第23話
「──ッ!」
高瀬の両腕にびりりと衝撃が走った。
しかし、それは松岡も同じだったようだ。
振り切った剣を両腕で構えながらも、その腕は小刻みに震え、表情は苦悶に満ちている。
呼吸を整える。
先に息が上がってしまえば殺られるだろう。
高瀬は何度か深く息を吸いながら間合いを詰めた。
「ふん!」
高瀬は一気に
しかし、硬い金属音と共に薙ぎ払われる。
そしてその次の瞬間、高瀬の頬に鋭い痛みが走った。
「惜しい」
松岡はそう言うと舌なめずりをした。
頬を、血が伝う。しかしそれは却って高瀬の血を沸騰させた。
「テメェだけは許せねぇ……」
高瀬は
戟を右手で押すように突き出し首を狙う。
松岡はそれを素早く避ける。そして高く上げた剣を振り落とした。
「させるか!」
高瀬は
2人の顔の前で、互いの得物が交差した。
息が感じられるほどの距離で、松岡がくつくつと喉を鳴らして笑った。
「あなたは武神だ。どうです? 楽しいでしょう。ゾクゾクするのではありませんか?」
「変態だな、アンタ」
高瀬は腹に力を入れ、松岡を押し返した。
「人の苦しむ表情は実に美しいですよ。そこには生への執着が見える。私にはその瞬間が最も輝いて見えます」
「なんだと?」
狂っている。
いや、これがこの男の真の姿なのだろう。
破滅と滅亡を司り、人を喰らう鬼神、羅刹天の──。
「あなたもご覧になるがいい」
そう言うと、松岡は握っていた剣の
そこから千枚通しのような一本の細い剣が現れる。
松岡はそれで高瀬を指した。
「苦しみ、生に縋りながら消えていく命の美しさに──、悶えるがいい!」
「な──!」
鋭く光る剣は、歩道で座り込んでいた遠子の顔面に向かって放たれた。
「きゃあぁぁぁぁ!」
「水野さん!」
大沢が走る。
しかし、あまりに遠すぎる。
「逃げて!」
遠子は凍り付いたように動かない。
間に合わない! このままじゃ!
どうか! 避けて──!
ドッ──。
肉を突く、鈍く短い音。
「そんな……」
大沢は顔色を失った。
「ぐッ……」
「高瀬さんッ!」
大沢に支えられ、高瀬はゆっくりと地面に膝をつく。
その胸には、松岡の投げた短剣が深く突き刺さっていた。
「クッソ……野郎……ッ」
「高瀬さん、抜いては駄目です!」
胸に刺さった短剣を抜こうとする高瀬を、大沢は制止した。
抜いてしまっては大量に出血する。
そうなったら──。
「まさか、自分が盾になるとは。毘沙門天ともあろうお方が、随分とお優しくなられた。それとも愚かになられたのか」
松岡がにやりと口の端を上げる。
「貴様!」
「高瀬さん!」
立ち上がり、松岡に向かって行こうとする高瀬を大沢は抑えた。
「っは……」
「お願いです。動かないで」
高瀬の顔が痛みに歪む。体が熱い。鎧が炎に炙られているせいだけではないだろう。血が、たぎっているのだ。
「テメー……。マジ許さねぇ……」
智焔剣を担いだ千里が、高瀬と大沢を背に庇うように立つ。
松岡は千里を見遣ると、まるで旧知の知り合いにするように片手を上げた。
「これはこれは。鬼龍院千里」
「気安くその名で呼ぶな」
「ふふ。相変わらず気が強いね。その気の強さゆえかな? あの時、私の顔を見ていながら、誰にも話さなかったろう」
忘れるはずもない。
炎がうねる中、幼い千里に馬乗りになって首を絞めてきた松岡。
炎に照らされ、はっきりと見た。
この、狐のような眼を。
「お巡りさんに捕まえて貰おうとは思わなかったのかね?」
「ナメてんのか」
千里はぎろりと松岡を睨む。
「極刑になったところで、俺の手でアンタを送ってやれねぇから黙ってたに決まってるだろ」
「なるほど。実に勇ましい」
松岡はくすくすと笑っている。
千里は智焔剣の切っ先を松岡に向けた。
「アンタには随分と遺恨がある。ここで綺麗に清算といこうぜ」
「いいでしょう。あの日送って差し上げられなかった地獄へ。今度こそ連れて行って差し上げますよ」
松岡は余裕の笑みを浮かべている。千里は湧き上がる怒りを全て智焔剣に込めた。
ボウッと音を立て、智焔剣が炎に包まれる。
千里は霞の構えで松岡の懐へ飛び込んだ。
「死ね、クソ野郎!」
「甘い」
すいと躱され蹈鞴を踏む。
しかしすぐに体勢を整え千里は地面を蹴った。
そのまま空で智焔剣を振る。
「なに──!」
智焔剣から放たれた炎が、剃刀の刃のように松岡を襲った。
ついと、松岡の額に赤い線が走る。
「なるほど。子供だと思って甘く見ていたようです」
松岡は、手の甲でその血を拭うとぺろりと舐めた。
「少々お仕置きが必要だ」
そう言うと、松岡は一気に距離を詰めてきた。
矢継ぎ早に剣を千里の首筋に向けて突いて来る。
千里はそれを智焔剣で次々に払った。しかし、ひとつタイミングを間違えれば命取りだ。
「クッ……ソ……」
「どうしました? 防御ばかりしていては、私を倒す事などできませんよ? ほら、ガラ空きだ!」
「ぐあっ!」
松岡の繰り出す切っ先に集中し過ぎた千里は、みぞおちに松岡の蹴りを食らった。
智焔剣が手から離れ、否応なしに体が折れる。
そんな千里の髪を後ろから掴むと、松岡は、露わになった千里の喉元に刃を押し当てた。
「捕まえた」
「ッソ──」
「動くと首が落ちるよ」
千里の喉がひくつき、細く赤い血が流れた。
「美しい……。早くかぶりつきたいね」
シュッ!
松岡の髪を、何かが掠めた。
「放してください。さもなければ──」
「摩利支天……」
大沢が、精一杯弓を引き絞り、松岡を狙っていた。
「私を射るかね? しかし、君が射るより、私が鬼龍院の首を落とす方が早──ッ」
突如、松岡が目を見開いた。
そのままゆっくりと背後を見遣る。
「ほら……ガラ空きだよ」
そう言って松岡に体当たりをしていたのは憂夜だった。
松岡の脇腹から突き出たナイフの柄を握っている。
「夜叉……何を……」
「ふぅんっ!」
憂夜は全体重をナイフの柄にかけた。
更にずぶりとナイフが沈む。と、今度は柄を捩じるように動かした。
「んがぁっ! 離せ! 小僧!」
堪らず松岡は千里を開放すると、憂夜を突き飛ばした。
「夜叉……。貴様……」
松岡の目に、憎悪の光が差す。
しかし、憂夜の放った言葉に顔色を失った。
「そのナイフに、英明の血を塗った」
「な……に?」
「ねぇ羅刹。僕たちは特殊な力を持っていると言っても、所詮体は人間だよね。羅刹は鬼になるの? それとも、耐えられずに死んじゃうのかな」
「貴様──」
「あははははは」
わなわなと震える松岡を見て、憂夜は狂ったように笑い出した。
「あはっ、あはははは──あぐっ?」
憂夜は笑い顔を張り付けたまま、己の腹に生えた、松岡の剣と、松岡の顔を見た。
「らせ──」
「死ね。虫けらめ」
ごぼりと、憂夜の口から血が吐き出される。
松岡は憂夜の身体に片足底を付けると、剣を引き抜いた。
「藤田!」
憂夜の身体が後ろへと倒れた。
「ひで、あき……」
憂夜の目から、ぽろりと涙がこぼれた。
2度とその目が開かれることはなかった。
「次は貴様だ。鬼龍院千──あぐっ!」
──ドクン。
松岡の心臓が、破裂するかのように大きく鼓動を刻んだ。
「あうっ! はあっ……がっ……」
その場に崩れ落ち、地面を転がり苦しみだす。
その様子はまさに七転八倒だ。
「千里……」
高瀬が、
「アンタ、大丈夫なのか! 大沢は?」
「水野を見に行ってもらった。俺のことは心配しなくていい。すまんが、藤田憂夜の亡骸を頼む」
周囲には燃える車がいくつもある。万が一遺体に火がついては……。
千里は小さく頷いた。
高瀬は、地面でのけ反る松岡を見下ろした。
こいつだけは許せないと、腹の底から思った。
「終わりだな。羅刹」
松岡は、体を震わせながらも高瀬を見遣ると、にやりと笑った。
「ふ……はは……ははは!」
松岡はおかしくて仕方がないと言う風に笑っている。
高瀬は背筋が寒くなった。
「何がおかしい」
「笑い種だ。滑稽で、実に痛ましい」
松岡の口角には泡がついていた。 鬼の精に耐えられないのだ。
それでも松岡は口を開いた。
「この事態が……、全て私の身勝手から起きたとでも、思って、いるのだろう」
がぼっと、松岡は血を吹くと、口の中に残った血液を吐き出して続けた。
「あなたが信じている正義など──。人の愛、庇護、心、何もかも……エゴイズムでしかない。今、あなたが信じている正義と悪は、表裏……一体なのだよ。愛は執着を生む。愛は自由を奪う。誰かを、自分を、恨まずにいられない。それは仄暗い……悪を、生むのだ。人は皆、遥か古より闇を抱え、その……心を蝕んでいるのだ」
「知ってるよ」
そう言い放つと、高瀬は松岡の顔に蹴りを入れた。
「俺はエゴイストだ。闇深いエゴの塊だ。それがどうした。正義なんてクソ食らえ。俺は俺の大切なもののために戦ってる。今も、この先もだ」
「ぐっ──」
高瀬は瀕死の松岡の腹を
ブッと言う音と共に、血混じりの胃液が噴出される。
「天上へ帰れ。いや、テメーは地獄だ。絶望の淵まで連れて行ってやる!」
「そう……だな……。だが……ひとりでは逝かん」
「なんだと?」
「あなたも一緒だよ。高瀬刑事──」
高瀬の目に、松岡が突き出したリモコンが映った。
一体なんだ。
何を──。
「離れろ! 自爆する気だ!」
千里の絶叫が聞こえ、反射的に、その場から転がる。
次の瞬間、周囲が閃光に包まれた。
激しい爆風に次々と周囲の車が二次爆発を起こす。
「ぐあっ!」
折れた街灯が、高瀬の両足の上に倒れた。
「クソッ! 動けねぇ!」
猛烈な痛みもさることながら、動かすことがままならない。
どうやら折れてしまったようだ。
「畜生。これで終わりかよ……」
そう独り言ちて背中を地面に預けた時だった。
「しっかりしろ!」
千里──。
街灯の下に潜り込み、その背で持ち上げようとしている。
「畜生! 上がれ! 上がれッ! うおおおおおおッ!」
ギギっと音がして、街灯が少し浮き上がる。
千里は手を差し出した。
「 手を伸ばせ! 今度は、今度はオレが、その手を掴んでやる!」
「千里……。逃げろ……。このビルも、ヤバい」
すぐ目の前の、車が突っ込んだ三田国際ビルは火が回り、あちこちの窓から火を噴いていた。
今もバラバラと壁が崩れて落ちてくる。
千里をこんなところで死なせる訳にはいかない。
「馬鹿野郎!」
千里が怒鳴った。
その目には涙が浮かんでいる。
こいつの涙なんか初めて見たな。
高瀬はそんなことをぼんやりと思った。
「オレら家族だろ。もう、家族を失うのは嫌なんだよ!」
家族──。
ああそうだ。
自分には家族がいる。
千里。
大沢君。
大樹。
大神の親父さん。
柴田。
月見里──。
「千里──」
高瀬が手を伸ばす。
千里はその手を掴むと、力いっぱい引き、高瀬は転がるように街灯の下から脱出した。
しかし──。
「千里! 上!」
三田国際ビルの外壁に使われていた巨大な建材が倒れて来た。
耳をつんざく様な音と、猛烈な土埃が上がる。
2人の姿は一瞬にのうちに見えなくなった。
「大神さん! 大神さんッ!」
大沢がビルに向かって走る。
すると、もうもうとした土煙の中から、高瀬を背負った千里が現れた。
「ああ、良かっ──」
大沢の声は爆発音にかき消された。大沢のすぐ目の前の、乗り捨てられた車両が爆発したのだ。
「大沢!」
爆風で大沢の身体が宙を舞う。
それはスローモーションのようにみえた。
「大沢ーッ!」
どさりと大沢の身体が地面を転がると、これまで大沢によって張られていた結界が消失した。
「クソッ! 近づけねぇ!」
大沢の周囲は火の海だ。
どうすればいい。
このままじゃ全員死んでしまう。
「千里! 見ろ!」
東京タワーの方角から、光の玉がこちらへ向かってきた。
柔らかな、優しい光。その中に、誰かがいる。
「あれは……」
千里と高瀬は目を凝らした。
あれは──。
「月見里……」
こちらへ向かって歩いて来るのは、高瀬の親友、月見里だった。
月見里はゆっくりと手を上げると、高瀬と千里に手を翳した。
すると不思議なことに、三田国際ビルからの落下物は、傘に当たった雨粒のように、2人を避けて行った。
そしてその手をビルの真下の歩道へ向ける。
──と。
ドォォォォン!
消火栓のマンホールが吹き飛び、そこから大量の水が、猛烈な雨のように周囲に降り注いだ。
次第に、其処此処で燃え上がっていた鎮火していく。
大沢の周りの炎の壁も次第に小さくなった。
「大沢!」
千里は高瀬を背中から降ろすと、大沢の元へと走った。
幸い深刻な怪我はなさそうだ。
「大神さん……。ご無事で……」
大沢はそう言うと、ふわりと笑った。
「大丈夫に決まってんだろ。お前は大袈裟なんだよ……」
「文孝──」
月見里は高瀬の傍らに膝をつくと、親友の身体を起こした。
「遅くなって、ごめん。今しがた『目が覚めた』よ」
高瀬は親友の目をじっと見た。
月見里の目は、優しく、慈悲に溢れている。
高瀬は大きく息をついた。
「ああ、お前、そうだったのか」
そう言うと、高瀬は遠のく意識の中で月見里の真の名を呼んだ。
弥勒、菩薩──。
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