第76話 白百合の騎士。

「当時は今よりも世の中が荒れていた時期でした。国境での小競り合いなどは日常茶飯事でしたね」


 どちらの軍も本気で攻め込むつもりはない。俗に言う「一当ひとあてあてる」という動きである。

 数名から数十名の部隊が中間地帯に繰り出し、敵を挑発して、相手が出て来たところで双方やり合うのだ。


 応じる方は相手の数を超える兵を出すことは恥とされていた。


「勝ったの負けたのと、無邪気なものでした」


 だが、飢饉や天変地異が起きると、そうは行かない。

 敵の村を襲い、略奪しなければ多数の人間が飢え死にするのだ。


「飢え程恐ろしいものはありません」


 素手で敵陣に平然と殴り込む男が、隠すことなく戦慄していた。


「10日も食わずにいれば、人は人ではなくなります」


 虫であろうと、木の皮であろうと、口に入る物は何でも食らう。

 たとえ、「人」であろうと……。


「飢えた敵兵は『死兵』となります。負けて帰れば飢えて死ぬだけなのです。突かれても斬られても、彼らは引きません」


 やせ衰えた体である。1人1人が強い訳ではない。

 だが、死を恐れる者がいない集団は強い。1人が敵にしがみついている間に、別の1人が味方ごと刺し殺しに来る。


 強兵で知られるギルモア軍が総崩れとなって敗走することもあるのだ。


 ある戦でマルチェルは乱戦の中、味方である騎士隊とはぐれ、敵中を徒歩で撤退した。泥水をすするような苦しい逃避行であったが、生き残った彼は自分が幸運であったことを知った。

 

 同僚騎士たちの騎馬は人目を惹き、鎧は重荷となった。


 身につけたわずかな食料を狙って。あるいは馬を食料として奪い取るために。

 武装すらしていない農民が、農具やスコップを手に物陰から敗残兵に襲い掛かった。


 内地の要塞に命からがらたどり着いてみると、マルチェルの分隊は1人残らず帰らぬ人となっていた。


 身も心も疲れ果てて、軍人墓地の一角に立てられた粗末な墓標の前で、マルチェルは泣くこともできずに立ち尽くした。

 孤児として育ち、間諜として飼われていた彼が家族と呼べるのは、背中を預け合った戦友だけだった。


 それももうない。


「何もかも……もう、どうでもいい」


 祈る言葉さえ探せずにいると、目の前に年端も行かぬ少女が現れた。

 その手には野の花で編んだ冠があった。


「あった! 兵隊さんのお墓」


 少女は手に持った花冠を墓標に飾ろうと背伸びをした。しかし、精いっぱい踵を上げ、手を伸ばしても花冠は届かない。


「う、うーん。ダメ、できない。どうしよう」


 周りを見回す少女と目が合った。


「あのね。兵隊さんにお花を上げたいの」


 戦塵にまみれたまま汚れも落としていないマルチェルを見て、少女は物おじせずそう告げた。


「あ、ああ」


 一瞬茫然としたマルチェルだが、少女の意図を知り背中に回って少女を地面から持ち上げた。


「これなら届くわ。うん。できた!」


 墓標に花冠を掛けた少女を下ろしてやると、祈りを捧げた後に彼女は淑女の礼をした。


「ありがとう。……あなたも兵隊さん?」

「さあ……。その1人でしたが、今ではもう守る仲間もいません」

「そうなの? かわいそうね。きっと寂しいに違いないわ」


 少女はポケットをまさぐると、白いハンカチを取り出した。


「これは秘密のものだから、誰にも言ってはいけないわ。助けてくれた・・・・・・あなたに上げる」


 渡されるままにハンカチを開いてみると、焼き菓子が1つ入っていた。


「お城に帰れなくなったら食べようと思っていたの。でも、あなたの方がおなかが空いているでしょう」

「これを……自分に」

「そうよ。だから、お城までお供をして下さる? ……本当は、帰りの道がわからないの」

「……はい。ギルモア家騎士隊第2分隊『鉄壁』のマルチェルがお供いたします」


 マルチェルは焼き菓子を胸に頂き、跪いて騎士の礼を執った。


 少女は野辺の百合を手折り、それで彼の肩に触れた。


「『てんぺき・・・・』のマルチェル、そなたをわたしのナイトとします」

「イエス、ミ・レディ」


 それがマルチェルとソフィアの出会いであった。

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