第110話 『不思議に見える必然』にこそギフトの神髄あり。

「質問はもう1つあったな。歌う詠唱は一般的な物か否か?」

「はい。マルチェルさんに『誦文しょうもん法』と名づけてもらいましたが、これは昔から行われていた物なのでしょうか?」

「うん。私の知る範囲では例がないな。マルチェルはどうだ?」


 ネルソンに心当たりはなかった。しかし、ネルソンは魔術師ではない。また、「そのような世界」とのつながりも薄かった。


「わたしも魔術師の流儀については詳しくありませんが、むしろ宗教や祭祀さいしの歴史に関わりが深いように思います」

「宗教ですか?」

「そうです。神に捧げる祈り、教えを記した経典の誦唱ずしょうという物は歌うように行うことがあります」

「ふむ。讃美歌という物があるとも聞いたことがある」

「左様ですね。讃美歌とは神の尊さを讃える歌。神に思いを届けるため、人は歌うものかもしれません」

「思いを届けるんですね」


 ステファノは誦文を行った時の光景、あの体験を思い起こしていた。


「自分の場合、神は念頭にありませんでしたが、自分の中の芯にある部分と言葉が共鳴するように感じました」

「大音量の旋律や単調なリズムは精神を酔わせる働きがあるそうです。しかし、ステファノの場合とは違うようですね」

「自分にとってはすべてが現実でした。もし幻覚であれば『誦文式演舞法』であのような動きを示すことはできないと思います」

「確かにそうですね。幻覚の種類によっては普段以上の力を発揮することがあるようですが、人から見れば酔ったように見えると聞きます」


 マルチェルは口を閉じて、考えに集中した。やがてネルソンに向かって問う。


「旦那様、医療の世界で暗示が効果を示す場合があるとのことですが?」

「ああ。暗示が効力を発揮すると痛みを感じなくなったり、逆にある刺激に敏感になったりすることがあるそうだ」

「自己暗示という物があるそうですね?」

「暗示とは術者が対象者に掛けるものだが、対象者が自分自身に暗示を掛けることもできる」


「ステファノの誦文が自己暗示の効果を持つ可能性はないでしょうか?」

「自己暗示か……。否定はできんが、それだけでは現れた現象の説明がつかんな。何よりも『誦文』の意味をステファノは把握していない」

「確かにそれでは暗示する内容が不明確ですね……」


 今度はネルソンが自分の考えに集中した。黙考暫し。やがて口を開いた。


「やはりあの男に聞くのが正解だな」

「あの男でございますか?」

「そうだ。ドイルが鍵を握っていると、『テミスの秤』が告げている」

「それは……ありそうなことでございますね」


 腑に落ちたという顔でマルチェルは頷いた。


「しかし、旦那様。こうなってみると、ステファノがドイルと出会っていたという事実が違う意味を持って参ります」

「そのことだ。偶然の出会いというには都合が良すぎる。エバとのこともあるしな」

「ステファノの周りに不思議が生じていると考えるべきでしょうな」

「あるいは――『不思議に見える必然』が働いているのやもしれん」


「不思議に見える必然……」


 ステファノはネルソンの言葉を繰り返し、その意味を考えようとした。


 不思議とはこの場合どの部分であろうか?

 ドイルがネルソンとステファノの共通の知人であったことか? ドイルが何人の知人を持っているか知らないが、「共通の知人」を持つこと自体が不思議であるとは思えない。世の中は共通の知人で一杯のはずだ。


 この場合の不思議は、「(ドイルという)共通の知人を持つネルソンとステファノが、『偶然』出会った」ということにある。

 ネルソンとステファノに共通項が少ないために、出会ったことが不思議だと思えるのだ。


 住んでいる町が違う。住んでいる世界(階級)が違う。職業が違う。年齢が違う。

 相違点が多い。多すぎると感じてしまう。


 それでありながら2人は出会い、共通の知人を発見した。それで「不思議」と感じるのではないか?


「旦那様、この場合の不思議は自分があの馬車に乗り合わせたことに尽きるのではないでしょうか?」

「何だと?」

「それが出会いを決め、旦那様に『天の配剤』と言わせた出来事の根っこにあります」

「そう……なの、か?」


 ネルソンも時を遡って出来事を追った。毒殺未遂事件からの出来事、その流れの中でのステファノとの出会い。なぜそれを「不思議」と思ってしまうのか?


「お前の言う通りかもしれん。考えてみれば、それ以外の部分に『不思議』はない」

「もしそこに『必然』の存在を疑うとするならば、『何かの力が、自分にあの馬車を選ばせた』ということになります」

「お前自身には『選んだ』という自覚はないのだな?」


 ステファノにその自覚はない。17歳の誕生日以降であれば、いつでも、どの馬車でも良かったのだ。


「どれでも良いのに、『あの馬車』を選びました。そこに何かの力が働いたとしたら、それは自分のギフトであるか、旦那様のギフトなのではないでしょうか?」

「あるいは、その両方か?」


 マルチェルが口を挟んだ。


「お前のギフトは旦那様のギフトに似ている。人や物に将来の可能性を見るのでしょう。その能力が無意識のうちに働いてあの馬車を選ばせたとしたら、どうでしょうか?」

「ギフト持ちはギフト持ちを引きつける……」

「似たギフトを持つ物同士であれば、引きつける力は普通より強くなるのではありませんか?」


 ああ、そうか。それならば。

 しかし、そんなに条件が揃うことがあって良いのか?


「考えたら、旦那様だけではありませんでした」

「何のことだ、ステファノ」

「あの馬車にはガル老師も、クリードさんも乗っていたではありませんか」

「そうか!」


「ガル老師はもちろんですが、おそらくクリードさんもギフト持ちに違いないでしょう。二つ名持ちの異能と元貴族という出自。条件は揃っています」


 クリード自身が元貴族と名乗ったわけではないが、ネルソンやマルチェルの態度は明らかに彼を貴族出身者として扱っていた。そして「貴族の世界を知っている」と言ったあの言葉を思えば、貴族の家に生まれた人間と考えるしかなかった。


「3人のギフト持ち。2人のギフトは特別に強力な物。残る1人は系統の似たギフトを持っていた。なるほど、それならステファノが引きつけられたと考えるのに、『何の不思議もない』」


 ネルソンの推論を聞きながら、なぜかマルチェルの顔が青ざめていた。


「もしそうなら……。そうであれば『不思議』はなくなります。なくなりますが、馬車を選んだのはステファノです。旦那様でも残りの2人でもありません。数ある馬車からあの1台を引き当てたステファノのギフトとは、どれほどの予見力を持っているのでしょう?」

「むう……。想像がつかん。見てもいない馬車を引き当てる力とは……」

「もしそうなら、正に『千里眼オール・シーイング・アイ』」


「千里眼」。その古風な響きがネルソンのと胸・・を衝いた。


「まだ確かなことは言えないが、また一つステファノについて秘さねばならぬことが増えたな」

「旦那様……」

「うかつなことが漏れれば、ステファノが飼い殺される」

 

「えっ?」


 今度はステファノが驚きの声を発した。


「誰でも未来のことを占いたいものだ。戦の成り行き、商いの行く末。それらを知ることができれば地位を得、財を為すことができよう。お前は欲にまみれた者たちのおもちゃにされる恐れがある」


 ネルソンの予言は、明確なビジョンとなってステファノを襲った。狭くて暗い部屋に押し込められ、鎖につながれた自分が見える。

 ステファノはぶるぶると震えながら、かぶりを左右に振った。


「恐れるな、ステファノ。このことはここにいる人間の外には漏れぬ。忘れるな、ステファノ。ジュリアーノ殿下と我らギルモアがお前の背後にいることを」


 ネルソンは封印していた「ギルモア」の名をあえて名乗り、ステファノの肩に手を置いた。

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