第19話
巨大な光の筒の中、千里は大きな太刀を体の正面で構えた。
刀身が、ぎらり、と光る。
高瀬は焦った。周囲には野次馬も沢山いるのだ。
「大丈夫です」
千里に駆け寄ろうとした高瀬を大沢は制した。
「心配は要りません。結界を張っています。外にいる方々へ危害は及びません。我々の姿も──、見えていませんよ」
「結……界?」
高瀬には理解出来なかった。
心配いらない? 外から見えないだと?
どうなっている?
そもそも、なぜ彼にこんな事が出来るのか。
千里にしろ、大沢君にしろ……、一体何者なんだ。一体何なんだ。何が起きている?
「掛かって来いよ。燃えカスにしてやる」
千里はそう言うと顎をしゃくった。
「随分と余裕だなぁ……。ムカつくからその鼻っぱし……折っちゃうね!」
ピィイッ!
憂夜が再び歯笛を吹く。
すると一体の鬼が飛び出し盛大に吠えた。
「ぐっ!」
高瀬は耳を塞いだ。
鬼の咆哮はビリビリと高瀬達の内臓をも震わせ、結界の中に残っていた車の窓が割れるほどだ。
そして鬼はドカドカと足を踏み鳴らし千里に近づいてくる。
「千里ッ!」
高瀬は慌てて前に出た。
しかし大沢に腕を掴まれる。振り解こうとするも、驚くほど強い力だった。
「駄目です、高瀬さん」
「放せ! 千里ッ! 千里ッ!」
高瀬が狂ったように叫ぶ。
鬼が千里の間近に迫る。
その時、千里がスッと、太刀の構えを右脇構えに変えた。
「──デァァァァァァァッ!」
千里が叫び、アスファルトを蹴った。
そこからはスローモーションだった。
鬼が吠えながら左手を振りかぶって来る。
千里が踏み切って鬼の脇をすり抜け狭間に太刀を振り切る。
高瀬が千里の名を叫ぶ──。
そして──。
「ギィィァァァァッ!」
耳を劈く叫び声に、高瀬は再び耳を塞いた。
次の瞬間、どさりと高瀬の目の前に鬼の頭が転がり、そして燃え始めた。
炎の中で口をぱくつかせる鬼の頭。
瞬間、高瀬はハッと背後を振り返り目を剝いた。
燃える頭を求めるかのように両手を伸ばし、鬼の首から下が、こちらへ歩いてくる。
全身が泡立った。
その様子は悪夢と言うよりなかった。
「クソッ!」
高瀬はSIG-P226を構えると発砲した。
「死ねッ! 死ねッ! 死ねッ!」
立て続けに発砲する。それらは確実にヒットした筈だった。
しかし、鬼の身体は物ともしない。
なおも長く黒い爪を向け、高瀬に向かってきた。
「野郎ッ!」
──カシャ、カシャ、カシャ。
「──ッ! 弾が!」
その時、高瀬の脇を1本の矢が掠めるように飛んだ。
その軌跡は金色の糸を吐くように光を放ち、そして、ドッという鈍い音を立て、首無し鬼の胸を貫いた。
鬼はその場に膝から崩れ落ちる。
そしてそのまま動かなくなった。
「い、今のは……」
高瀬は背後を振り返った。
そこには、弓を構えた大沢がいた。
「大神さん。止めを」
大沢の言葉に千里は頷くと、全身の力を込め、大太刀を倒れた鬼の背に突き立てた。
その途端、ブワッと言う音と共に激しい炎が上がる。
「な……」
高瀬は言葉を失い立ち尽くした。
目の前で、巨大な鬼の身体があっという間に灰になった。
「智焔剣……。やっぱり鬼龍院の生き残りなんだね。全然気づかなかったよ」
千里の太刀を見ると、憂夜はにやりと笑った。
「それは、鬼龍院の血を受け継ぐ者にしか出現させられない。だよね? それから──」
千里の背後で高瀬を背に庇う大沢に視線を移すと、憂夜はぎりぎりと奥歯を噛みしめ、疼く左腕に触れた。大沢に射られた腕だ。
その眼には明らかな憎しみが浮かんでいた。
「おやおや。随分と嫌われてしまったようですね。そんな風に見られると、可愛くてまた手が滑ってしまいそうですよ。──夜叉?」
大沢がそう言って口の端を上げると、憂夜の顔が真っ赤に染まった。
「マジでむかつく……。その口、利けないようにしてあげるよ。摩利支天!」
ピィー!
憂夜が再び歯笛を吹いた。今度はこれまでより長い歯笛だった。
「来るぞ! 援護しろ!」
千里が叫ぶ。
それと同時に、その場に居た鬼が一斉に飛びかかって来た。
「逃げろ千里!」
「アンタは下がってろ!」
大沢が、千里に襲い掛かる鬼を射る。
怯んだ鬼を、千里が薙ぎ払う。
しかし、どれだけ切っても次から次へと鬼が湧いて出た。
「クソッ! キリがねぇ! あいつら一体どれだけの人間を……」
千里の肩が激しく上下した。
息が切れる。
心臓は爆発しそうだ。
流石にもう──。
「千里!」
「駄目です、高瀬さん」
堪らず駆け寄ろうとする高瀬を、再び大沢が制した。
「俺に黙って見てろってのか!」
「そうです」
「な……」
「黙って見ていて下さい」
高瀬の腕をつかんだまま、大沢は静かに高瀬の目を見つめた。
「そんなこと──」
高瀬の脳裏に、幼い頃の千里の姿が浮かんだ。
まだ大した憎まれ口も知らず、素直に高瀬の後をついて回った千里。
高瀬を追いかけ、転んで、それでもついて来る千里。
笑って、泣いて──。
あの炎の中で、高瀬が掴んだ、幼い命。
「そんなこと──。そんなこと出来るかよ!」
「駄目です! 高瀬さんッ!」
大沢の静止も聞かず、高瀬が駆け出した時だった。
バラバラバラバラバラ……──。
頭上で聞こえる爆音に、高瀬、そして大沢は空を仰いだ。
結界の筒の上に見えるのは、迷彩柄のヘリコプター。
「あれは……。自衛隊だ!」
高瀬が叫んだ。
「緊急事態の布告が発布されたんだ!」
「もっと下がれるか? うん?」
猛烈な風を受け、サングラスを直すのは──、T大医科学研究所の教授、墳堂慎太郎だった。
墳堂は自衛隊のヘリから地上を見下ろした。
三田国際ビル及び周辺一帯が、最早火の海と化している。
「下からの熱風が凄くて、これ以上は危険です!」
パイロットが叫ぶ。
消火剤を積んだヘリもこちらに向かっているというが、直ぐには無理だろう。
「うむ。では仕方ないな」
墳堂は着ていた白衣を頭から掛け、袖を顎の下で結ぶと、後ろにいる自衛隊員を振り返った。
「押すなよ? うん?」
「なにアレ? なんか言ってる?」
憂夜は煩そうに空を見上げた。
鬼たちの動きも一瞬止まる。
──公!
「あれは──」
マサイ族さながらの視力を誇る高瀬が顔を顰めたその時だった。
ヘリのマイクを通し、墳堂の声が響いた。
「おいエテ公! 貴様のお望みの品だ! 受け取れ!」
「あのバカッ! ンな高けぇとこから全力で投げんじゃねぇ!」
「失礼します」
そう言うと大沢は、高瀬のYシャツの袖を引き千切った。
そして素早くそれを矢に通し、袖口を縛ると、落ちてくる黒いものに向かって射る。
それは見事に袖の中に入り、スピードを緩めて高瀬の足元に落下した。
「コイツがあれば──」
袖の中から取り出した黒いマガジンを、愛用のSIG-P226に装填する。
そして、再び動き始めた鬼を狙った。
「喰らえ! クソ野郎!」
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