第57話 命のやり取り。

「サトリのお化け?」

「何ですか、それは?」

「……。田舎の昔話だ」


 ネロは顔を赤くして、それきり口を閉ざしてしまった。


 後になってアランが苦労して聞き出してみると、サトリとは人の心を読む化け物だと言う。山奥に住み、真っ黒の毛に身を覆われ、人語を解するという言い伝えであった。

 考えることを次々と言い当て、最後には人を食い殺してしまう妖怪だと言う。


 それを聞いて、ステファノは何とも言えない気持ちになった。


 エリスが戻って来た所でお茶会となった。

 ネルソンの所で飲んだ物には若干及ばないが、こちらも香りの柔らかい甘みのある茶であった。


 ソフィアはそれにたっぷりのミルクを入れて飲む。


「さて、落ちつきました。わたくしは殿下のご様子を伺いに参ります。皆はネルソンが来るまで、ステファノの相手をしてあげなさい。館のことなど、聞きたいことがあるでしょうし」


 静かにカップを置いたソフィアは一人立ち上がった。


「エリスは残りなさい。あなたも座って寛ぐと良いわ」


 全員立ち上がってソフィアを見送る。


 ドアが閉まると、騎士の2人がソフィアの後に座り、エリスは騎士たちが座っていたソファに腰を下ろした。


「はぁー。何だか頭がくらくらする」


 エリスは額に手を当て、顔をしかめた。


「おい……。気を緩めすぎだろう」

「だって、とんでもない話ばっかりで、疲れちゃいました」


 アラン達はジュリアーノ王子の陪臣であって貴族ではない。エリスや館の奉公人とは親しいつき合いをしていた。


「それは俺達も同じことだ。それでも俺達はソフィア様のご命令でいつでも動けるようにしておかなければならない」


 アランがエリスの態度を注意する。


「そうですけど……。あたしはネルソン様の使用人ですから、王子様にお仕えする皆さんみたいにご立派じゃないんです」


 アランとネロは、エリスから見ると2歳年上であった。歳の近い兄貴分のような存在であり、ふとした時に甘えが出た。


「そう言うな。俺達だけでは警護の手が回らぬ。屋敷の使用人が助けてくれなければ何もできないのだ」


 公私の別に厳しいヨハン国王が王子のために王立騎士団や近衛兵を動かすことは無い。王宮内ならいざ知らず、他出先の警備は大きな弱点であった。


「まさか殿下の命が狙われるなどとは、誰も考えなかったのだ。盲点であった」


 今回の旅がお忍び・・・つまり私的な旅行であったことが災いした。公務であれば、堂々と騎士団から護衛を派遣することができたのだ。

 外聞を気にせず、「公務にしてしまえば良かった」のだ。地方領の巡視など、名目はいくらでもつけられた。


「過ぎたことを悔やんでも始まらぬ。ステファノの働きで賊の手口も割り出せた。我らは警備に徹するのみだ」

「そうなんですけどね。今も狙われてるかもしれないって思うと、怖くて……」


 エリスは両腕で体を抱え込むようにして、俯いた。


「影に怯えていると、余計な力を使って疲れるだけですよ」


 エリスを気遣って、ステファノが声を掛けた。


「ゆっくり呼吸して、数を数えるといいですよ。ひとーつ。相手はよそ者で手下を雇うことしかできません。ふたーつ。チンピラでは館を襲うには力不足です。門を閉じて守りを固めていれば問題ありません。みーっつ。魔術師は二流しか雇えません。食材をしっかり守れば安全は確保できます」


 意識に刷り込むようにステファノは語り掛けた。独特の抑揚がエリスの脳裏に浸透して行く。


「ふ、ふぅー、ふぅーー。ふぅーーー。あぁ、少し落ちついた気がする」


 震えていたエリスの手が温度を取り戻した。20歳はたちの女性が命のやり取りに晒されることなど、そうそうないのだ。


「ありがとう、ステファノ。あなた、人の気持ちがわからない訳じゃないのね?」

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