弐「その名はフレドリク(伍)」

 場末の屋台で二人、拉麺ラーメンを喰らう。

 器用なものであった。フレドリクは華麗な箸捌きで蓮華レンゲの上にミニ拉麺ラーメンを作り、ローブで覆われた口に運んでいく。それでローブを汚すようなこともない。


「お箸、慣れてらっしゃるんですか?」


羅馬ローマと云っても大陸だからな』


 そうであった。新星羅馬ローマ帝國は今や新疆を併合し、中華民國をこの世から抹消しようとしている。

 それにしても、この男――少年?――フレドリクは、頑なに素顔を見せようとしない。

 正直、気にはなった。

 が、『流浪の旅』という言葉や、消音師サヰレンサ免許を持っていなさそうなのに拡声器スピヰカーを操る様子などから、素顔を見せるよう迫っても碌なことにはなるまい、と歌子は判断した。


「あの、最初に音子障害ノヰズを散らしたのはどうやったんですか?」


『コレだ』


 フレドリクがローブの中から拳大の物を取り出し、カウンターにごとりと置く。

 手榴弾、のように見える。


「ば、爆弾ッ!?」


 思わず叫んでしまい、屋台のおっちゃんをぎょっとさせる。


『違う違う。音響爆弾だ』


「やっぱり爆弾!?」


『音、響、爆弾だ。音しか出ない。特殊な周波数の爆音で、音子障害ノヰズを散らす』


「へ、へぇ~……あ、じゃあ、――ごにょごにょ――から逃げた時のは?」


 流石に、屋台の店主がいる場で『警邏から逃げた』とは云えなかった。


閃光筒フラッシュバン


「ふらっしゅばん?」


『スタングレネードだ』


「ぐ、ぐれねーど! やっぱり爆弾!!」


『強烈な光を発生させ、相手を怯ませるんだ。殺傷能力はない』


「そんな便利なものが……」


羅馬ローマじゃ屋台でも売っている』


「それは流石に嘘ですよね!?」


『…………』


 フレドリクは何も言わないが、ローブの下ではきっと笑っている。


「それにしても、あの剣捌き、凄かったです! フレドリクさんは消音師サヰレンサなんですか?」


『違う』


 フレドリクの返事は端的だ。発生する都度タヰピングが必要になるので、当然かも知れないが。


「そうですか。それにしても消音師サヰレンサの人たち、ちょっと怖かったけど格好かったなァ! こう、災害から國民を守る正義の味方って感じで!」


『……正義の味方? 君は戦場を知らないんだな』


「戦場? 戦争で戦うのは歌姫Divaたちでしょう? 何で消音師サヰレンサが戦場にいるんですか?」






『……そりゃア、歌姫Divaを殺す為さ』






「……………………え?」


『戦闘歌姫Divaは敵兵を殺す。そんな敵歌姫Divaたちの歌唱を打ち消し、彼女たちを殺すのが、消音師サヰレンサの仕事だ』


 自動人形オートマタの口から、感情の伴わない淡々とした声が出てくる。


『殺すのは敵歌姫Divaだけじゃアない。女は男に比べると恐怖に弱く、抗命する例も多い。歌姫Divaは一般将兵より圧倒的に強いしな。だから、そんな歌姫Divaたちの督戦隊にも消音師サヰレンサが加わる』


 消音師サヰレンサが、歌姫Divaを殺す。敵歌姫Divaだけでなく、抗命した味方歌姫Divaさえも――。

 歌子は箸を置いた。まだ七杯目だと云うのに、これ以上入りそうになかった。


『もう帰れ』


 フレドリクが箸を置く。

 たったの一杯で足りるのか、と歌子は仰天する。


『こんな時間に年ごろの女が出歩くもんじゃない』


「うーん……」千歳の顔が思い浮かぶ。「ちょっと、帰りにくくって」


『家出か?』


「そんなところです」


『ふむ』


「あの……聞いてもらえませんか?」


『初対面の相手に?』


「初対面だからこそ話せることもあるかなって」


『それで君が帰る気になるんだったら、聞こう』


「ありがとうございます」



   ♪   ♪   ♪



 個人名や撒菱重工のことは伏せたが、概ね話した。


『つまり今の君は、二人の女の間で揺れているわけだ』


「えーと、そうなりますか?」


『違うのか? 君の飼い主を選ぶか、転校生を選ぶかと云う話だろう』


「か、飼い主て……」


 なるほど確かに、千歳は自分の飼い主で間違いないであろう。でも、だからこそ、自分が神と崇める千歳が、卑怯な手を使おうとするのが許せなかった。


『優先順位の問題だ』


「優先順位?」


『君の喉は一つしかないし、君の人生は一度切りしかない。資源も、時間も、有限だ。だから、判断に迷った時は私情を捨て、徹底的に合理的に考え、物事を冷徹に優先順位づけし、より順位の高いものを選ぶようにするんだ』


「そ、そんな……」


『俺はそうやって生き延びてきた。戦災孤児の身の上で、羅馬ローマで生き残るにはそうするしかなかった』


「――――……」


『この国は平和で善いね。もっとも、その平和もあと十年は続かないだろう。大天使が欧羅巴ヨーロッパ大陸に上陸してからはや十年。大天使の進軍速度はほとんど変わることがないから、十年以内には大天使はここ大阪に到達し、この国を引き潰すだろう』



   ♪   ♪   ♪



 屋台から出て、二人向き合って。


「今日は本当に、ありがとうございました」


 歌子は改めて頭を下げた。


「あの、またお会いすることって出来ませんか?」


『日本の女性ってのは、もっと貞淑なものだと思ってたけど』


「そ、そんなんじゃアありません! その、歌姫Divaを目指す者として、フレドリクさんのお話は凄く為になったから」


 何年後の未来かは分からないが、自分も戦闘歌姫Divaとして戦場に出る日が来るかも知れない。

 歌唱女学院は基本的には産業歌姫Divaを養成する場所であり、本格的な戦闘訓練など施しては呉れない。


『成程。毎日好きな物を喰わせて呉れるのなら、考えてもいいよ』


「うっ……」


 歌子はお小遣いの残額を思い出す。

 毎日の買い喰いを我慢すれば、行けるはず。


「分かりました!」



   ♪   ♪   ♪



 一路、撒菱邸へと走る。

 優先順位。

 祖父の命。

 自分の衣食住。

 歌唱女学院の膨大な学費。

 歌姫Divaになりたいという夢。

 ……優先順位など、改めてつけるまでもなかった。

 祖父と自分を救って呉れて、自分に全てを呉れる千歳。

 一方、フレデリカが自分に何を呉れると云うのだろう?

 心躍る弐重唱デュヱット? めくるめく最高の時間?


 ――それは、祖父の命に、自分の人生に勝るほど、価値のあるものなのか?


 結論など、最初から出ていた。


「千歳ッ……千歳ッ……嗚呼、千歳ッ!」


 撒菱邸に転がり込み、女中さんが目を丸くするのも構わず、千歳の自室へ飛び込む。


「あら、歌子」


 果たして千歳は、そこにいた。

 ノックもしなかったのに、怒っている様子はない。


「覚悟は決まったようね。――その顔、好きよ」


 果たして自分は今、どのような顔をしているのであろうか。

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