12 命がけ

 商人が小声で言う。


「つけられているな」

「えっ!? どこ!?」

「振り返るな。後ろだ」


 少女は振り返りかけて、ぐっとこらえる。


「振り返らないでどうやってわかるの……? スキル?」

「音や気配だ。それに、ガラスや鏡があるだろう?」


 道沿いには割れたガラスや車の残骸が点在している。

 少女は曇った車のミラーに目を凝らす。

 背後にチラチラと動く影が見える。


「いたわ……。一人……二人?」

「三人だ。さっきの連中だな」

「えっ? でも、攻撃しない約束よね?」

「そうだ。だが今は攻撃されているわけではない。通行を妨げてもいない」


 契約は破られていない。

 ただ後をついてくるだけであれば、契約外のことだ。


「そうだけど……気持ち悪いわね」

「無視しろ。道を外れるな。手を出すな」


 攻撃しないという契約はこの道の上だけで有効だ。

 別の道や建物では契約外となる。

 道から外れたところで襲われれば、契約は商人たちを守らない。



「さて、ここらへんでいいだろう。出てこい」

「……気づいていたか。ま、どっちにしたってやることは変わらねえ!」


 先ほどの盗賊グループの一員、不満を口にしていた男だ。

 もう一人の男も姿を現す。

 三人目は姿を見せない。


「一応言っておくが、さっきの契約はお前たちの代表者と結んでいる。お前もその対象だ」

「知ったこっちゃねえ! あいつが勝手に言ってたことだ。なんなら、俺にも魔石を払うか? 五百でどうだ?」

「へへ! それがいいぜ! 二人だから千だな!」


 男達はあざけるような表情を浮かべている。

 少女は怒りをあらわに言う。


「ちょっと! さっきあんた達も頷いていたでしょ!? リーダーに怒られてビビってたくせに!」

「ああ!? 何だとこの女!」


「……この道の通行については契約済だ。二重の契約はできない」

「てめえも余裕こいてんじゃねえぞ! 半殺しにして【収納】の中身をいただく! なに、すぐに殺してくれって泣いて頼むことになるぜ!」


 殺せば【収納】の中身を奪うことはできない。

 だが、本人の意思でなら引き出すことはできる。

 脅して引き出させることはできる。


 男は剣を抜いて、刃をひけらかしながらすごんでみせる。

 商人は表情を変えずに言う。


「同じ内容の交渉はしない。……だが、賭けをするか? 簡単な賭けだ。賭け金は魔石二千だ」

「なっ……! にせん、だと!?」


「一分以内に俺を殺せたら、お前のものだ。できなければ、同額を支払ってもらう。俺は逃げも隠れもしない。攻撃もしない。攻撃をしかけた時点で、合意したものとみなす。簡単だろう?」


「お前……馬鹿なのか? 逃げも隠れもしない? 第一、死んだら支払えないだろうが!」

「では、これでどうだ?」


 商人は魔石の入った大袋を取り出し、足元に置く。

 袋から魔石がこぼれ、道路上に散らばる。

 きらきらと輝く魔石は本物だ。


 男はそれを目にして、生つばを飲み込む。

 これは大金だ。盗賊としてすぐに稼げる額ではない。


「そっちのお前はどうだ? でも構わないぞ。一人当たり二千だ」


 商人は姿を見せていない三人目が隠れ潜んでいるあたりにちらと目線を送る。

 【隠密】スキルで隠れている男は、押し黙ったまま動かない。


「ちょっと、商人!? なにあおってるのよ!」


 商人はさらに魔石の大袋を積み上げる。

 男たちが目の色を変える。


「馬鹿にしてんのか、てめえ!」

「おい、俺はやるぜ! 死んで後悔しろ!」


 男達が武器を抜く。


「賭けは成立したな。さあ、かかってこい!」


 商人は無造作に前へと歩き、男達との距離を詰める。

 動揺する少女をかばうように前に立つ。


「てめえ、死んで後悔しな! パワースラッシュ!」

「くたばれ!」


 男が剣のアクションスキルを発動させる。

 もう一人は投げナイフを投擲する。

 だがどちらも、商人には届かない。


「なにっ!? 逃げも隠れもしないっつったろうが!」

「避けてんじゃねーぞ!」


「あたしは後ろから見ていたけど、商人は動いていない。勝手に攻撃を外した? ……まさか、ってこと!?」


「俺は動いていない。さあ、残り三十秒だ」


「くそっ! そんなバカな! ファストスラッシュ!」

「そいつがダメなら、女を!」


 商人を狙った素早い斬撃は、空中で動きを止める。

 いくら男が力を入れても、びくともしない。


 少女を狙って投擲された投げナイフも、軌道を変えて後方へと消える。


「残り十秒だ」

「くそおおお! なんなんだこれはっ! こんなバカなことが!」

「お、俺はずらかる……こいつは何かヤバい!」


 男の一人は執拗に剣技を繰り出している。

 だが、攻撃が当たることはない。

 攻撃しないという契約は、しっかりと商人たちを守っている。


 もう一人は攻撃をあきらめ、背を向けて逃げ出した。


「あっ! 逃げるわよ!」

「放っておけ。残り三、二、一」


 ゼロ。

 賭けの時間である一分が経過する。

 商人は生きている。

 賭けの勝敗が確定する。


「うぐっ……力が抜ける……!」


 男は膝をついて、腹をおさえる。

 腹のあたりから、じゃらじゃらと音を立てて魔石がこぼれ落ちる。

 男はあふれる魔石を手で押さえて止めようとする。

 だが、湧き出す魔石は止まらない。

 男の命を価値に変え、あふれ出し続ける。


「がはっ……俺の、命が……! こんな、バカな……」


 男は絶命する。

 その身体が塵へと還る。

 この世界では、人間も死ねば塵と消える。

 人もモンスターも平等に、塵になるのだ。


 逃げ出した男も、同じ運命だ。契約からは逃れられない。

 逃げた男も地面に倒れ伏して動かない。



「あんた……最初っから相手が勝てない賭けをしかけたわね! なかなかエグいじゃない!」

「俺は条件を明示した。奴らはそれを承諾した」

「公平ってワケ? いえ、最初の契約を破った時点であいつらはもう負けていたのね」


「さてな。……ところで、あんたはかかってこないのか?」


 三人目の男が【隠密】を解いて姿を現す。

 誰もいなかったはずの暗がりに、突然現れた男を見て少女が驚く。


「あっ! そういえば三人って言ってたわね」

「……一応、隠れているつもりだったんだがな」


 隠れていた三人目の男は頭を掻きながら続ける。


「俺は手を出すつもりはない。リーダーに言われて様子を見ていた。これは、こいつらの独断であって俺たちの意志ではない。俺たちはあんたに手は出さない。契約は継続していると考えていいか?」


「ふむ。かまわない。あんた達との契約は続く。それで、お前はどうする?」

「俺は帰ってリーダーに報告するよ。二人とも死んだって、ね!」


 三人目の男は懐からナイフを取り出して、投擲する。

 空を裂いて飛んだナイフは、狙い通りの場所に命中する。


 逃げ出した男……死んだふりをしていた二人目の男が短い悲鳴を上げる。

 男が絶命して塵と化す。


 三人目の男は、何事もなかったように続ける。


「これであんたをわずらわせることはない。この件は手打ちにしてもらう。いいか?」

「ああ」


 商人は頷く。

 男が立ち去り、姿を消すのを見送る。


 相手に戦意がないのなら、戦う必要はない。

 隠密の男や盗賊達がどうしようと、商人は興味のないことだった。

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