バルカン文芸 合同同人誌寄稿 『ウォーターサーバーの怪』

ウォーターサーバーの怪①


 備蓄をした方がいいのかもしれない、と考え出したのは、先月に少し大きな地震があったためだ。幸い、僕と桜井の住む地域には大きな影響はなかった。それでも、数日は水道や電気が止まるニュースを見ると、いざという時の用意がないことは不安になる。それに僕は、ニュースを見ている時に避難所の場所を知らないことに気がついた。

 桜井との同居は、一人暮らしよりは心強いが、親元を離れた男二人暮らしで、非常事態が起きた時は慌てるだろうから。それからもうひとつ、要因がある。

 遅めの夕飯の最中その話をすると、桜井は半額の金平ごぼうを飲みこんで、箸の先で軽く話を促した。余島、と僕の名前を呼ぶ。

「……檜木って、あの檜木か? 同じゼミだった」

 うなずくと、桜井はふうん、と形のいい瞳を向けていった。



 僕は仕事帰りに、近所のスーパーに立ち寄った。桜井とは大学時代から同居をしているが、引越しの際にいつも条件に入れるのは、「スーパーが近くにある」ということだ。今住んでいるマンションも、家族住まいの多い物件で、交通の便も良い。何よりも桜井が気に入っているのは——事故物件ではない、ということだろうけれど。

 地域密着のスーパーは、他の全国展開をしている店舗に比べると、変動があるといえど、財布に優しい価格設定だ。僕たちはご贔屓にしている。

 この日は桜井とは帰宅時間が合わずに、僕だけで買い物に来ていた。定時を少し過ぎた時間は、主婦や僕と同じような、会社帰りの人間が多く見られた。日が落ちていく様子が窓越しに広がる、緩やかな疲労が蔓延するこの時間帯が、僕はけっこう好きだ。

 惣菜と、週末用の酒類を買う。飲料のコーナーに差し掛かり、例の、大学の同期生を見かけた。


 檜木は同じゼミだったから、話さないわけではなかったが、僕は別段、仲が良いいわけでもない。どちらかといえば、桜井の方が親しかっただろう。明るい茶髪で、派手なパーカーをいつも着ていた印象があったが、久々に見た彼は、黒髪になり、僕と似たり寄ったりのスーツを着ていた。すぐ檜木だと気がつけたのは、彼が僕を覚えていたからだった。僕を見るなり、おお、と手を上げた。

「余島、よな? え、この辺住んでんの? てか全然変わってないな!」

 僕はこういう時、よく「変わらない」と言われる。言われすぎて、いつも複雑な気持ちになる。けれど怒るほど気に障ったわけでもないし、ほんのちょっと苦く、笑うことしかできない。

 形式的なあいさつの後は、取り留めのない話が続いた。今の仕事は何をしているのか。檜木は某大手を狙っていたが、その子会社の営業になったのだ、と話した。余島は何やってんの。僕は事務。これもまた、距離のある知人の形式的な会話——その二。

 それよりも僕が気になっていたのは、彼のカートの、カゴの中身だった。

 カートに乗せたカゴには、大量の水が詰められている。二リットルの大きいものから、五百ミリリットルの通常使いのものが、隙間もなく、ぎっしり。それにカートの下部分にも、水のブランドの名前が書いてある、段ボールが入っている。


「そういやお前、まだ桜井と一緒に住んでんの?」

「え? あ、ああ、うん……」

 意識をカートからそらし、慌てて話に乗った。

「へーえ」


 檜木は僕のことをじろじろと好奇心を向けるように見ている。「相変わらず仲良いんだな」と口にするけれど——これは僕の悪い癖なのかもしれない——言外に「うたぐり」を感じずにはいられない。

 僕と桜井はそういう仲じゃあない、と、聞かれてもないのに弁明をするのは、おかしい。僕はうん、とだけ頷いた。

「じゃあさ、今もやってんの?」

 唐突な檜木の言葉に、僕は目をあげる。「……え、何を」

 彼がカートを揺らす。カートの中の、2リットルの水がバランスを崩して、べごんと鈍い音を立てた。

「コワイ話集め」

「いや、集めてるってわけじゃ……」


 大学生のある一時期、僕と桜井の身の回りには、妙なことが起きていた。僕も桜井も、「コワイ話」が好きなわけではないし、幽霊や怪異なんていうのも得意ではない。それなのにどうしてか、僕たちはことあるごとに、小さな——普段ならば、見過ごしてしまいそうな小さな違和感から、怪異に巻きこまれていた。

 僕らがあまりにも「そういうこと」に遭遇することが多いから、同期生の間では「オカルト好き」と認知されていた。檜木もその認知をしていた一人で、夏になれば彼から面白い怪談のネタはないかと聞かれたりした。

 そんなことを思い出しながら、ないよ、と答えて、ペットボトルの乱反射を見つめた。



「で……なんで、備蓄になるんだ」

 僕のぽつぽつとした話を聞き終え、桜井は食べ終えた皿を台所に運びながらそう尋ねた。

「いや、水をたくさん買っていたから……それくらい必要なのかなって」 

「ふうん」

 桜井は洗った皿の水切りを済ませて、僕と向かい合うように腰を下ろした。じっと僕を見据える。黙っていると月9のメイン俳優みたいな顔だ。

「本当にそれだけか?」

 僕はどきりとした。その通り、僕の本題は、備蓄の話ではなかった。

 桜井はいつも僕が言いたいことを、少し先回りして待っている。僕はすっかり、それに甘えっぱなしだと思う。

「……量が、多すぎるなって思ったんだ。檜木、一人暮らしなんだって」

「俺は実際見てないから、なんとも言えないけど……水道水が嫌なら、ウォーターサーバーなんかもあるし……第一、ネットで買えばよくないか?」

「ああ、確かに……聞けばよかった」

 そうは言うけれど——僕は、彼がそこに思い至らないのだ、と、直感で思っていた。

 人には、言いたくないこともある。踏みこまれたくないこともある。そして、気づいていないうちに、日常の境界を超えていることがある。僕はそれを、よく知っている。

「気になるのか?」

 桜井の声に、伏せていた目を上げる。

 僕は押し黙った。しばらく、沈黙が降りる。ふいに視線を向けると、桜井は呆れ顔のような、しかめ面のような——とにかく僕に非難する表情だった。


「……余島、お前まーた妙なことに」

「わ、わかってるよ……けど」

 けれど、と僕は座り直し、桜井に向き直った。

「妙なことになってるのは、檜木かもしれないんだ」

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