第3話

 翌日の朝、僕はまた早めに起きてアルバイトへ向かう前に相沢さんに連絡した。3コール目で相沢さんが出た。

「はい」

「おはようございます。早瀬です。忙しい時に連絡してすみません。今、大丈夫ですか?」

「問題ないよ。返事を聞かせてくれるの?」

 僕は一息ついてから言った。

「はい。昨日の話ですが、僕でよければ引き受けたいと思います」

「本当? 嬉しいよ。ありがとう。でも、いいのかい? 思ったより早く連絡をくれたけど」

「これ以上、時間をおいて考えても答えは変わらないと思うんです。それなら、早いほうがいいかと思って……」

「そうか。うん、助かるよ。それじゃあ、まず一度、私の先輩と会ったほうがいいね。いつが空いている?」

 僕はシフト表を見ながら相沢さんと相談し、三日後に会うことになった。

「先輩には私から伝えておくよ」

「はい。よろしくお願いします」

 僕は通話を切った。三日後のことを考え、自然と気持ちが高ぶった。時間を確認し、鞄を手に取ると母さんに一声掛けて家を出た。


 僕は品出しをしてバックヤードに戻ると岡野が話し掛けてきた。雑談が始まるとそこへ、青果担当のチーフが通りかかった。

「早瀬、まだ品出ししてないものがあったぞ。早くやっておけよ」

「あっ、はい。すみません」

 僕は品出しの続きをしようと物を確認していると、自然と背後での会話が聞こえてきた。

「岡野はもう終わったのか。いつも早いな」

「そんなことないですよ」

「いや、忙しい時なんか、すごく助かってる」

「それなら良かったです。ありがとうございます!」

 あぁ、ここでもかと僕は思った。結局、どこでも自分はこうなってしまうのだ。


 僕はフルーツの小さな盛り合わせを買い、病院へ行った。相沢さんとの待ち合わせのために、ふたりで話をしたベンチに座って待っていた。

「早瀬君、すまない。待たせたね」

 振り返ると、相沢さんが来ていた。

「いえ、僕も来たばかりです」

「そうか。良かった。今日は先輩の奥さんも来ているよ。それじゃ、行こうか」

 そう言って、すぐそばの病室へ向かった。表札には『佐々木秀介』と書かれている。扉を開けて中へ入った。

「こんにちは、先輩。奥さん」

「おう。来たか」

「こんにちは。いつもお見舞い、ありがとうございます」

 病室のベッドには眼鏡を掛けた男、傍らにはその奥さんであろう黒髪の女がいた。

「こちらの方が先日お話しした交換相手の早瀬晶君です」

「初めまして、早瀬です」

 相沢さんから紹介され、僕は会釈をした。

「早瀬君、この方が私の先輩である佐々木秀介さん。そしてこちらが先輩の奥さんの弥生さんだ」

「初めまして。佐々木秀介です」

「妻の弥生です」

 秀介さんと弥生さんもそれぞれ僕に会釈をした。

「あの……これ、ささやかですけど……」

「おぉ、フルーツか。おいしそうだね」

「わざわざすみません。ありがとうございます」

 僕はフルーツの盛り合わせを弥生さんにわたした。秀介さんが柔和な笑顔で僕に話し始めた。

「君も相沢から私の病気について聞いていると思うが、私の病気は胃ガンだ。交換したら、君は元に戻すまで胃ガンを患うことになる。当然、生活にも影響が出る。いいのかい?」

「はい。僕はガンになったことがないので、入院生活がどれだけ大変なのかはわかっていないところもありますけど、今なら入院することになっても生活に問題ありませんし、大丈夫です」

 僕は言いながら家族のことが浮かんだ。問題ないなどと言ったが、入院したら家族やアルバイト先に迷惑が掛かることは承知していた。それでも、家族や自身に対しての鬱屈な心情が勝った。今の状態を崩すためにも、この機会を逃しちゃいけない。

「そうか。相沢から聞いているとは思うけど、もちろん、交換は一時的なものだ。だからこそ、君は引き受けてくれたんだろうし、とても感謝している。娘がもうすぐ卒園式でその後は入学式があるんだが、それぞれの娘の晴れ姿を見届けたら元に戻る。約束するよ。その間を君にお願いしたい」

「はい。よろしくお願いします」

 僕は病気を交換する日程を話し合い、五日後に相沢さんの研究所で行なうことになった。

「今のところ私の容体は安定しているが、何かあったら妻から相沢に連絡する。そこから早瀬君に知らせがいき、交換は出来なくなる。急な予定変更になるが、こればかりはなってしまったら申し訳ない」

「問題ないです」

「それでは先輩、今日はこれで失礼します。また、様子を見に来ますね」

「あぁ。早瀬君も来てくれてありがとう」

「いえ。また、五日後に」

 僕と相沢さんは秀介さんと弥生さんに会釈し、病室を出た。

「早瀬さん」

 僕は呼ばれて振り返ると、弥生さんが追ってきていた。

「主人の病気の交換相手として申し出て下さって、ありがとうございます。ですが、一時的とはいえ、まだお若いのにどうして胃ガンなんて病気を引き受けようと思って下さったんですか?」

 僕はあまり話す気はなく、一瞬ためらった。しかし、弥生さんは僕の答えを待っている。どう言おうかと考え、口を開いた。

「……人の役に立てるからかもしれません。今、僕にはこれからやっていきたいこともなくて、生活していても誰かの役に立つとか、成果を出すってことがなくて……。だから、僕が病気を引き受けることで秀介さんが少しでも助かるなら、いいかなって思ったんです」

 僕の言葉を聞いて、弥生さんは微笑んだ。

「わかりました。早瀬さんの貴重な時間を削ることになってしまい、申し訳ないですが、主人も私もとても助かります。ありがとうございます」

 そう言って、弥生さんは頭を下げた。僕は慌てた。

「頭、上げて下さい……! 僕は大丈夫です。交換したら、家族で過ごせる時間が出来ますから、その間は気にせずに娘さんと一緒に楽しく過ごして下さい」

「はい」

 僕は再び弥生さんに会釈し、相沢さんと共に病院を出た。

「先輩も奥さんも、君のことを心配していたんだよ。君はまだ若い。そんな君に病気を引き受けてもらうなんて……てね」

「気遣って下さったのはわかりました。でも、もっと年を重ねていたら、引き受けるのが難しかったかもしれません。時間も体力もある今だから出来ることでもあると思います」

「うん、そうか……そうだな。君に話して良かったのかと考えたこともあったけど、言われてみると、そうかもしれないな」

 相沢さんは頷きながら言った。

「それじゃ、また五日後に。受付に君のことを言っておくから、研究所に来たら私の名前を言ってくれ。案内してくれる」

「わかりました」

 僕は相沢さんと別れ、帰路についた。


 次の日、ばあちゃんが退院した。この日は父さんも母さんと一緒に迎えに行った。僕がアルバイトを終えて帰ってくると、リビングには嬉しそうに笑うばあちゃんの姿があった。

「おかえり、晶」

「ただいま。ばあちゃん、退院おめでとう」

「ありがとう。智の誕生日がもうすぐだから、その前に退院出来て良かったわ」

 ばあちゃんの言葉を聞いて、父さんが言った。

「なんだ、智、また帰ってくるのか?」

 母さんがかぶりを振った。

「誕生日は向こうで過ごすでしょう。この間、帰ってきたばかりだし」

「あら、そうなの?」

 ばあちゃんは肩を落とした。

「退院したんですし、また近いうちに帰ってきますよ」

 僕は母さんらが話しているのを尻目に、リビングを出た。

 兄貴の誕生日のことなど、すっかり忘れていた。兄貴の誕生日は病気を交換した次の日だ。中止にならずに実行して入院ってなれば、家族はとても祝う気分にはなれないだろう。僕は入院生活が始まり、母さんはまた見舞いのために病院に行くことになる。

 僕は自分の部屋に入ってその場に座り込み、ため息をついた。母さんに申し訳ない気持ちはあったが、やめるつもりはなかった。




                           ー続ー

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