第22話
「こんばんは、高瀬刑事。私としたことが、あなたの正体に気付けなかったとは」
結界を破り入ってきた松岡は、友好的とも見える笑顔を浮かべている。
高瀬はフンと鼻を鳴らした。
「そりゃそうだろうな。俺も忘れてたわ。自分の事も、あんたが羅刹だって事もな」
松岡はくつくつと笑うと、得心が行ったとばかりに小さく何度も頷いた。
「なるほど。ご自分で封印していた訳ですね。流石だ。さて──」
松岡はスーツの上着のボタンをひとつ留めると、まるで舞台上でプレゼンをするIT企業のCEOのように話し始めた。
「あなたの力は実に強大です。その力を失うのは大変惜しい。是非私の、新たな世界の構築に手を貸して頂きたいのですが、如何でしょうか」
「新たな世界?」
「そうです」
松岡は大仰に頷くと両腕を広げた。
「ここに、新たな仏世界、我々の世界を作るのです。そのためには不浄を一掃せねばならない」
──新しい世界でも俺を生かすためにしたことだって──。
長谷川の言葉が、高瀬の脳裏でリフレインする。
なるほど、そう言う事か。
「アンタの言う新しい世界に、人間は不要と。そういう訳だ」
「流石、理解が早い」
松岡は、パチパチと拍手をして高瀬を称えて見せると、右へ左へと往復しながら話し始めた。
「人間界は汚れ過ぎました。あなたも刑事なら、この世がいかに汚れているかを、身をもってご存じでしょう。強盗、暴力、性犯罪、殺人……。上げたらきりがない。私利私欲に塗れ、最早畜生と何ら変わりない、獣の巣窟と化した。これらは『悪』と言うより他なりません。浄化する必要があるのです」
「浄化ねぇ……」
高瀬は鼻に皴を寄せ、耳の穴をほじり、小さくため息をついた。
このテの話は昔から苦手だ。
喋っている本人の主観の押し売りでしかない。悪いところしか見ていない。聞いていて苛々した。
「先ずはこの東京から、不浄を一掃する。私と手を組めば、わざわざその命を失う必要もありません。そこの鬼龍院の両親のように」
松岡の視線が千里を捕え、退屈そうに聞いていた高瀬の目が見開かれた。
鬼龍院──。
燃える、幼い千里が暮らしていた家。
その門扉に掛る表札、鬼龍院。
業火の中、息絶えていた夫婦。
そんな2人を傍で見下ろしていた幼い千里。
そして、千里の首に残る絞められた跡。
次々と高瀬の記憶から呼び起こされた。
「テメェ、まさか……」
「鬼龍院は代々不動明王の依り代で、鬼龍院千里の父、鬼龍院隼人はその身に不動明王を宿していた。今から12年前になりますか……。私は彼に会いに行き、計画を話しました。しかし、彼は拒絶した。だから一家共々その命を奪った。私の邪魔をされては困りますからね」
「……テメェだったか」
言って、高瀬は視線の端に映る千里を見止めた。
千里は無表情だった。ただじっと、松岡の顔を見ていた。
千里は少し変わった子供だった。
高瀬はそれを「超能力」のようなものだと天海に聞かされていた。
だから高瀬は、心のどこかで、あの火は千里が放ったのではないかと疑っていた。子供の力を気味悪がった両親が千里に手を掛けようとした事で起きたのではと。
しかし違った。
火を放ったのは松岡だった。
夫婦に抵抗の跡がないのは、松岡が羅刹の、人ならぬ力を使ったせいだったのだ。
「不動明王の依り代と有ろうものが、随分あっさりと手に掛かったものだと思いましたが。今思えば、どうやらあの時既に、息子に移していたようです。その証拠に、息子には何故か私の力が及ばなかった。そこで首を絞めました。しかし、生きていたのですね。見事にその気配を消していたので気付きませんでしたが……。随分と大きくなった」
松岡は、まるで親戚の子を見るように目を細めている。
高瀬は腸が煮えくり返る思いだった。
「他にも、人間として紛れている仏が大勢いる。気配はするものの、姿を現さない者も多い。そこの、私に標準を当てている摩利支天も、つい今しがたまではそうでした」
そう言うと、松岡は自分に向けて弓を引き絞っている大沢を見てにやりと笑った。
「さて、高瀬刑事。そして、鬼龍院、いや、不動明王とお呼びしましょう。それから摩利支天も。選んでください。共に新たな世界を作るのか。それともその命、みすみす捨てるのか──」
「寝言は寝て言えよ、オッサン」
無言を貫いていた千里が、そう言ってずかずかと進み出た。
「勝手なことグダグダほざいてんじゃねぇよ。テメーが言ってるのは、身勝手なクソ野郎の言い分その物じゃねぇか」
松岡は千里の顔をまじまじとみると、眉間に皺を寄せた。
「嘆かわしい。鬼龍院一族は財こそ有りませんでしたが、それでも品のある一族でしたがね」
「そこの狂犬
「だそうですが。高瀬刑事」
松岡はそう言うと、切れ長の目を高瀬に向けた。
「ああ? どこが悪ィんだか、俺にはサッパリ分かんねぇな。クソ野郎」
松岡の目の下がぴくぴくと痙攣した。そして、ジロリと大沢を見遣るが、大沢は肩をすくめた。
「なるほど。よく分かりました。仏世界に不浄は不要です!」
そう言うと、松岡は右手で手刀を切る。すると、その手に一振りの刀が現れた。
* * *
「ねぇ、じいじ?」
豊島区高田にある目白不動。
大神天海の膝の上で絵本を読んでいた大樹は、TVに釘付けになっている天海を仰ぎ見た。
TVでは、東京タワーの膝元で起きた惨劇を緊急生放送として流している。
先ほど、自衛隊の活躍により異形の者は制圧されたようであると、現場のアナウンサーがヘルメット姿で伝えていた。
自衛隊──。
本当にそれだけだろうか。
千里と大沢は、大樹を自分に預けると、現場に行くと出て行った。
2人は普通の若者とは違う。それでも天海は心配だった。
無事だろうか。文孝はどうしているだろう。
「ねぇねぇ、じいじ!」
大樹が天海の作務衣の襟を引く。
天海は我に返った。
「おお。なんだい? 大樹」
「高瀬さんや大神さんや、大沢くんはふじょうなの?」
天海は、大樹の突拍子もない問いに目をぱちくりさせた。
「とんでもない。彼らはきれいな、光の心を持った者たちだ。大樹もよぉく知っているだろう?」
「うん。ふじょうはわるものだよ。ぶりぶり戦隊で出てくるもん」
ぶりぶり戦隊は大樹の気に入りの戦隊ヒーローだ。
天海は、そうだろうそうだろうと頷いた。
「しかし、誰がそんなことを言ったんだい?」
「あのね? 今ね? お顔の白いおじさんが、刀を持ってそう言ったの」
顔の白い男? 青白いという事だろうか。
だが、そんな男など映っていなかったはずだ。
「こわい」
大樹は天海にしがみついてきた。
「大丈夫。じいじがいるぞ」
天海は、TVを消すと大樹を抱き上げた。大樹は目をこすっている。もう眠くてしょうがないのだろう。
「きっと、さっきの怖いテレビのせいだな。さあ、良い子はもう寝る時間だ。じいじと一緒に寝ようか」
「うん」
大樹は天海の肩に頬を預けると、直ぐに寝息を立て始めた。
* * *
夜の東京──。
本来ならライトアップされた東京タワーと、首都高やビルの明かりで周囲は明るいが、今は暗闇を、燃え盛る炎が照していた。
夏のじっとりとした暑さは体力を奪い、炎に炙られた肌は、チリチリと痛い。汗は流れるも、直ぐに蒸発してしまうくらいだ。
「千里、援護してくれ」
そう言うと高瀬は
2人は互いに相手の動きを牽制し、間合いを取りながらゆっくりと動く。高瀬が左へ。すると松岡も左へと動く。まるで円周上を歩いているようだ。
ただ睨み合っているだけなのに、次第に上がっていく呼吸。
離れていても、互いにそれを感じる。
高瀬は松岡の呼吸に、松岡は高瀬のそれに集中した。
ハァ……ハァ……。
……ハァ……ハァ……。
それが何度か繰り返された後、2人の呼吸がぴたりと合わさった。
──来る!
「地獄へ堕ちるがいい! 毘沙門天!」
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