第6話
ビニール製のエプロンを剥ぎ取り、高瀬が月見里を追って冷蔵室に駆け込むと、二台の冷蔵庫の扉が開いていた。
冷蔵庫は縦に二つずつ、横に四つずつの奥に長い長方形の箱が積み重なるような形で設置されており、中には解剖を待つ、もしくは終えた遺体が保存されている。
そして今、その中の二台の冷蔵庫から遺体の乗ったスライド棚が突き出すように引き出されており、月見里がその内の一体の腹を押し広げ、中を覗き込んでいた。
法医学教室でなければ、とても尋常な人間の行動とは思えない。そんな様相だ。
「これもだ」
月見里が呟くように言って手を離すと、広げられた穴が生き物の口のように、ゆっくりとその幅を狭めていく。
「おい。月見里」
気味悪げに見ていた高瀬がそう声を掛けて、初めて月見里は自分以外の生者の存在に気付いたようだ。驚いたように顔を上げると、ぬらぬらと血に濡れた手を胸の前に掲げたまま息を吐いた。
「文孝……」
「どうしたんだよ、急に」
「無いんだ」
言いながら月見里は備え付けのペーパータオルで手を拭き、目の前の遺体を見た。
「被害者三人とも、肝臓が無いんだよ」
「何だって?」
眼前で横たわる遺体の濁った目は、半開きのまま何を語るでもなく宙を見ている。
月見里はその目にそっと手を当てると、瞼を閉じてやった。
「三体とも同じ所に裂傷があるから、もしかしてと思って」
そう言うと、月見里は手袋を外して遺体の脇に置き、困惑顔の高瀬に視線を移した。
「文孝。これは闇雲に腹部を損壊したんじゃない。最初から肝臓を狙ったんだ」
「まさか、臓器売買とか?」
最近では、暴力団が裏のルートを通じて人間の臓器の売り買いをしている。覚醒剤や拳銃より遥かにいいシノギになるからだ。
しかし、月見里は頭を振ると、あっさりそれを否定した。
「それならあんな劣悪な環境でやらないだろ。状況証拠から、あの場所で殺害されたのは間違いないし。それに、無理やり臓器を摘出……いや、引き千切ってる。そんなことしたら、使い物にならないよ」
「クソッ!一体どうなってんだ!」
遺体には生活反応があった。と言う事は、彼らは生きたまま腹を破られ、内臓を引き千切られたと言う事になる。
確かに三人は善人ではなかった。だが、それ程の恐怖と苦しみを味わう必要が、果たして彼らにあったのだろうか。
自分の愛する者が、冷たいただの肉塊になったことを知った家族は、恋人はどうだ。
激しい悲しみは、やがて後悔と懺悔に変わることすらある。
お門違いだと言われても、生んだことを侘び、己と出会い、愛したことを罪とする。そうやって、生きながら永遠に地獄の苦しみを味わえと言うのか。
「何なんだよ……」
高瀬の握り締めた拳がブルブルと小刻みに震えた。
「何なんだよ!臓器売買じゃないならカルト教団か?それともサイコ野郎かよ!」
「さあ……ね」
「クソ!クソッ!バカにしやがって!」
一段と声を荒げると、高瀬はやり場の無い憤りを手近にあったステンレス製のワゴンに向けた。汚れたままの革靴で思い切り蹴ったのだ。
勢いを得たワゴンは猛スピードで滑り出し、同じステンレスで出来た壁に衝突すると大きな音を立てて倒れた。カラカラとワゴンの車輪がいつまでも回っている。その情けないほどに乾いた音は、密閉性の高い冷蔵室でいつまでも鳴り響いた。
「ごめん。君を変に煽っちゃったな」
感情的になった高瀬は手負いの獅子だ。月見里は、自分の失態を悔いた。
何故なら、高瀬の感情の爆発は、高瀬自身を傷つける。それを嫌と言うほど知っているからだ。
大きく息を吐くと、自分に背中を向け、興奮の余り肩を上下させている高瀬の前へ回り込む。 そしてその後頭部と腕に優しく手を掛けると、でもね、と、イライラと視線を泳がせている親友の目を覗き込んだ。
「結論を急いでも駄目だ」
「んなこたわーってんだよ!」
「文孝、僕の目を見ろ!」
吐き捨てるように言う高瀬をそう言って見据えると、ようやく高瀬の血走った目が月見里の目と合った。息遣いが少しずつ静かになり、肩の上下が治まっていく。それを確認すると月見里は続けた。
「いいかい?今はとにかく、目の前にある証拠を調べるしかないんだ。わかるね?」
「……ああ」
「よし。それじゃ遺体を仕舞ったら、解剖室に戻ろうか」
まだ不貞腐れている高瀬の頭をポンと叩くと、月見里は笑顔を見せた。
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