第15話
遠子を迎えに来たパトカーに引き渡した高瀬と月見里は、連れ立って柴田の病室へと戻った。
「あれ?」
病室の入り口で所在なさげに立っている人物の顔を見て、月見里は声を上げた。
そこにいたのは、長身でボサボサ頭、指紋だらけのサングラスに無精髭、高瀬に負けず劣らずの不機嫌な凶悪顔。白衣を着ていなければ極道そのものという、月見里の友人、墳堂だった。
「墳堂、わざわざ来てくれたの?」
月見里が声を掛けると、墳堂は慌てた。
「や、月見里! お、俺は別に深田君がいるのではなかろうかと、検査結果を口実にのこのことやって来た訳ではないぞ!」
「ああ、栞に会いに来たんだね?」
墳堂は実に分かりやすい男だった。
彼が月見里の秘書である栞に思いを寄せているという事は周知なのだが、それを知られていないと思っている墳堂は月見里の言葉に激しく動揺した。見る間に顔が赤く染まる。
「おっ、おい貴様! 誰がそう言った。うん?」
「そう言ってたよ?」
「おい月見里。なんだこのデカイのは」
月見里に詰め寄る墳堂を無遠慮に立てた親指で指し、高瀬は眉間に皺を寄せた。
と、同時に墳堂も眉間に皺を寄せ、顔を傾けてじろりと高瀬を睨む。
「貴様こそなんだ」
「ああん?」
高瀬と墳堂は額をくっつけんばかりに睨みあった。一触即発である。
「まあまあ文孝。墳堂は医科学研究所の教授でね。彼には色々と急ぎの分析を頼んでいたんだよ。それを持って来てくれたんだよね?」
「ふん。とにかく俺は忙しいのだ。貴様らに構っている暇などない」
墳堂はそっぽを向くと、思い出したようにしゃがみ込み、ブリーフケースの中を引っ搔き回し始めた。
「むう。どこだ。うん? おお、これだ」
すっくと立ちあがり、胸を張るとA4サイズの封筒をこれ見よがしに振って見せる。
そして目をすがめると声を潜めた。
「報酬は……」
「フランダースの犬、非売品絵皿3枚セット」
墳堂は、ほう……と感嘆の声を上げた。頬が緩んでいる。
「よく手に入ったな」
「苦労したよ?」
墳堂はそうだろうそうだろうと頷くと、忘れるなよと言い残し、背を向けた。
「なんなんだ、アイツは」
「仕事は出来るし、根は優しい良い奴だよ」
「とてもそうは見えんがな」
自分の事を棚に上げる高瀬に月見里は眉尻を下げた。
* * *
「おかえりなさーい」
スマホのゲームに興じていた柴田は、高瀬と月見里が戻ってくると嬉しそうに椅子を勧めた。
「随分と退屈してるみてぇだな」
「普段こんなゆっくりすることないですし、どうしていいか分かんなくて」
柴田はそう言うと、えへへと笑った。
実際日々事件に追われている訳ではないが、日々高瀬に使われている柴田に自由時間などなかった。それにすっかり慣れてしまった彼は、時間を持て余してしまうのだ。
「それにしても、お前驚異的だな」
高瀬は呆れたように柴田を見た。
昨夜、自分の腕の中で冷たくなっていった筈である。それがもうスマホで遊んでいるのだから、信じられない回復力だ。
「う~ん。フワフワする感じはありますけど……」
「だろうな」
高瀬は頷いた。あれほど出血していたのだから当然だ。月見里も、傷の痛みが少ないのは痛み止めの点滴を入れてるからだと言っていた。
「さて」
高瀬はひとつ膝を打つと立ち上がった。
「そろそろ行くわ。病院は性に合わん」
ええ~っという柴田の抗議を背中で聞きながら、高瀬はすたすたと歩を進めたが、不意に病室の引き戸の前で立ち止まり、柴田を呼んだ。
「はい?」
「あー……」
高瀬はスラックスのポケットに手を突っ込んだまま、その場に突っ立っている。
柴田はきょとんとしてその背中を見、長年の付き合いから高瀬の心中を察した月見里は黙って微笑んでいた。
「どうしたんですか?」
「いや、その……そ……。サ、サンキューな」
それだけ言うと高瀬は目を泳がせ、ボリボリと頭を掻いている。
まだ何か言いたいことがあるのか、その場から動くこともしない。しかし、何をどう話せばわからないらしく、あーとか、えーとかを繰り返している。
その様子を見て、月見里は口元を抑えて笑いを堪えている。高瀬が親しい人間に対し、感謝を素直に口にできない事をよく知っているからだ。
その高瀬が、柴田に何とか気持ちを伝えようとしている。助け舟を出してやりたいところだが、黙って見守ることにした。
「なんつーかその……」
今度は首の後ろを揉むように擦っていたが、フンと息を吐くと早口で言った。
「俺のために死んだりすんなよってこった。お前がいねぇと……」
「僕がいないと?」
柴田が繰り返す。途端に高瀬はしどろもどろになったみるみる目じりが吊り上がっていくが、耳は真っ赤である。
「うるせぇな! いっ、いいから! 早くこんなとこ出て戻ってこい! バカめ! じゃあな」
引き戸が跳ね返るほどに勢いよく閉まり、ドスドスという足音が次第に遠ざかっていく。
月見里は遂に耐えられなくなり、ぷっと吹き出すと、素直じゃないねと目尻の涙を拭い、そっと柴田にティッシュペーパーを手渡した。
「はい。素直じゃないです」
柴田の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
* * *
月見里が高瀬を追って柴田の病室を後にした頃。
六本木ヒルズのライブ製薬社長室で、豪奢なソファーに形の良い脚を組んで腰を下ろしていた沙紗は、扉から体を滑り込ませてきた少年を見るや否や顔色を変えた。
「憂夜! まあ。どうしたの? 腕から血が……」
駆け寄り、躊躇なく自分のドレスの裾を切ってその傷に当てる。そして憂夜の頭を自分の胸に抱いた。
「一体何があったの? 可愛い坊や」
「沙紗……。おれ……」
「しくじったのか」
氷のように冷たい声に、憂夜の体が強ばった。
「羅刹……。あの……」
恐る恐る振り返る。紫檀の大きなデスクの向こうから、松岡の鋭い目が憂夜を捕えていた。
「しくじったのかと聞いている」
「ごめん……なさい……」
憂夜の肩は小さく震えていた。その肩を抱くと、沙紗は松岡を睨んだ。
「羅刹。この子をひとりで行かせた貴方にも責任はあるんじゃなくて?」
「鬼を2体つけている。そうだな。夜叉」
「……ごめんなさい。1体……死んじゃった」
「死んだ?」
あれはただの化物ではない。首を落として焼くか、若しくは──。
「何があった」
松岡の顔が険しくなった。立ち上がり、つかつかと憂夜の前に立つと、沙紗から引き離し、横っ面を殴った。
「憂夜!」
衝撃で床に転がった憂夜を、沙紗は抱え起こした。
「ああ、憂夜。可哀想に」
「どけ、沙紗!」
松岡は沙紗から憂夜を引き離し、丸まって身を守ろうとする憂夜の殻を執拗に蹴った。
室内に、沙紗の金切り声が響き渡る。
「やめて! やめて! 羅刹!」
「き、鬼龍院がいたんだ!」
憂夜がそう叫ぶと、松岡の脚がぴたりと止まった。
憂夜は体を丸めたまま、くもぐった声で鬼龍院がいたと繰り返す。次第にそれは嗚咽混じりになった。
そんな憂夜を、沙紗はまるで幼児を抱くようにして胸にかばった。
「憂夜? 大丈夫よ。大丈夫」
「沙紗……。痛いよ」
憂夜は沙紗の胸に顔をうずめ、大粒の涙を流している。どうやら骨折もしているようだった。
「大丈夫。直ぐにお医者さんに診てもらうわ」
「でも……」
沙紗は憂夜の髪をそっと撫でた。
「大丈夫。心配しないで」
沙紗は仕事柄顔が利く。警察に通報しない医者などいくらでも知っていた。
一方、松岡は明らかに動揺していた。落ち着きなく室内を右往左往し、舌打ちしている。
「鬼龍院だと? 鬼龍院の一族は十二年前に一家纏めて火の海に……」
「間違いないよ。あれは智焔剣だった。一振りで鬼が灰になったもの。でも、今は鬼龍院じゃなくて、大神って名乗ってる」
「大神……」
松岡は深呼吸を繰り返した。自分を鎮めるためだった。どんな時もそうやって自分をコントロールしてきたはずだった。
だが今日は全く効果がない。
デスクのシガレットケースから煙草を出す。
ゆっくりと口に咥え、ライターのホイールに指をかけるも、ただ火花が散るだけで一向に火は点かない。
松岡は加えた煙草を握り潰すと投げ捨てた。
「他に誰がいた」
「多分……、摩利支天……」
「ふん。奴に射られた訳か」
松岡に鼻であしらわれ、憂夜は左腕を押さえた。大沢に射られた腕が燃えるように痛んだ。
「他には」
「ここに来てた刑事」
「とにかく」
松岡はデスクを回り込むと、革張りの椅子に腰を下ろした。
「鬼龍院を始め、彼らは我々の計画の邪魔になる」
「うん……。沙紗、どこ行くの?」
静かに立ち上がった沙紗に、憂夜が不安そうに声をかけた。
今ここで松岡と2人になるのは怖かった。傍にいてほしいのだ。
「お医者様に連絡を取って来るだけよ。直ぐに戻るわ」
「わかった」
沙紗は憂夜の頬を撫でると、スマホを手に廊下へ出た。
──鬼龍院の生き残りがいました。 S。
シュっという音とともに、ショートメールが送信された。
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