壱「その名はフレデリカ(弐)」

『ラー~シラドシソラシラドシソラシラドシ……』


 今日も、千歳が音子回路オルゴールを刻み込んだオートジャヰロの回転翼は絶好調だ。

 軽快な旋律と共に風を発生させ、大阪の空を飛んでいく。

 やがて眼下に堂島川と土佐堀川に挟まれた中州見えてくる。


 中之島。

 大阪の真ん中に浮かぶこの島は、未来の歌姫Divaたちの箱庭だ。


 大阪府立歌唱女学校の校舎はもちろん、どれだけ歌っても周りに迷惑の掛からない広大な訓練場や、学生寮、ショッピングモールから病院に至るまで、この島の中で三年間の生活を完結し得るだけの施設が揃っている。


 オートジャヰロが校舎上空に差し掛かると、


「ヰノシシ女が来たわよぉ~ッ!!」

「早く逃げないとッ!!」


 などと、眼下の女学生たちが騒がしい。


 歌子はヰンカム収音機マヰクを装着し、女学生用拡声器スピヰカーの『はち式練習機乙型』――包丁程度の小型拡声器スピヰカー――を腰から抜いて、


「ほなお先に」


 ドアを開き、オートジャヰロから飛び降りた。

 ぐんぐんと地面が近づいてきて、か弱い肉体があわや地面に激突するやと云うその瞬間に、


「ラーーーー~~ッ!!」


 歌子の歌唱。

 途端、台風を凝縮したかのような猛烈な突風が歌子と地面の間に発生し、それがクッションになって、歌子はふわりと着地する。

 役目を終え、発散していく音子おんしがパチパチと音を立てながら蒼く輝く。

 周囲では、


「ぎゃぁああああ~~~~ッ!!」

「お、お助けぇ~~~~っ!!」

ぐしが、御髪がぐちゃぐちゃよォ!」

「荷物が飛んで行ってしまったわ……」


 歌子の歌唱になぎ飛ばされた女学生たちによる、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっている。


「こら~~~~ッ!!」


 歌子が、哀れな被害者たちの荷物を少女たちと一緒に探し回っていると、顔を真っ赤にさせた女教師がやって来る。


「渡瀬さん! 貴女は本当にいつもいつもいつもいつも……大人しく登校することも出来ないのですかッ!! この猪突猛進ヰノシシ娘!!」


「いやァ、御免なさい」ぺこりと頭を下げる。「昨日練習した風を圧縮・爆発させる歌唱を試してみたくて……」


「他の学生を巻き込まない場所でやりなさいッ! まったく……しかしまァ」


 女教師が、オートジャヰロを見上げる。数十メヱトルはあろう高さを飛ぶオートジャヰロから、縄梯子がするすると降りて来る。


「あの高さから飛び降りて来て無傷とは……その歌唱の威力、そして無茶苦茶をやってのける胆力。渡瀬さんには戦闘歌姫Divaの才能があるのかも知れませんねぇ」


「やったぁ! 推薦状書いてもらえます?」


「ちゃんと制御出来るようになったなら、考えてもいいですけれど」ため息一つ。「このなふうに周りの学生を巻き込んでいるようでは、実戦では使い物になりません」


 ――制御力。

 それが、今の歌子を悩ませる、大きな大きな課題なのだ。

 歌子の歌唱は女学院全校生徒、どころか教師陣をも含めた誰よりも威力が高い。

 歌子がひとたび歌唱すれば、そよ風は竜巻になり、燐寸マッチの火は火柱に変わる。

 だが歌子の歌唱はどれもこれも大味で、繊細な制御が伴わず――付いた渾名あだなが『猪突猛進ヰノシシ女』。

 威力が学園一でも、制御が伴わなければ意味がない。

 このままでは主席卒業は遠い夢である。

 ……いや、これでも大分改善したのである。

 この半年の猛特訓がなければ、歌子はコップ一杯の水で千歳の部屋を水没させたころのままであったであろう。


「もっと云ってやって下さい、先生」


 降りて来た千歳が、歌子の頭を叩きながら同調する。


「撒菱さん……貴女はしっかりと渡瀬さんの手綱を握って下さいまし!」


「善処致します」


 千歳が女教師へ頭を下げたことで、この件は終了。

 これだけの騒ぎを起こしても、おとがめなし。

 歌唱の才能さえあれば、並大抵のことは許される――それが、実力が全ての世界、大阪府立歌唱女学院である。

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