第117話 答えはもっと深遠で、そして……残酷だ。

「どういうことですか? 魔術は『人の領域を超えた力』という意味でしょうか?」


 ドイルのただならぬ様子を見て、マルチェルが疑問を挟んだ。魔術が人間の領域を超えた力であるということであれば、これまで幾度も語られて来たことであった。ドイルほどの学者が事新たに言うことでもない。


「文字通りの意味だよ。魔術師は大きな魔術を使えれば偉そうな顔をするが、そもそも魔力とは人に備わった力ではない」

「人に備わった力ではない?」


 マルチェルには意味がわからず、思わずおうむ返しに尋ねた。


「ステファノのギフトが僕の疑問に答えを与えてくれたのさ。もはや魔術に『不思議』はない。観測すべき1つの現象に過ぎない。僕にとってはね」


 語ることで落ちついたのであろう。ドイルはゆったりとソファに身を預け、深く息を吐いた。


「外から観る魔術はこうだ。魔術師が呪文を唱える、すると、何もないところに・・・・・・・・火が生まれる。そうだね?」

「単純に言えばそうなるでしょう」

 

 ドイルはあえて魔術を使えない・・・・・・・マルチェルに尋ね、同意を得た。


「さて、この時裏側で・・・何が起きているか? 術者の『イド』は己の内なる扉を開いて『イデア界』へのリンクをつなぐ」

「『イド』とは?」

「人間の精神的な本質であり、肉体や物質を超越したところにある存在です。それは『心』と呼ばれる物であり、あなたの『自我』でもあります」


 ドイルの口調は論文を発表するような調子を帯びた。彼の中ではあの日以来、何年も続けられてきたことなのかもしれない。


「イデア界とは精神の世界ですか?」

「そうであるともいえるし、それ以上でもある」


 ステファノの疑問にドイルは答えた。ドイルに口が複数あるならば、この瞬間に10人の人間と質疑応答することもできただろう。


「最も短い言葉で定義を与えるならイデア界とは『純粋概念世界』である」

「『純粋概念』……」

「そこでは概念のみが存在する。人も獣も物も現象も感情も……神でさえも。森羅万象ことごとくが等しく大きさを持たぬ『点』である」


 貴族も、魔術師も……。言葉に出さなくとも、そう指弾するドイルの声が聞こえて来るようであった。

 ステファノは、いやマルチェルすらもドイルの言葉に息を飲んだ。


「距離もなければ時間もない。すべてが静止しているとも言えるし、すべてが永遠であるとも言える。それがイデア界です」


「それは……どこにあるのですか?」


 ドイルが息を継いだ隙間に、ステファノは恐る恐る疑問を口にした。聞かずにはいられなかった。


「ふうん。皆それを聞きますね。答えは2つあります。

「『それはどこにもない』。この世・・・の物ではないのでね。この・・現実界には存在しませんよ。

「『それはどこにでもある』。すべての事象はイデア界に居場所を持っているのでね。君の中にも、僕の中にも、それこそテーブルの中にも空気の中にも、森羅万象あらゆる物の中に存在します」

「どこにもないが、どこにでもある……」


「まるで神のようですね」


 教会が聞けば頭から湯気を立てそうな爆弾を、ドイルは平気で落とす。本人は本気で類似性を語っているところが始末に悪い。


「ですが、イデア界へのリンクをつなげるのは魔術師だけです。なぜなのか、仮説はありますが立証できないので最後に語りましょう」


 授業を進めるようにドイルは話を展開した。


「例として『種火の術』を使いましょうか。ステファノもこの術を使ったそうですね。魔術師はイデア界とのリンクをつないだら、因果の「果」を呼びます。この場合は「燃える」という結果のことです」


 あの時、ステファノは始原の光に火魔術の魔力を生み出すように求めた。


「『果』が見つかったらそれにリンクの端を結びつけます。そしてもう一方の端を現実界のどこかに結びつけます。そうしたらそのリンクをこちら側から引っ張るのです」


 炎よ、来たれ。ステファノはそう命じた。


「すると、あら不思議。こちらの世界・・・・・・では何もないところに火がつくのです」


 何もないところに火が起こるから魔術なのだ。


だから・・・魔術師は偉いと連中は胸を張る。自分が何をしているのか説明もできない癖にね。愚かで醜い連中だ」


 ドイルは魔術を憎んだのではない。理解もできず、説明できない現象をあたかも自分の手柄であるように振りかざす人間の愚かさと見苦しさを拒絶したのだ。彼にとってそれは真理に対する冒とくにすら思えたのだ。


「さて、お待ちかねの種明かしだ。なぜ、魔術師だけが魔術を使えるのか? 選ばれた人間だから? 血統のお陰? 違うね。答えはもっと深遠で、そして……残酷だ」


 なぜですかという問いを、ステファノもマルチェルも口にすることができなかった。ドイルの表情には触れる物を凍らせる冷たさがあった。


「答えはね、『偶然』さ。彼らはたまたま『力』の近くにいたに過ぎない。足元に落ちていた剣を拾い上げただけの泥棒さ」


 ドイルはステファノに向き直った。


「ステファノ、僕は君に『万有引力』について語ったことがあるね?」

「はい。すべての物はお互いに引っ張り合う力を働かせていると」

「うん。その通りだね。そして有する引力の大きさは物体の質量に比例すると教えたね?」


 空に浮かぶ天体の運行さえその法則に基づいて計算できると、ドイルは目を輝かせてステファノに教えたのだった。


「イデア界にも『引力』が存在する。原因と結果を結ぶ『因果』のリンク。それは互いに引き合うつながりなんだ」


 原因があるから結果が生まれる。この世界では因果は常に法則に従って発生する。


「その『リンク』をね、魔術師という奴は盗んでいるのさ。たまたま『因』のイデア近くに自分のイドがあったからってね」

「えっ? イデア界には距離がないんじゃ?」

「そう。イデア界にはね・・・・・・・。だが、魔術師のイドは現実界に存在する。この世界の法則はイデア界とのリンクに『距離』の概念を強制するんだ」

「魔術師とイデアの間には距離があると……」


「そう言い換えても良いだろう。そうするとどうなる。たまたま燃焼の『因』に近いところにいた人間は炎という『果』へのリンクを手にしたことになる。そのリンクの一端を引っ張れば、いつでも炎を呼び出せるってわけさ」

「だとしたら、一度使った『因』は力を失うんじゃありませんか?」

「その質問は、イデア界と現実界を混同しているね。現実界ではその通りだ。炎を発すれば『因』は役目を終わる。だが、イデア界には時がない。変化という物がない。『因』は常に『因』として存在し続けるんだ」

「では、何度でも魔術師は同じ『因』を使えるということですか?」

「そういうことさ。都合の良い話だろう?」


 ステファノが「エネルギー保存の法則」を知っていたら、さらに疑問を抱いたことだろう。それではこの世界のエネルギー総量が増えて行くことにならないか? 答えは否であった。どこかで炎の魔術を使えば、「それ以外の世界全体で炎の因果が薄まる」ことにより、この世界のエネルギー総量は一定に保たれる。

 

「魔術師が大切にしている『属性』だとか『魔力の総量』なんていう物も、単なる偶然に過ぎない。たまたま複数の因果がイドの近くにあったり、たまたま『強い因果』が側にあったというだけさ」

「魔術を使えるかどうかはすべて偶然だと仰るんですか?」

「そうだよ。魔術を使える者を魔術師と呼び、使えない者は魔術師ではない。彼らの理屈はそれだけさ。『魔術師でない者を魔術師にする』方法論なんて、どこにも存在しない」

「だったら……」


「だったら、アカデミー魔術学科とは何を教えるところですか?」

「授業の大半は、魔術の種類や性質、その使用法、長所や欠点を教えることに費やされる。魔術の初歩として行われる手解きは、瞑想と『魔力と称する物』の認識に充てられているね」

「『魔力と称する物』ですか?」


「僕には見えない物なんでね。想像でしかないが、それが『イデアの引力』だと思う」


 わかったと思った魔力の秘密が、また霧の彼方に消えて行く。ステファノは途方に暮れる思いがした。

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