第16話

 高瀬の運転する覆面パトカー、スカイラインGT-R・R34は、東京新宿線から中央自動車道高井戸インターチェンジに乗り、八王子インターチェンジを経て国道411号線。次いで圏央道あきる野インターチェンジから青梅インターチェンジと言うルートで、およそ1時間半かけ、御岳山の麓にある民宿「御山荘」へと向かった。

 天気も頗る良く、仕事でなければ最高のドライブ日和だ。

 しかし、ハンドルを握る高瀬は眉間に深い皺を寄せていた。

「高瀬さん、チョコ要ります?」

「いらん」

「じゃあ、コーヒー開けましょうか?あ、コーラがいいかな?」

 助手席の柴田はガサガサとコンビニの袋を掻き回し、甲斐甲斐しく高瀬の世話を焼いてくる。

 高瀬は大きく息をついた。

「何が悲しくて野郎とドライブデートの真似事なんか」

「いいじゃないですか。たまには。ささ、コーヒーをどうぞ、殿」

 柴田が次々と差し出す飲み物や甘い菓子で腹が膨れ始めた頃、高瀬はゆっくりとアクセルを緩めた。

 目的地が近づいたからである。

 御山荘は土産物屋の立ち並ぶ通りから外れた静かな場所にあり、宿の前にある砂利敷きの駐車スペースに車を乗り入れると直ぐ、作務衣姿の宿の主人と女将が揃って2人を向かえ出た。

「警視庁の高瀬です」

 車から降り、高瀬がそう言って頭を下げると、それに倣って柴田も名乗り、頭を下げる。

 その向かいで夫婦も同様に頭を下げた。

 御山荘の主人は40代前半のがっしりした体格の男で、四角い輪郭と太い眉の下駄のような顔に、柴田より更に細い、糸のような目をしていた。

 髪は料理人らしく短く刈り上げており、紺色の作務衣に雪駄を突っかけている。

「御山荘の土屋です。これは妻の──」

「尚子です」

 夫の隣で再び頭を下げた尚子は、高瀬と同じ30半ばだと思われる。

 臙脂の作務衣が映える色白の細面に、長い睫毛に縁取られた伏目がちの目。すっと通った鼻筋。なにより、ぷっくりとした唇を彩る赤い紅が実に艶かしい。下駄顔の土屋には勿体無いほどの日本美人だ。

「お忙しいところ、お時間を取らせてしまって申し訳ありません」

「いえ、解決に繋がるなら協力は惜しみませんよ。このままじゃ、私達も枕を高くして眠れませんから。な?」

 土屋がそう言うと、尚子はゆっくりと頷いた。

「ええ」

「そう言って頂けると助かります」

「こんな所じゃなんですから、どうぞ上がって下さい。冷たい蕎麦茶があるんですよ」

「はい。失礼します。柴田」

「あ、はい。お邪魔します」

 民宿だと聞いてやって来た高瀬は、民家に毛が生えた程度の宿を想像していた。

 しかし、実際の御山荘は、歴史を感じさせる数寄屋造りの、味のある宿だった。

 恐らく、若い女性受けはしないだろうが、高瀬ぐらいの年代の男にとっては懐かしく、それでいて隠れ家的な雰囲気が実に心地良い。

 土屋に案内されて前庭を通り抜け、広いたたきで高瀬と柴田が並んで靴を脱いでいた時だった。

「あんた、刑事さん?」

 黒光りする廊下に立っていたのは、十字絣の紗の着物に黒い前掛けを着け、白髪を後ろで綺麗に結い上げた老婆であった。

 老婆といっても、声の張りと同じくらいに背筋もピンと伸びている。所謂「矍鑠とした老人」だ。

「お義母さん……。失礼ですよ」

 尚子は慌てて老婆の傍に駆け寄ると着物の袖を引く。

 どうやら、この居丈高な老婆は土屋の母親のようだ。

「いや、構いませんよ、奥さん」

 老婆とは対照的に小さくなっている尚子にそう断ると、高瀬は内ポケットから身分証を取り出し老婆に差し出した。

「警視庁の刑事で、高瀬と言います」

 老婆は始めて見るであろう警察官の身分証をしげしげと眺めると、じろりと高瀬を見た。

「本物かい」

 老婆がそう言うのも無理はなかった。

 そもそも警察官の身分証とは、所謂警察手帳である。

 とは言っても、現在の警察手帳はこれまでの手帳とは違い、手帳の機能を持ってはいない。

 手帳表面に組織名及び警察記章が付されている点は同一であるが、こげ茶色の二つ折りのパース型で、手帳を開くと上面に証票、下面に記章が配されたシンプルな造りである。

 それまで警察手帳と言えば、刑事ドラマ等でも見られたように、表紙に金色の警察記章がつけられ、警察官が所属する都道府県警察等の名称が記された、その名の通り実際に書き込みが出来る手帳で、表紙を捲った所に氏名、写真、階級、所属庁、身分証番号が書かれていた。

 しかし、2002年に、続発していた警察不祥事への対策として、現在の身分証としての機能に特化した現在のデザインに変更されたのだ。

 だが、老婆はそれを知らなかった。

「一応、本物です」

 老婆から身分証を受け取ると、高瀬は困ったように頭を掻いた。

「母さん。高瀬さんは本物の刑事さんだ。これから尚子と……」

 聴取があるから席を外して欲しいと頼もうとする息子を無視すると、老婆は真っ直ぐに高瀬を見据えた。

「あんた達、御山の事件を調べに来たんだろ」

 御山と言うのは御岳山の事のようだ。高瀬は身分証を懐へ納めると頷いた。

「そうです」

「そうかい。なら、いい事を教えてあげるよ」

「はあ。いい事、ですか」

 高瀬の反応が薄い事が気に入らなかったのだろう。老婆は一瞬ムッとした顔を見せたが、帯の上で腕を組むと話し始めた。

「あんた達、あれが仲間割れだと思ってるそうじゃないか」

「ああ、ニュースをご覧になったんですね」

「言っとくがね。ありゃあ、仲間割れなんかじゃないよ。あんた、死体を見たんだろ」

「見ました」

「あたしゃ直接見た訳じゃないけど。でも、息子から話は聞いてるよ」

「そうですか。でも、どうして仲間割れじゃないと?」

「母さん、もういい加減に……」

「何がいい加減だ!」

 割って入ってきた息子に、老婆は声を荒げた。

「鬼が甦ったんだぞ!このままじゃ……」

「鬼?」

 突拍子もない老婆の話に、高瀬もきょとんとしている。

 土屋は肩を上下させている母親をちらりと見ると溜息をついた。

「すみません。ちょっとボケてるんですよ。あの事件以来ずっとこの調子で。さ、母さん」

「ボケちゃいないよ!あたしは真剣だ!」

 そっと肩に回された息子の手を振り払うと、老婆はキッと眉を吊り上げた。

「御山の死体は、鬼に肝を食われてるんだよ!」

「肝?」

 肝と言えば肝臓の事だ。医学に疎い高瀬でも、それ位は分る。

 途端に高瀬の目つきが変わった。

「お義母さん、奥へ行きましょう?」

「尚子さん、あんたまで──」

「あの」

 高瀬は、口惜しげに顔を顰める義母の背を摩りながら家の奥へと促す尚子に声を掛けた。

「大奥さんと少し、お話させて貰っても構いませんか」

 尚子は高瀬を振り返ると直ぐに夫を見上げ、どうしたものかと目で質している。

 その夫は警視庁から来た刑事の気まぐれに驚いたようで、細い目をしばしばと瞬かせた。

「そりゃあ、構いませんが……。母の話は迷信ですよ?」

「いや、是非参考までにお聞きしたいんです。お2人のお話は、この若いのが賜りますから」

「えっ?あっ……あの、僕がですか」

「他に誰がいるんだ」

 高瀬に言われ、柴田はキョロキョロと周りを見渡すも、当然ながら他に誰もいない。

 第一、対策室員は高瀬と柴田の2人だけなのだ。

 柴田は引きつった笑みを浮かべると、頬を掻いた。

「あー……っと、どうやら僕だけ……みたいですね」

 まさか1人で聴取をする羽目になるとは思いもよらなかった柴田は、皆の視線が集まった事で更に緊張し、へらへらとした笑みを浮かべたまま石のように固まった。

 そんな柴田を不安そうに眺めていた土屋だったが、下足箱の脇からスリッパを取り出すと、膝をついて上がりかまちに並べた。

「それじゃあ、客間に席を用意してますので。尚子、お茶の用意を頼む」

「はい。直ぐお持ちします」

 尚子は高瀬に一礼すると、奥へと下がった。

「どうぞ、刑事さん。ご案内します」

「はい。おっ、お邪魔致しますです」

 柴田は、ギクシャクと油切れのロボットのように土屋の案内に従い、客間へと向かう。

 それを苦笑交じりに見送ると、高瀬は老婆に向き直った。

「大奥さん」

「ばーちゃんでいいよ。舌が回らないだろ」

 老婆はそう言うとプイっとそっぽを向いた。

 しかしその耳は赤い。高瀬が自分の話に耳を傾けてくれた事が嬉しいらしい。

 どうやらこの老婆は気位が高いだけではなく、高瀬と同様、照れ屋であるようだ。

「それに、あたしゃ堅苦しいのは苦手なんだ」

 老婆の言葉に、高瀬の肩の力も抜けた。

「そっか。実は俺もだ」

 そう言うと、にんまりと笑う。

「じゃあ、ばーちゃん。その鬼の話、俺に聞かせてくれないか」

 それを受け、老婆もようやく笑みを浮かべた。

「おいで。あたしの部屋に行こう」


*   *   *


 土屋の母、土屋静江の部屋は、御山荘の一番奥にあった。

 畳敷きの10畳ほどの和室で、時を経て飴色に変った和箪笥や階段箪笥、文机が壁に沿って配され、部屋の中央には蓋をした江戸火鉢が置かれていた。

 江戸火鉢とは、収納付きのテーブルに火鉢を組み込んだ造りの家具の事で、冬場はこの火鉢の中に炭を入れ、部屋を温める事も出来る物だ。

「さて。何から話そうかね」

 静江は江戸火鉢の上に冷たい蕎麦茶を2つ乗せると、高瀬の向かいに腰を下ろした。

「ばーちゃん。さっき、死体は肝を食われてるって言ったよな」

「言ったよ」

 静江は涼しい顔で蕎麦茶を啜っている。

 高瀬も何となくグラスの茶に手を伸ばしたが止めた。車で飲み食いした分がまだ消化しきれていなかったからだ。

 大食らいの高瀬だが、流石に甘いものばかり詰め込んでは胃がもたれてしまう。

 行き場を失った手を引っ込め胡坐をかいた膝につくと、静江の顔を覗き込む。

「でも、何でそんな事判るんだ?腹に大穴が開いてたからか?」

「御山の鬼は、昔から肝を食うからだ」

 静江はまた「鬼」と言った。

 これでは息子に迷信だと言われても仕方がないだろう。

 だが、高瀬は静江を否定しなかった。

「あの山には鬼がいるのか?」

「随分長い間いなかったがね」

「今はいるってんだな?」

「いる」

 静江は茶を江戸火鉢に戻すときっぱりと言った。その目は真剣そのものだ。

 高瀬は更に質問をぶつけた。

「どうしてそう思うんだ?腹に穴の開いた死体が見付かったからか?それとも──」

「そうがっつかないで、まずはこのばーさんの昔話を聞きな」

「昔話?」

「そうさ。まだ御山が本当に霊場だった頃の話だ」

「今は霊場じゃないのかよ」

 実際御岳山は霊峰として崇められており、その利益を得ようと言う登山客も多くいるのだ。

 静江は「情けない話だがね」と長い溜息をついた。

「最近じゃ、寺や神社が宿坊として客を集めるのに必死でな。ホテルや旅館のように露天風呂を増設したり、西洋の寝床を入れたり、カラオケを置いて宴会騒ぎだ。酷いところじゃ肉や魚を出してる寺もある」

「なんだそりゃ。ちっとも有難くねえな」

 高瀬が眉を顰めると、静江は全くだと言わんばかりに何度も頷いた。

「だから、あたしが話そうって話は昔話さ」

「わかった。話してくれ」

 そう言って高瀬が身を乗り出すのを確認すると、静江はゆっくりと頷き、口を開いた。

「その昔、この御山、御岳山には鬼が棲んでいた──」

 それは身の丈7尺はあろうかと言う筋骨隆々とした鬼で、体中にびっしりと獣のような毛が生えており、頭には2本の角があった。

 鬼は度々村へ降りては逃げ惑う人々を襲い、その腹を破って血の滴る生き肝を喰らった。

 人の肝こそが、鬼の命、そして力の源であったのだ。

 村は、御山は地獄と化した。

 村人は昼夜となく御山に向かい祈ったが、御祭神もお犬様も鬼の前には無力だったのか、村を救うには至らず、その後も鬼は次々と人を襲い、その数を増やしていった。

 しかし、それもある旅の修験僧が現れるまでの話だ。

 村人から惨状を聞き、酷く心痛めた修験僧は、その後何年にも渡って村に留まり、鬼と激しい戦いを繰り広げた。

 その間、村とその一帯に結界を張り続け、一切の鬼を入れず、倒した鬼は必ず焼き払い、その灰を壷にためるよう、そして決してそれに触れぬよう指示をした。

 更に数年の後、修験僧はとうとう最後の鬼を倒し、その身を焼いて壷に収め、それを封印した。

「その戦いを最後に鬼は御山から消え、修験僧は再び旅に出た。と言うのが、ここに古くから伝わる鬼伝説だ」

 喋り続けて喉が渇いたのだろう。静江はグラスの茶を一気に飲み干した。

 その向かいで、高瀬は大きく息をついている。

「はー。やっぱ鬼って強ぇのか、ばーちゃん」

 最早刑事と言うより、縁側で祖母の昔話に夢中になっている小さな孫息子のようだ。

 そんな高瀬の様子に満足気な笑みを浮かべると、静江は大げさに頷いて見せた。

「そりゃあ、恐ろしい強ささ。だが、御山の鬼には生き物として決定的な欠陥があった」

「欠陥?」

「子を成す事が出来なかったのさ」

「ちょっ、ちょっと待ってくれ。さっきの話じゃ、鬼は増えてったんだったよな?」

 話と矛盾する鬼の特徴が理解出来ず、高瀬は掌を静江に向けて「タンマ」を掛けるとガシガシと額を掻いた。

 必死に聞いた話を整理する高瀬を無視し、静江は続ける。

 だが──。

「鬼に襲われてなお死を免れた者は、村に帰っても直ぐにその首を落とされた」

 静江の話はあまりに飛躍していた。

 高瀬は肩透かしを食らいながらも、再び質問をぶつける。

「穏やかじゃねえな。何故だ?」

「それがまた鬼になるからさ」

「鬼に?」

「あんた、子供の頃に鬼ごっこはしたかい?」

 静江は、ポカンとしている高瀬の前に、江戸火鉢の引き出しから取り出した個包装の煎餅を置きながら聞いた。

「ああ。捕まると鬼が交代するやつだろ?」

「他にもあるだろ。鬼ごっこはイロイロあるじゃないか」

 袋に入ったままの煎餅を割ると、静江はそのひと欠けを口に放り込み、バリバリと音を立てて租借する。

 どうやら静江の歯は、口と同じ位に達者らしい。

「ええっと……。なんだっけな」

 煎餅の音に思考をかき乱されつつも、高瀬は必死に記憶の糸を手繰っている。

 だが、やはり直ぐに諦めた。

「なんだっけ、ばーちゃん」

「増えるのがあったろう」

 グラスの中に残った氷水で煎餅を流し込んだ静江がヒントを与えると、ようやく高瀬は合点がいったとばかりに掌に拳を打ちつけた。

「おう!あったあった。手繋ぎ鬼だっけか」

「うむ。あれは御山の鬼が増える様を模した遊びだ。御山の鬼は──」

 高瀬は耳を疑った。

 静江は確かにこう言ったのだ。


──感染るのさ。と。


「マジかよ……」

「大マジさ。勿論、人を選ぶがね」

 そう言って静江は窓の外へと視線を移した。そこからは御岳山が一枚の絵のように見ることが出来る。

 御岳山は青々と緑が茂り美しかった。とても、あの山で惨劇が起きたなど、この窓から望める御岳山からは想像も出来ない。

 静江は御岳山を眺めながら続けた。

「鬼の精は人には強すぎる。傷を受けて感染すれば、殆どの人間は死んでしまうよ。それに耐えられる者はほんの一握りだ。それがまた鬼となるって訳さ」

「あの連中は耐えられなかったのか。その……鬼の精ってやつに」

「いいや」

 静江はゆっくりと高瀬に視線を戻した。

「連中の事は端から喰らうつもりだったんだろうさ。そうじゃなきゃ、腹に穴などあけんだろう。仲間にするつもりなら、耐えられる、耐えられないはさておき、肝を獲ったりしないよ」

 高瀬の脳裏に、ふと一二が浮かんだ。

 しかし、だとしたら何故一二だったのだろう。鬼にするなら、屈強でなくては耐えられないと言うではないか。

 それとも別の事件に巻き込まれたのだろうか。なら、何故あんな所にいたのだろう。

 長谷川英明は?一体何処へ消えたのだ。

 いくら思い巡らせても答えは出ない。

 高瀬はそれらを一旦思い置くと、鬼の話へと思考を戻した。

「ばーちゃんは、そんなのが今、あの山にいるってんだな?」

「そうだ。いや、もう里に下りたのかもしれんがな。鬼には獲物が必要だ。人間の肝がね」

 静江の手元でまたバリッと煎餅が割られた。

 それはまるで、誰かの死を暗示しているようで、高瀬は胸が詰まる思いがした。

 鬼の手の中で、煎餅が砕かれるように人の命があっさりと奪われる様が、まるで実際に見ているかのように網膜に浮かび上がる。

 地獄だ。

 そう思った。

「死んだ人には悪いがね」

 また一口煎餅を放り込むと、静江はそれを噛み砕きながら続けた。

「あたしは死体で見付かって良かったと思ってるよ。そうじゃなきゃ、鬼が増えてるんだから」

 これが事実なら、静江の言う通りだ。

 高瀬は頷くと、ニカッと歯を見せた。

「サンキュー、ばーちゃん。参考になったぜ」

「あんた、信じたのかい?」

 驚くほど素直に自分の話を受け入れた高瀬に、静江は目を丸くした。

 まさか警視庁の刑事が本気で信じるとは思いも寄らなかったのだ。

「なんだよ」

 その当の刑事はムッとしたように下唇を突き出した。

「ウソだったのか?」

「ウソな訳あるもんか。確かに昔話だが、決して御伽噺じゃあない。余り知られてないがね、御山にはちゃんと、修験僧が納めた壷を祭った鬼塚もあるんだ」

「祭った?」

 高瀬は、顔を顰めて食って掛かった。

「封じ込めるんじゃなくて、祭るのかよ。人間を殺したのに?」

 しかし、返ってきたのは意外な言葉だった。

「あたしゃ、殺したなんて一言も言ってないよ。首を落とし、仲間を殺したのは同じ人間で、鬼はただ──」

 そこで一旦区切ると、静江は真っ直ぐに高瀬の目を見て言った。

「ただ、喰ったのさ」

 部屋の中が、しんと静まり返った。

「おや。ビビっちまったかい?」

「ビッ、ビビっちゃいねぇよ! ちょっと、寒かっただけだ!」

 実際、高瀬の腕は粟立っていた。勿論、室温が下がった所為ではない。

 認めるのは悔しいが、正直恐ろしいと思ってしまった。

 これは人間においても言えることだったが、悪意を持って犯罪を犯す人間より、悪意が無い代わりに感情もなく、理性もない──つまり、本能のままに犯罪を犯す、心の無い人間の方が余程恐ろしいのだという事を、高瀬は経験から知っていたからだ。

「そうかい?」

「おう」

 静江にそう見栄を張って見せると、すっかり温くなった蕎麦茶を啜り、高瀬は煎餅に手を伸ばした。

 話を聞いているうちに、もたれていた物もすっかり消化したようだ。

「あのさ、またなんか聞きに来るかもしれねえけど、いいか?」

 甘辛い煎餅を一度に二枚、バリバリと噛み砕きながら聞く高瀬に、もう一袋煎餅を出してやると、静江は袂からベージュピンクの携帯電話を取り出し指差した。

「なんなら、アドレスでも教えてやろうか?」

「ばーちゃん、えらくハイテクなんだな」

 二つ目の煎餅の袋を開けながら、高瀬は目をぱちくりさせている。

 そんな高瀬のリアクションに、静江は不服そうに頬を膨らませると携帯電話を袂へ戻した。

「なんだい。巻紙に筆で書いてるとでも思ったのかい!」

「別にそう言う訳じゃねえけど」

 参ったなあと頭を掻く高瀬にニヤリと笑って見せると、静江は言った。

「冗談だよ」

「デカをからかうなよ。罰として、煎餅は袋ごと没収する」

 そう言って手を出す高瀬に、静江は呆れたように煎餅を渡すと、ふっと頬を綻ばせた。

「嬉しかったのさ。あんたもあたしの話を信じてくれたからね」

 高瀬は煎餅の袋に突っ込んだ手を止めた。

「あんたもって?他に誰が聞いたんだ?」

「新聞屋の女の子だよ」

 その途端、高瀬の片眉が上がった。

「新聞屋?」

「あたしの若い頃に似てたねえ」

 そう言って遠い目をする静江を、高瀬は改めて刮目した。

 年齢からくる皺や皮膚の衰えはあるものの、若い頃はかなりの美人だったと推測できる。

 息子の土屋とは対照的な細面に高い鼻。加齢によって落ち窪んで見えるが、割りにハッキリとした意志の強そうな目。

 高瀬ははっと息を呑んだ。

「ま……まさか……水野、遠子?」

「ああ、そうそう。そう言えば名刺も貰ったっけね」

 なんて鼻の利く女だ。

 高瀬は鼻に皺を寄せた。

「いつだ?」

「朝一番に来たよ。まずかったかい」

 静江は眉を顰めている。

「いや」

 不安そうな静江に微笑むと、高瀬は立ち上がった。

「いいよ。でも、たった今から、俺とばーちゃんの秘密だぜ?」

 唇に人差し指を当て、ニカッと笑う高瀬を見上げると、静江はプッと吹き出した。

「全く。あたしがもう少し若けりゃねえ」

「……なんだよ」

 静江もよっこらしょと立ち上がると、高瀬の背中をポンと叩いた。

「あんた、ホントにいい男だよ」

 高瀬は驚いたように静江の顔を凝視していたが

「わかってるよ」

 そう言うと、再び吹き出した静江につられるように笑い出した。


*   *   *


「お疲れ」

「高瀬さん」

 柴田が玄関へと戻ると、煎餅の袋を抱えた高瀬が待っていた。

「どうだった」

 上がりかまちに腰を下ろし靴を穿く柴田に、高瀬はバリバリと煎餅を齧りながら聞いてくる。

 柴田は、頭の上に振ってくる煎餅の粉を払い落とすと立ち上がった。

「特に変った話はありませんでした。青梅署から来た資料に書かれていたことと同じでしたし」

「ふーん。……食うか?」

 高瀬が静江から貰った煎餅の袋を差し出すと、柴田はそれを押し戻した。

「結構です」

 そう言い放ち、ぷうっと頬を膨らませる。

「なんだ、その顔は」

「だって、イキナリ1人でだなんて」

 柴田は、1人で聴取をする羽目になった事に腹を立てているのだ。

 実際、客間で2人に質問するだけでしどろもどろになってしまった。

 柴田にとって、初めての大きな事案だ。高瀬についていて欲しかったのである。

「凄く不安だったんですから」

「ガキじゃあるまいし。何を言ってんだ、オマエは」

 そういい終わるが早いか、高瀬はスパン!と、柴田の頭をはたいた。

「いたっ!そうですけどー!」

 更に抗議しようとする柴田を玄関から蹴り出すと、高瀬は大きく息をつき、自身も玄関を出た。

 土屋家の面々は既に客の受け入れ準備に忙しい。見送りは高瀬のほうから断っておいた。

 ピシャリと引き戸を閉め前方を見ると、柴田がまだ膨れっ面を下げている。 その横をすり抜けざまに、高瀬は言った。

「オマエの方が向いてんだよ」

「へ?……あ、おいてかないで下さいよう!」

 慌てて自分の隣に並ぶ柴田をちらりと見ると、高瀬は面倒臭げに話し出した。

「俺だと参考人が構えちまうんだよ。特に、ああ言う大人しいタイプはな。その点、オマエは俺と違ってグニャグニャと当たりが柔らかい。相手も喋り易いだろ」

「グニャグニャって。なんだかなあ……。せめてソフトって言って欲しいですけど」

 言いながら上目で高瀬を見ると、柴田は照れくさそうに笑った。

「でも、ひょっとして誉めてます?」

「調子に乗ってんじゃねえ」

「あだっ!」

 柴田頭を抱えた。高瀬が拳骨を落としたからだ。

「ったたたたー……。えへへ」

「気持ち悪いヤツだな」

 拳骨を落とされて笑っている柴田を見て、高瀬は顔を顰めた。

「ネジでも緩んだか?」

「違いますよう」

「じゃあなんだ。へんなヤツ」

「だって、高瀬さんが僕を誉めるなんて初めてじゃないですか」

その途端、高瀬の歩みがピタリと止まり、ぐるりと柴田に向き直った。

「誰が誉めた」

「誉めました」

 高瀬は柴田をギロリと睨む。だが、柴田は一向に気にしていないようだ。

 ニコニコと細い目を更に細めて高瀬を見上げている。

 その余りの上機嫌振りに高瀬も諦めたようだ。深い溜息をつくと、「行くぞ」と歩き出す。

 そして、思い出したようにポケットから覆面パトカーのキーを取り出すと、振り向きざまに柴田に投げた。

「帰りはオマエが運転しろ」

「ハイハイ」

「返事は──」

「一回ですね!はいっ!承知しました、主任!」

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