鳩の足に結ばれた文には「タ」「ヒ」と記されていた

つばきとよたろう

第1話

 日曜大工の真似事で、棚を作ってその上に鉢植えを置くつもりだったのが、マンションのベランダから落下した鉢が、真下の通行人に当たって亡くなった。そう言う嫌なニュースを目にして、止めにした。極々希な不幸だろうが、自分が思わぬとことで加害者になるかもしれないと恐ろしくなった。

 それでベランダに棚だけ作って、そのまま放っておいた。人間にはただの無用の長物だったが、野鳥には違っていた。それをいい事にして、たびたび雨宿りに来るらしい。最初は可愛らしい野鳥に、少し心が和んだ。雀に燕、何という名前か知らないが、奇麗な羽の鳥がベランダの棚に止まっている。一時は目を楽しませてくれた。しかし、野鳥は野鳥。朝早くからさえずって、ベランダを汚す。たくさん仲間を連れてくることもあった。

 そこへ棲み着かれても堪らない。早いうちに棚をどかそう、どかそうと思っていた矢先に、また鳥が翼を休めている。

 それは大きな鳥だった。鳩だった。こんな大きな鳥がやって来たのは、初めてだった。小鳥なら驚かして追い立てるのだが、大きな鳩には気弱になって何もできなかった。それが何度か続いて、すっかりそこに慣れてしまって、完全に鳩には舐められていた。しかし、慣れたのはこちらも同様、驚かすくらいなら何とかなりそうだ。恐る恐るベランダへ出て行って、わっとやるつもりだった。あるいは遠くから、箒の柄を振り回そうと作戦を立てていたのだ。箒も買った。メガホンも用意した。

 ところが、いざ追い立てるという段になって多少躊躇った。戸外は酷い土砂降りで、この雨の中へ追い出すのは、鳩が可哀相な気がした。その日は大目に見て、そっとしておこうと思っていると、鳩の足におみくじをくくり付けたような物が見えた。伝書鳩か何かだろうかと思案しながら、誰が飛ばしたのか妙に気になった。気になりだしたら止まらない。

 悪いと思いながらも、その誘惑には逆らえなかった。鳩は非常に大人しかった。まるで私自身に宛てた文のように、じっと動かなかった。大きさもおみくじそっくりであった。が、おみくじではなかった。ただ赤インクで印刷されたような、漢数字で「二十三」と記されていただけだった。どうも他に書かれていた所は、この雨に濡れてすっかりインクが流れてしまったらしい。しかし、二十三とは何のことだろう。二十三番、二十三時、二十三時間、二十三日、と勝手に想像してみた。やはりこれだけでは、全く埒が明かない。が、頭の中で二十三という文字が、染み付いて追い出すことができなかった。

 それから間も無くして、また鳩はやって来た。くっくるーく、くっくるーくと人懐っこい鳴き声で、鳩が来たことを知らせてくれた。その日も雨が降っていた。鳩は今度も生まれたての子供の肌のような赤い足に、文を結んでいた。不安とある期待を抱きながら、ベランダへ出てみた。やはり鳩は逃げもせず、棚の天辺に止まっていた。おどおどしながら、鳩の足に震える手を伸ばした。鳩は文を取ろうとしても大人しかった。鳩の足から文を取って開いた。文は同じであった。二十三と記されていて、他の所は前回同様に雨に濡れてインクが流れていた。今回は、インクの滲んだ染みが文字のように思えた。それがカタカナの「タ」と「ヒ」に見えた。が、それだけでは何のヒントにもならなかった。二十三が「タ」「ヒ」とは何のことなのか、これだけでは推理のしようがなかった。

 それからも、大きな鳩は文を運んできた。びくびくしながら鳩を驚かさないように、その細い足から文をほどいた。その日も生憎の雨で、文はずぶ濡れになっていた。当然そこに印刷された文字は、赤い染みになっていた。二十三という文字は読めたが、「タ」「ヒ」という文字は雨で流れて、代わりに「ハ」と「カ」が上下に並んでいた。「ハカ」とはやはり墓のことかと連想すると、嫌な気分になった。これはもしかすると不吉な文なのかもしれないと不安が募った。鳩が届ける文の真相を、是が非でも確かめる必要があると思った。

 次にその鳩がベランダに文を届けに来たのは、やはりざあざあ降りの日だった。雷鳴轟く雨の中を渡ってきた鳩は、ベランダの棚で羽を休めていた。私は居ても立っても居られず、ベランダに急いだ。雨で冷たくなったガラス戸を開けて、ゆっくり鳩に近づいた。鳩は足に文を結んでいた。文は雨に濡れて広げるのも困難なほど、柔らかくなっていた。何とか鳩の足から外して、文を慎重に開いてみた。それでも少し破れてしまった。やはり二十三は読み取れたが、他の所は雨で滲んでいた。わずかにカタカナの「タ」と「ロ」が読めたが、これは漢字の一部分だと想像が付いた。が、何の一部分なのか分からなかった。どうして、この鳩は雨の日ばかり選んでやって来るのだろう。それが憎らしく思えた。しばらく雨が続いて、天気予報では梅雨に入ったことを告げた。その鳩は、毎日のようにやって来た。ここである推測に突き当たった。この鳩の持ち主は、雨の日を選んでわざわざ伝書鳩を飛ばしている。そうして、文が濡れて読めないのを図っている。まるでこちらが盗み見しているのを分かって、弄んでいるように思て腹が立った。が、鳩に八つ当たりしても仕方がない。

 濡れた文を鳩の足から、破らないように注意しながらほどいた。文を見て背中に冷たい物が走った。二十三の他に「死」という文字が雨に流されずに残っていたからだった。カタカナの「タ」と「ヒ」と思い込んでいたのは勘違いで、漢字の「死」だったと思い知らされた。もうこれ以上、この鳩に関わらない方がいいと思ったぐらいだった。だが、何が「死」だろう。その真相が気になった。

 次にベランダに鳩が現れた時には戸惑った。鳩の文に「死」の真相が記されているかもしれないと思ったからだ。それでも、真相を知らねばならない。指先は小刻みに震えて、上手く文が鳩の足から外せなかった。焦ってはいけない。もし鳩を驚かせて逃がしてしまったら、文を失ってしまう。それだけは、避けたかった。何とか文を鳩の足から外し、開いて見た。滲んだ文には、二十三の他に二十五という文字が読み取れた。「死」の真相は分からなかった。居たたまれなくなった。

 その日は、朝から雨が降っていた。鳩はやって来た。ベランダに出てその時には、まるで躊躇わずに、すぐに鳩の足から文を解いて開いていた。文はいつも同じ文であった。ただ前に消えていた所も、幾らか残されていた。それがしばらく続くうちに、次第に文の内容が分かってきた。が、それと同時に恐ろしくなってきた。それは人ならざる者から、送られて来るように思えた。――文から読み取れたことは、「二十三」と「誰かが死ぬ」「落」時刻は何時か分からないが、とにかく二十五分ごろだと言うのだ。そうすると、二十三とは、二十三日のことだろうと想像が付く。その日は間近だった。

 私は死ぬのは、私自身だとばかり思っていたから、その結末は全くの不意打ちだった。鳩は、いつもと同じように棚へ止まりに来た。私はベランダに出るのが怖くなった。ところが、躊躇っているうちに、鳩は物凄い勢いで、地上十数メートルから落下して行った。間も無く階下でバンと衝突音とともに、キャーと悲鳴がし、騒然とした空気が上階まで立ち上って来た。私は、まるで私自身が植木鉢を通行人に投げ付けてしまったような思いがして、とてもその後、鳩がどうなったのか、それから、階下の悲鳴の真相を確かめることができなかった。

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鳩の足に結ばれた文には「タ」「ヒ」と記されていた つばきとよたろう @tubaki10

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