第12話


 高瀬が事務室を出て行って程なく、片付けを済ませた栞は、自分のデスクでぼんやりと雑誌を眺めていた。

 ファッション雑誌の二色刷りページにある、占いである。



 今週はがっくりと運気が下がるアナタ。いやな目に遭ったり、失くし物をしたりと気分も落ち込み気味。

 アフター5もお誘いがなく、寂しい毎日を送りそう。

 金運:出費がかむ時。財布の紐は、しっかり締めて。

 仕事運:余計な事を考えてうわの空。上司の声は、注意して耳を傾けて。

 恋愛運──



「はーあ」

 ろくでもない事ばかり書かれた雑誌を、デスクに投げ出す。否応なしに溜息が出た。

「何読んでたの?」

「きゃっ」

 不意に背中から掛けられた声に、栞は飛び上がった。

 振り返ってみれば、背後には術衣に白衣を引っ掛けた月見里が立っている。解剖室の片付けを済ませて戻ってきたらしい。

「先生……。ビックリするじゃないですか。いきなり……」

「何度か声を掛けたんだけどな」

 月見里はそう言うと、困ったように笑っている。

 そして、すみませんと謝る栞の隣へ歩み寄ると、デスクに投げ出された雑誌に目をやり、なるほどとばかりに綺麗な眉を上げた。

「ふーむ。僕の声が聞こえないほど、栞を夢中にさせてたのはこれか」

 言って、広げっぱなしの雑誌を手にすると、眼鏡の奥の目を細め、ちらりと栞を見た。

「女の子は好きだね、占い」

「だって、気になるじゃないですか。自分の運命とか未来とか……」

 特に気になるのは恋の行方なのだが、それは黙っておく。

 月見里はふんふんと何度か頷くと、しゅんと肩を落とす栞の頭を何度かポンポンと叩いてから、キャスターのついた丸椅子を引き寄せ、腰を下ろした。

「勿論、楽しむ分にはいいと思うよ。でも栞、今これで凹んでたんでしょ?」

「いい事……書いてないんですもん」

 ぽそりと言うと、栞は子供のように唇を尖らせる。

 その顔に月見里は軽く片笑んで、膝の上に広げた雑誌に視線を落とした。

「栞は9月10日生まれだから……」

 長い指が、ページをなぞる。そして、乙女座の記事にざっと目を通すと、「ホントだ」と軽い笑い声を立てた。

「笑い事じゃないですよぅ。ホントに、当たってるんですから。買ったばっかりのピアスも、片方……失くしちゃったし……」

 言いながら、自然と手が耳へと伸びる。

 それは、昨日出かけた雑貨屋で一目惚れして買った、小さなブルートルマリンを幾つも繋げて涙型にしたピアスだった。

 なのに、出勤して間もなく、目の前で自分をニコニコと覗き込んでいる人物に、付けている事に気付いて貰う前に失くしてしまった。

「成る程ね」

 月見里は手にしていた雑誌をデスクに戻すと、白衣の腕を組んだ。

「でも、運命とか未来とか、それは変えられるものだよ? いや、作り上げていくと言った方が正解かな? ほら、自分で切り開くものだって、よく言うじゃないか」

「そうですけど……」

「ストップ。まだ終わってないから聞きなさい」

 栞の鼻先を突付き、笑顔で言葉を遮ると、月見里は続けた。

「運命や未来は、確かに自身の人生の上や先にあるものだけど。考えてごらん? 栞の人生に登場するのは、栞一人っきりじゃないでしょ?」

 こくり。小さく頷くと、栞はちらりと月見里を見た。

「先生も……います」

 月見里は気付いていない。だが、栞の中には、ここへ来るずっと前、8年も前から月見里がいる。

「そうだね。僕や、宮下さん、品川君に庄司君。その他にも沢山の人達が、栞の人生や生活に、多少なり影響を与えているんじゃないかな?」

「まあ、それは確かに……」

 予想はしていたが、他の人間の名前も引き合いに出され、ガッカリする。

「だろう? と言う事は、だよ? 栞が気にしている良くない運命や未来は、他の人間にも変える事が出来ると思わないかい?」

「他の人間……ですか?」

「そう。栞に出来ないなら、僕が変えてあげよう」

 きょとんとする栞に人差し指を立て、「特別だよ?」と悪戯っぽく言うと、月見里はゴソゴソと白衣のポケットを探った。

「先ずはこれ」

「あっ」

 差し出された月見里の手の平の上に乗った小さな物を見て、栞は声を上げた。

 失くしたと、たった今話していたピアスがちょこんと乗っていたからだ。

「これ──」

「落ちてたよ。直ぐに栞のだってわかったから、後で渡そうとポケットに入れてたんだけど。──ゴメン。現場に出向するのにバタバタしちゃって、今の今まで忘れてた」

「あの、どうして私のだって分ったんですか?」

「え……。だって、出勤してきた時から付けてたから」


──気付いてた。


 そう驚く栞を尻目に、月見里は丸椅子から腰を上げると、事務所の隅に置かれたステンレスのワゴンを引いて戻って来た。

 そこには、学校の保健室にあるような、簡単な薬品や器具が乗せられており、そこから消毒薬と綿球を幾つか取り出すと、月見里はピアスの消毒を始めた。

「こう言う、キャッチのないタイプは落ち易いだろう?」

「あっ、はい」

 栞は慌てて頷いた。

 月見里の指摘通り、釣り針型になった部分を引っ掛けて使うピアスは、着替えや、ちょっとした動きで外れてしまうことがあった。

 お陰で、片方だけになったピアスが、家のアクセサリーボックスに山とある。

「だろうと思って、先程、医療用シリコンに針で穴を開けた『キャッチ』を作ってみました」

 月見里が振って見せた極小さなジップロックには、直径一ミリ、長さ二ミリ程度の半透明の円筒が二つ入っていた。

「ん。もうちょっと、こっちおいで」

「は……はい」

 おずおずと目の前に立つ栞の、仄かに赤い耳たぶをそっと摘むと、月見里はピアスをつけてやった。もう落ちることが無いように、手作りのキャッチも嵌めてやる。

「いいよ。うん、似合ってる。可愛いね」

「あっ、有難う御座います……」

 例の如くポンと頭を叩かれ、栞はぼそぼそと礼を言った。まだ心臓がドキドキと早い。

「どう致しまして。で、どう? ピアスが戻って、少しは機嫌直った?」

「え、あの、はい。すっかり! ……って、すみません。私ってば単純で」

「単純なんじゃなくて、栞は素直なんだよ。そこも、栞のいい所だね」

 言って、今度は頭を撫でた。


 そこが、ではなく、そこも。


 それは直接的な表現ではないが、他にもいい所があると言う事だ。

 カチャカチャと、消毒液や綿球の入ったステンレスの筒を片付ける月見里の背中を眺めながら、 栞は思った。

 実力もあり、同僚や部下の信頼も厚いながらそれに奢る事も無く、このストレスの多い職場で、至極ハードな労働を強いられても周囲への気遣いを忘れない。

 そう言う所も、先生の凄い所です。と。

「よし。じゃあ、次」

「次?」

「帰り支度をしておいで?」

「え?」

「アフター5のお誘いだよ」

 きょとんとしている栞にさらりと言ってのけると、月見里は白衣を脱いで自分の椅子に掛け、パーテーションで仕切っただけの、男性用ロッカーへと入って行った。

「この間、文孝が、高架下にあるラーメンの屋台を教えてくれたんだ。今の時期は冷し中華もあって、それがまた結構美味しいらしいよ」

「ラーメン……」

 途端に栞の肩ががっくりと落ちた。

「あ。財布の紐の事気にしてるな? 大丈夫、ラーメンや冷し中華くらい、僕が奢りますよ」

 まだ占いを気にしているのだろうと思ったらしい。月見里はひょいっと顔を出すと言った。

「はぁ……有難う御座います」

 礼を言いつつも、内心はやはりガッカリだった。

 別に高級なレストランに行きたいという訳ではないが、ラーメン、しかも屋台は、決して女の子をアフターフ5に誘う場所とは思えない。

 でも──。


──まあ、いいか。先生と二人で行けるんだもの。贅沢言っちゃバチが当たっちゃう。


 そう自分に言い聞かせた時。

「ああ。そうだ、栞」

 再びロッカーから声を掛けられた。

「はい。なんですか?」

「品川君と庄司君も呼んでおいでよ」

「は?」

「まだ解剖室に残ってるはずだから。奢りだって聞けば、大喜びで飛んでくるよ」

 がくり。

「栞ー?」

「…………はい」

 自分のつま先を眺めながら、栞は回れ右をした。



恋愛運:意中の人から優しい言葉を掛けられドキリ。でも、ぬか喜びに終わりそう。カレはアナタにロマンスを求めていません。



「はーあ。やっぱり占いって馬鹿に出来ないかも……」


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