第14話

 しょりしょりと美味そうに林檎を咀嚼する音に高瀬は顔を顰め、苛々を隠すこともせず、隣のスツールに腰かけた美形の親友を横目で見た。

「おい月見里。これはどういう事だ」

「実に面白いね。やっぱり興味深いな」

 月見里は悪戯っぽく笑うと、へらへらと笑う包帯だらけの柴田の前の皿に、またひと欠け、皮を剥いた林檎をのせた。

 柴田は軽い調子で「有難うございまぁす」と言うと、それを口に運び、再びしょりしょりと咀嚼しては、ごくんと飲み込む。

 そして、は~っと息をつくと満足そうにぺろりと舌なめずりをした。

「おい月見里。コイツ死ぬんじゃないのか? 死にそうにないぞ?」

「不思議だよねぇ。柴田君、開いてもいい?」

「ダッ、ダメッ! ダメです!」

 柴田はマジックテープで直ぐに脱衣出来るよう着物様に作られた術衣の胸元をかき合わせ、死神でも見たかのような顔で月見里を見たが、冗談だと分かるとホッと胸をなでおろした。

「いやもう、正直僕もダメかと思いましたけど、なんて言うんですかね~、日ごろの行いと、高瀬さんの僕への愛の力ですかね~」

「あん?」

 高瀬のこめかみに血管が浮いたが、柴田はそれに気付かない。うっふっふと気味の悪い声を上げると片手で口元を押さえ、もう一方の手で中年女性のように掌をひらひらと上下させた。

「高瀬さんたら、俺の柴田に触るな~とか、俺の義彦を助けてくれ~とか、俺のヨッチーを連れて行かないでくれ~なんて。わっはっ……は……」

 大口を開けていた柴田の顔が凍り付いた。

 ひきつった笑いを張り付けたまま、そろそろと月見里の陰に隠れようとするが、そうは問屋が卸さない。

「残念だが今日が……」

 言いながら高瀬がボキボキと指を鳴らす。そしてベットの上でジタバタする柴田の胸倉を引っ掴み、にやりと笑った。まさに悪魔の笑顔だ。

「アハハハハ……」

「テメーの命日だコノヤロー!」

「キャー! 月見里せんせー!」

「柴田君、献体してね」

「そんなー!」

 ベットの上で高瀬と柴田がすったもんだし、柴田は悲鳴を上げ、ベッドもキシキシと悲鳴を上げる。

 しかし途端に看護師が駆け込み、静かにしろと怒鳴りつけ、二人は借りてきた猫のように大人しくなった。

「次騒いだら強制退院して頂きますよ! いいですね!」

「ハイ……」

「すんません……」

 ベッドの上で正座したまま看護師の説教を食らう二人を微笑ましそうに見つめると、月見里は手元の検査資料に目を落とした。

 これまで鬼に襲われたとみられる被害者の遺体は、皆DNAを書き換えられていた。しかし、柴田の検査結果には全くそれが見られなかったのである。

「ホントに興味深いな……」

「こっちにも興味持ってくんない?」

 思考を断ち切られ顔を上げると、隣のベッドに腰かけた遠子が不機嫌千万と言った風で3人を睨んでいる。

 その手には手錠がかけられており、それに気付いた看護師は小言を止め、いそいそと病室を後にした。

「いい加減これ外してよ!」

 そう言って手錠が掛けられた手を突き出す。

 高瀬はゆっくりとベッドから降りると遠子の前に立ち、両手をスラックスのポケットに突っ込み、暫し無根で遠子を見下ろした後言った。

「お前、人に物頼むのに随分と偉そうだな」

 苛ついているような、呆れたような、しかし温度を感じさせない冷たい声で、その場の温度もぐっと下がった。

 さすがの遠子も直ぐには言い返せない。しかし、それでも高瀬を真正面から睨みつけてくる。その気の強さに、高瀬はほとほと呆れた。

「お前、ホントいい根性してんな。ま、いいわ。昨夜の事を記事にしないと約束したら外してやるよ」

「そんな約束、出来るわけないでしょ」

「は? お前まだ分からねぇのか!」

 昨夜、自身も襲われかけたにも関わらず手を引こうとしない遠子に、高瀬は語気を強めた。

 このヤマに関わっていれば、遠子の命に関わる。むかつく女だが、安売りしていい命などない。

「このクソ女……」

「まあまあ、文孝。ここは病院だから。静かに。ね?」

 月見里が、今にも掴みかかりそうな高瀬を宥める。高瀬は舌打ちをすると、タバコ吸ってくるわと言い残して出て行った。

「フン。ざまぁ」

 品性の欠片もないセリフを吐くと、遠子は足を組んだ。

 その様子に月見里もため息をつくが、ふと遠子の膝を見ると、おやと言う顔をした。

 転んだのか、膝が擦り剝けており、周囲は打撲のため内出血も起こしていた。パンストも見事に破れている。

「怪我してるよ?」

「ほっといて」

 遠子はプイっとそっぽを向いた。しかし、月見里はそこで放っておくような男ではなかった。困ったように眉根を寄せると、遠子の前に立って言った。

「気取ったところが無いのはいいけれど、こんな怪我を放っておくのはお勧めしないなぁ。せっかくの美人が台無しだよ?」

「どうせアタシはクソ女なんで」

 遠子は完全に拗ねていた。

「そんなこと言わないで。さあ、とにかくおいで。診てあげよう」

 渋々と言った体で立ち上がった遠子に手を貸すと、月見里は看護師に声をかけ、処置室に向かった。


 *   *   *


「文孝を傷つけないでくれないかな」

 誰もいない処置室の丸椅子に遠子を座らせカーテンを引くと、準備しながら月見里は言った。

「えっ?」

 自分の顔を見もせず、端的に言い放った月見里に遠子は驚いた。

 特段この美貌の医者を知っている訳ではないが、先程までとはあまりに違う、冷たい表情だった。

 空調と、器具がぶつかり合うカチャカチャと言う音だけが響く処置室。遠子は戸惑い、酷く居心地が悪くなった。

 月見里は無言のまま手錠で拘束された遠子の膝を曲げ、膿盆をあてがうと生食水で洗い流す。細かな砂が、薄まった血液と一緒に膿盆へ流れ落ちていく。

 それを何度か繰り返した後、月見里は遠子の足を自分の太腿に乗せ、折りたたんだガーゼをニトリルグローブを嵌めた手で遠子の傷口にあて、清拭する。

「君の身勝手な行動は文孝を傷つける。これ以上、文孝を傷つけるような事があったら──」

 押さえるように静かに動いていたガーゼが止まった。

「いたっ! ちょっ、痛い!」

 遠子は顔を顰めた。強く傷口を擦ったガーゼが、じわじわと赤く染まる。

 それを膿盆に投げ捨てると、月見里は手袋を引き抜きながらひきつった遠子の顔を覗き込んだ。

「僕は君を許さないよ。お嬢さん? 文孝を傷つけたら、許さない」

「いっ、一体何なのよ!」

「動かないで」

 ピンセットで被覆材を傷口に当てる。そして遠子の膝はあっという間に適度な圧迫で包帯が巻かれた。

「アンタ……、一体高瀬のなんなの?」

 月見里の異常ともとれる高瀬への執着に、思わず遠子は聞いた。

 月見里は暫く何かを考えこんでいたが、ひとつため息をつくと口を開いた。

「君には話しておくべき──」

「なんだよ。ここにいたのか月見里!」

 処置室のカーテンの隙間からひょっこりと顔を出したのは高瀬だった。

「一服して病室戻ったらいねぇしさ」

 言いながらずかずかと中に入った高瀬は、遠子に気付き、あからさまに嫌な顔をした。

「チッ。こんな山猿みたいな女、ケガなんかしたって舐めて治すわ。ほっときゃいいのに、お前もつくづくふえっ、ふぇにっ……」

「フェミニストかな? 慣れない言葉を使おうとするから舌がもつれるんだよ」

「うっせ。とくかく人が好過ぎるんだよ、月見里はよ~」

 高瀬は、月見里の肩に顎を乗せ、呪文のように「ほっとけほっとけ」と言っている。それをハイハイと軽く流す月見里の表情は、先程病室で見た時のような、柔らかく穏やかで、紳士的なものだった。

 遠子はますます月見里が分からなくなった。

 そして気になった。月見里が自分に話そうとしていたのはなんだったのかと。

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