第5話

 次の日、僕はアルバイト先に電話を掛け、しばらく休みをもらった。

 昼食後に看護師に食器を下げてもらうと、その看護師と入れ替わりで秀介さんが入ってきた。

「早瀬君、大丈夫?」

「秀介さん……!? 病室抜け出していいんですか……?」

 秀介さんはニヤッと笑った。

「トイレっていう名目だよ。……辛くないかい?」

「今のところは大丈夫です。お腹の辺りに不快感があったり、痛みとか胸焼けを感じることはあるんですけど、そのくらいです。薬で収まりますし」

「そうか。良かった」

「秀介さんはいつまで入院されているんですか?」

「まだわからない。俺はこれからCT検査を受けるんだけど、決めるのはそれからになるな。先生がどう判断するか……」

「早めに退院出来たらいいですね。ご家族と一緒にいられるようになりますし」

 秀介さんは頷いた。

「今月の下旬に卒園式があるから、多分それまでには出来るんじゃないかと思う。君には不便な生活をお願いしてしまうけれど」

「でも、なんか不思議ですね」

 僕の言葉に秀介さんは首を傾げた。

「なんていうか……入院して、痛みとか感じて改めて自分は今、病気になっているんだなって実感します。相沢さんは病気の交換なんて、すごいこと考えましたね」

「うん。よくそれをやってみようと思ったなぁって感じたよ。……でも、彼も妹を亡くしているから、それもあるかもしれないね」

「相沢さんの妹さん、亡くなっているんですか?」

 初耳の情報で、僕は驚いた。そもそも、妹がいたことすら知らなかった。

「あぁ、そうなんだよ。若いときにね。病気で入院して亡くなったんだ。その直後は彼もショックでね。それは当然の話なんだけど、彼は人前じゃ悲しんでいるところは見せなかったよ。俺だったら出来ないな」

 僕は秀介さんの話を聞きながら、病室でベッドに横たわる妹の傍らにいる相沢さんを想像した。そのとき、妹の代わりに病気になりたいと思ったんだろうか……。

 想像している途中で聞こえた秀介さんの声で、僕は現実に戻った。

「そろそろ病室に戻るよ。検査があるし、看護師が来ちゃうからね」

 そう言うと、秀介さんは僕の病室を出て行った。

 妹さんではないけれど、僕と秀介さんの病気が交換されたことで、相沢さんの想いを現実に出来たのだろうか。もしそうなら、これは秀介さんだけでなく、相沢さんのためにもなったんだろうか。

 僕は死ぬまで病気を背負うことで、人の役に立てるのだろうか。


 その日の夕方、母さんとばあちゃんが見舞いに来た。本や着替えなどを持ってきてくれた。

「晶、大丈夫なの?」

 ばあちゃんが開口一番に訊いた。僕は頷いた。

「来てくれてありがとう」

「あんた……ついこの間まで元気にして、見舞いに来てくれていたのに……立場が変わっているじゃないか」

「そうだね。でも、大丈夫だよ。ばあちゃんも元気そうで良かった」

「良かったって、あんたが入院しているのに良いなんてことないよ」

 僕は何も言えなくなった。ただ、困ったように笑うしかなかった。

「おばあちゃん、そのくらいにして下さい。一番驚いているのは晶なんですから。……具合はどう?」

「本当に大丈夫だよ」

「そう……」

「トイレ、行ってくる」

 ばあちゃんは母さんをチラッと見てそう言うと、杖を突きながら病室を出て行った。母さんは椅子に腰掛け、僕を見た。

「ねぇ、晶……先生と何か話した?」

「何かって……検査結果とか?」

 母さんは答えず、僕の言葉を待っているようだった。

「何も話してないよ。朝、様子を見に来てくれた時に体調はどうかとか、痛みはないかとか、それくらい」

 母さんはうつむいた。それから一息吐いて、意を決したように顔を上げ、僕を見据えた。

「晶、実はね……検査の結果、もう出ているのよ。胃ガンだって」

「そう」

 母さんは僕の反応に面食らったらしく、目を見開いた。

「先生から聞いていたの?」

「ううん、何も。でも、お腹の辺りに痛みとか不快に感じることはあったから、お腹に関する病気かなって思ってた。ガンの症状は人に聞いたり、テレビでも見たことあるし」

「そう……。昨日、話せなくてごめんね。母さん、びっくりしたのよ。晶にこんなこと話せないって思ったんだけど、いずれ知ることになるし、向き合わなきゃいけないことだって考えて」

「……うん」

「明日、お父さんも一緒に治療のことで先生と相談する予定よ。それからどうするかは晶が決めることになるわ」

 僕は母さんから視線をそらした。

「ごめん、母さん……。迷惑掛けて」

「謝ることないわよ。好きで病気になっているわけじゃないんだから」

 母さんの言葉を聞いて、僕は申し訳なく思った。きっかけは相沢さんからだが、最終的には僕が自分から進んで病気を引き受けた。

 僕は誰かの役に立つ時も、別の誰かに迷惑をかけているのか。結局、僕はそうでもしないと人の役に立つことも出来ない……。

 わかっていたはずなのに、僕はむなしくなった。

 ばあちゃんが病室に戻ってくると、その手にはペットボトルの水があった。

「入院していたときは、あんたが買ってきてくれたからね」

 僕はばあちゃんからペットボトルを受け取った。

「ありがとう。もうすぐなくなりそうだったから、ちょうど良かった」

 母さんは椅子から立ち上がった。

「それじゃ、また明日来るわね」

「無理しちゃダメよ」

「うん。ばあちゃんもね」

 母さんとばあちゃんは帰っていった。僕のなかにはモヤモヤしたものが残った。


 次の日、父さんと母さんを交え、川田先生と今後の治療に関して相談することになった。

「晶さんのガンは、早期発見というわけにはいきませんでしたが、治療出来る段階です。ですが、状況としては胃の深いところで進行していまして、胃に近いリンパ節にたくさん転移しています。なので、手術をしても再発する可能性がありますから、手術前に抗ガン剤を使用して再発の予防をすることをお勧めします」

「先生、抗ガン剤で予防は出来るとしても、副作用がありますよね?」

 母さんが不安そうに川田先生に訊いた。

「はい。どういった副作用が見られるかは個人差がありますが、主に吐き気や食欲不振、下痢、貧血、怠いなどの症状が出ます。また、白血球の数が少なくなるので、定期的な血液検査を行なわなければなりません」

「そうなんですか。予防のためにも抗ガン剤は必要だな」

「そうね」

「手術に関してなんですが、晶さんに行なえる手術は開腹手術になります」

「開腹って……お腹切るんですよね?」

 わかっていたことだけど、僕は先生に確認せずにはいられなかった。

「はい。時間は三時間ほどの手術なると思いますが、胸からおへそに掛けて切るため、傷が目立った形で残ります」

 僕は、お腹を切ると考えただけで嫌だった。抗ガン剤は秀介さんもやっていたことで、僕自身もやるだろうと考えていた。しかし、手術となれば話は別だ。自分は期間限定の患者だ。戻る前に手術をするなんてことにはなってほしくない。

 傷が残ると聞いて、母さんも眉間に皺をよせていた。それを見て、父さんが言った。

「傷は残るけど、抗ガン剤と手術で治療は出来るんだ。治せないわけじゃない」

「そうね……そうよね。晶、抗ガン剤と手術で乗り切ろう」

 母さんは僕を励ますように言った。しかし、僕は母さんから視線をそらした。首を縦に振ることは出来なかった。

「晶……?」

「手術をしないと、ガンは残ったままだぞ」

 ガンが残る。手術をせず、元に戻ることもなかったら、僕はガンで死ねるのだろうか。

「晶……どうしたの?」

 僕ははっとした。母さんが僕の肩に手を置いて、様子を窺うように覗き込んでいた。僕は母さんの問いには答えず、川田先生に尋ねた。

「先生、抗ガン剤はどのくらいの期間、使用するんですか?」

「四週間を予定しています」

 四週間なら、秀介さんの子供の卒園式も入学式も終わっているはず……。

「わかりました。抗ガン剤と手術……受けます」

 僕の言葉を聞いて、母さんはほっとしたように息を吐いた。

「では、まず血液をチェックしてから抗ガン剤を投与しますので、準備が出来ましたら、また病室に伺います」

「先生、よろしくお願いします……!」

 父さんと母さんが頭を下げた。僕もそれに続いて下げた。

 手術を受けると言ったが、その前に元に戻って、受ける必要がなくなったのを検査で確認してもらうしかない。もしも僕がずっとこのままの状態なら、傷を残してまで生きる必要もないだろう。

 川田先生が退室した後、母さんと父さんも立ち上がった。

「この後、手続きもあるし、そろそろ行くわ」

「うん」

 父さんはチラッと僕を見て言った。

「……ちゃんと生きろよ」

「えっ?」

「お前はまだ、これからなんだから」

 僕は驚いて何も言えなかった。父さんはそのまま病室を出て行った。

「晶のこと、心配しているのよ。お父さんなりに気にかけているの。……また来るわね」

 そう言って、母さんは父さんを追いかけた。僕は胸が詰まる思いがして、うつむいた。



                           ー続ー

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