第2話

「なんてラッキーなの!」

 大手新聞社、日売新聞社会部の水野遠子は激しく興奮していた。

 毎日必死に書いた記事を上司につき返され、面白くないだの、オマエには文才がないだのと言われるだけならまだしも、二十五を過ぎたら華まで無くなったと言われ、有給をとって傷心の旅に出ようと思ったら、貯金も無かった。

 だが、仕方なくリフレッシュの場に選んだ御岳山で、民宿の女将と主人が──しかも、自分が滞在していた宿の──、なんと変死体を発見したというのだ。

 慌てて帰ってきた2人から事情を聞き、手持ちのデジカメと手帳を手に急行した。

 当然、出動して来た警察にすぐさま摘み出され、現場に立ち入ることは出来なかったが。

 しかし、遠子がラッキーだったのは、遅れてやってきた同業者達が競って青梅署の谷口警部補を追いかけている中、自分だけがある男に気がついたことだった。


──青梅署管轄の事件に、なんで警視庁の刑事がいんのよ。


 しかも、それは警視庁の問題児、高瀬文孝なのだ。

 と言っても、水野自身は高瀬と直接面識は無い。しかし、先輩記者が何度か記事にしていたし、懇意にしている刑事の話に何かと上る人物だった為、一方的に高瀬の事は知っていたのだ。

 遠子は更に観察を続けた。

 そこそこの長身に、隆々とは言わないまでも、スーツの上からも分かる引き締まった体。日に焼け、骨っぽく野性的な顔立ちに四角い額。低すぎはしないものの、横に広がった胡坐鼻で、髪と同様、手入れのされていない眉の下の目は、眼光鋭くぎょろりとしている。何より、常に不機嫌そうな表情と全身から立ち昇る俺様オーラ。

 間違いない。特徴のデパート、警視庁の刑事、高瀬だ。


──半年前に捜査一課から外されたって聞いたけど……。


 遠子の女のカンが、何かあるとサイレンを鳴らした。

 あれから二時間程経過した頃、遺体を載せたバンが出発し、更に谷口を追って各社の車が土埃を巻き上げながら発進した。

 それから更に数十分後。

 様子を伺う登山客にまぎれていた遠子が、パチンと指を鳴らした。白衣の青年と共に、高瀬と気分の悪そうな男が登山口から出てきたのだ。


──来たわ。


 遺体はどうせ大学の法医学教室か東京監察医務院だ。そして、当然監察医は何も語らない。

 だから、記者は遺体の搬出される画を押さえた後は、追わないのだ。

 ノーマーク。つまり、遠子だけのものだ。

「チャンスだわ……。これはチャンスよ」

 そう声に出してニヤニヤ笑っている自分の姿に周囲の登山客たちが引いているのにも気付かない程、遠子は降って湧いた幸運に酔いしれていた。


──尾行よ。尾行するのよ、遠子!


 心の中で自分を煽ると、更にワクワクした。闘志すら芽生えてきたように感じる。

「ふふっ。うふふふふ。うくくくく……」

 笑いが止まらなくなった遠子の足元で、登山客の子と思われる少年が、彼女を見上げていた。

「あら」

 少年の姿を見止めると、遠子は目尻を下げた。いや、にやけたと言った方が正しいだろう。

「可愛い子ね。ボク、幾つ?」

 その場にしゃがみ込み、少年の目の高さに自分の目を合わせると、遠子はじろじろと遠慮なく少年を眺めた。

 幼稚園児だろうか。半ズボンから伸びた脚は華奢で、背中にはキャラクター物のリュックを背負っている。

 色白で栗色の髪。目は大きく、唇は桜色だ。実に、実に愛らしい。

「へんたい」

「ナニ?」

 遠子は、愛らしい少年の小さな唇から発せられた暴言に、ぴくりと片眉を上げた。

「へんたいばばー」

「なんだと?」

 ひくひくと頬を痙攣させる遠子の目の前で、少年は大きな目を眇め、繰り返した。

「へんたいぃーおばばぁー!」

「くっ……」

 唇を噛み、膝に顔を埋める。だが直ぐに頭を上げると、遠子はニカッと笑い、親指を立てた拳を勢い良く突き出した。

「やんちゃ系もまた良し!グッ!」

 大手新聞社、日売新聞社会部の水野遠子は、所謂美人である。だがモテない。

 それが、この隠そうにも隠し切れない少年趣味にある事を本人は知らない。

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