込みの速度を増す「引力」操作を加えて行くのだ。
「質量と引力、2つの要素を操れば打ち込みの速度と威力を増すことができる」
ヨシズミの表情は真剣であった。
「この技を最後に教えるにはわけがある。敵の剣士が土魔法を以て打ち込んできた時、これを使えないと受けきれないことがあろう。だが、これは殺傷力を持った技だ。使い道を誤れば人殺しの道具になる」
「はい」
ヨシズミの戒めを聞くステファノもまた真剣だった。
「お前が目指す『不殺の魔法』を常に心に置いて修練することだ。お前の術はお前が作り上げるものである」
「師匠、俺の目指す姿は決めました」
「そうか。何を目指す?」
「
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