第95話 鉄壁は堅きに非ず。疾きにもなし。

 男の意識の中では、短剣を引いたつもりはない。彼はあくまでも「突こう」としたのだ。


 当然だが、「引かなければ突きは出せない」。


 男は完全にマルチェルに呼吸を操られ、攻撃しているつもりでマルチェルを引き込んでしまった。


 引き戻した短剣を突き出そうと腕に力を込めたところで、マルチェルは静止した男の手首を取り、逆の手で肘を内側から押さえる。

 男の腕、そして起点となる肩と腰は、短剣を突き出す動きを止められない。


 半身になったマルチェルは相手の手首を斜め下に引き出しながら、腰を起点とした回転力を肘を押し下げる力に変換する。


 またも空気投げが決まり、男の足が床を離れぐるりと宙を舞う。


 足元は固い木の床だ。叩きつけられた男は、全身を打って昏倒した。


 投げ技は恐い。パンチ一発で人が倒れることは滅多にないが、投げ技には人間一人の全体重が必ず載る。

 堅い床に落とされれば、こん棒で殴られるのに等しいダメージを受けるのだ。


 残るは4人。レイピアが2人、短剣が1人。そして短杖ワンドを手にした魔術師が1人残っていた。


 と、短剣の男が敵わないと見て、武器を捨てて逃げ出した。


「ほう。賢い奴も中にはいますね。逃げるなら追いませんよ?」


 口では言いながら、マルチェルは3人の様子を観察した。どうやら、他の手下とは違い、この3人は1つのチームとして動けるようだった。


「大した拳法家だ。なまじ有象無象が間に入ると邪魔になるからな。俺達3人になるのを待っていた」


 親玉らしい魔術師が勿体をつけて口を利いた。


「……自信があるようですね。そちらは3人でレイピアが2本もある。こっちも短剣くらい拾っていいでしょうかね?」


 マルチェルの足元には逃げた男が放り出した短剣が転がっている。


「ふん。好きに――」


 言い掛けた男の機先を制して、マルチェルはレイピア持ちの1人に襲い掛かった。

 だが、これまでの戦いを見て来た相手に油断は無かった。


 間合いに飛び込まれる前に素早く後退する。そこへ、もう一人がレイピアを打ち込んで来た。

 細身の刃は速く、鋭い。避けにくい胴を狙って突いて来る。だが――。


 それすらもマルチェルの誘いであった。ピンポイントに刺す標的を置いてやり、敵の行動を限定する。

 ステファノに実演して見せた「呪」の応用であった。


 レイピアは刺突用の剣である。突きを始めてしまうと剣の軌道を変えることはできない。

 放たれた矢と同じことであった。


「遅い」


 腹を貫いたはずのマルチェルに耳元でささやかれて、体が伸び切った男は突きの姿勢のまま硬直した。


 マルチェルの鋼鉄のような肘が延髄めがけて落ちて来る。


「炎よ!」


 詠唱を省略した火魔術がマルチェルを包む。人の形に炎が吹き上がった。


「ぐわああーーっ!」


「劫火よ、焼き尽くせ!」


 魔術師は炎が天井を焦がすのも構わず、さらに魔力を振り絞った。

 火だるまとなった人影が、狂ったように踊り回り、やがて勢いを失って倒れた。


「かわいそうじゃないですか?」


 耳元の声に、魔術師はのけ反った。


「金で雇ったにしても、味方でしょう? 同士討ちはひどいでしょう」


 火魔術を浴びたはずのマルチェルが横にいた。


「言ったでしょう、遅いって? 狙いの変えられない攻撃など、剣でも魔術でも同じことですよ。狙った場所にいなければ良いんですから」

「あ、代わりにお味方を置いておいたのはわたしの悪戯です。燃やす物がないと退屈でしょう?」


 炎が消えると、焼けただれて倒れていたのはレイピアでマルチェルに突き掛かった男だった。


「室内で火魔術は感心しませんよ。大した威力じゃなかったので火事にはなりませんでしたが。暗がりで火なんか使ったら、目が利かなくなるでしょうに」


 まともに火を見詰めてしまった魔術師と、もう1人のレイピア使いは瞳孔が収縮して夜目が利かなくなっていた。


「ユリウスは……」

「あっちはユリウスという名ですか? そこに倒れていますよ。目がくらんでいる間に、首を絞めておきました」

「ば、馬鹿な……。その歳で、その速さで動けるとは?」


「今日は良く歳のことを言われる日ですね」


 魔術師の首を絞めながら、マルチェルはこぼした。


「『速さ』ではなくて『早さ』が大切なんですが……もう聞こえていませんか」


 ごきりと腕の中の首が音を立てた。マルチェルが手を離すと、死体に変わった魔術師が砂袋のように床に落ちた。


「鉄壁は堅きに非ず。きにもなし。起こりを止める備えなり」


 マルチェルの呟きを聞く者はいなかった。


「尊師の遺訓を安っぽくしないで頂きたいものですね」


 ぼやきながら、マルチェルは魔術師の死体を担ぎ上げた。

 こんな風・・・・になりたくなければ、洗いざらい白状しろとジェドーに見せてやるためだ。


「2軒分の後始末はさすがに気が滅入りますね……。いっそ家ごと焼いてもらえば良かったでしょうか? いやいや、近所に延焼したらご迷惑ですね」


 ぶつぶつ言いながら奥へと進み、灯りのともった居間を見つけたマルチェルは、にんまりと微笑んだ。


「ジェドーでしたね。お話・・をしに来ましたよ。これは手土産というところです」


 どさりと死体を床に投げ落とす。


「朝まで時間はたっぷりあります。知っていることを洗いざらい話してもらいましょうか」

 

「おやおや? 今日は随分と『お漏らし・・・・』に縁のある日ですね――」


 ジェドーの供述書は10ページどころでは収まらなかった。


――――――――――

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。


 「面白くなってきた」「ステファノ達の活躍をもっと読みたい」と思われた方は、よろしければ「作品フォロー」「おすすめレビュー★評価」をお願いいたします。(「面白かった」の一言でもありがたいです)


◎作品フォロー:https://kakuyomu.jp/works/16816927863114551346

◎おすすめレビュー:https://kakuyomu.jp/works/16816927863114551346/reviews

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る