伝奇ロマン:古縁流始末記

のいげる

第壱話 雪の峠を越えて(1)

 見上げた空一面が白であった。


 無数の雪片が強風に乗って吹き付けてくる。その風は鋭い氷の刃のようであった。身を切るような寒さという言葉が文字通りに実感される。

 峠も空と同じく白一色に染められていた。まるで世界がそれ以外の色を拒絶しているかのように。周囲に立ち並ぶ木々の姿さえ、凍れる雪の中に閉じこめられている。

 すでにここは人が生きていける世界ではなかった。山育ちの者でもこのような吹雪の日には決して山には入らない。

 吹雪の山に足を踏み入れた者ば間違いなく死んでしまうから。


 疲労に男の足が滑る。深く積もった雪の中を一歩一歩踏み出す動きそのものが、残り少ない体力を容赦なく奪い取って行く。

 己の体の限界が近いことを感じた。


 男の名は草野三郎。当年とって三十歳。仇討ちの旅の最中であった。

 仇の名は加藤兵庫之助。両親を惨殺した憎むべき敵であり、また同時に無二の親友でもあった。


 どうして、あんなことをした。加藤兵庫之助。三郎は心の中でつぶやいた。この五年の間、数え切れぬほど繰り返して来た問いであった。



 三十俵二人扶持。

 武家の禄としては最低に近い。草野三郎はいわば武家社会の最低辺に生きる武士であった。長兄と次兄は若い内に相次いで病死した。貧乏が直接の原因ではなかったが、金があればもっと生きられたのも間違いがなかった。

 武士たる者が内職に走ってどうする。そう父親は断じていた。そんな暇があるなら、ただひたすらに武技を磨け。それが持論であった。

 その武士の誇りが、病になっても薬一つ買えないという結果につながったのだ。貧乏な武士が誇りなど持ってどうする。三郎はそう思っていた。


 厳しい父であった。

 頑固な父であった。

 意固地な父であった。


 武家の食卓で出す刺身は一切れと三切れは忌避される。『人切れ身切れ』に繋がると縁起を担ぐためだ。だが草野家は違う。貧乏ゆえ刺身などは滅多に食卓には出ないものの、それでも刺身が出るときは三切れで出される。

 武士たるもの、人切れ身切れはむしろ誉の言葉、決して避けるべきものに非ず。むしろ好んで人を殺す心持ちにあれ。そう三郎の父は日ごろから教え諭していた。

 幼い頃から木刀を持たされ、厳しい稽古をつけられた。暑い夏の日も、寒い冬の日も。そう、ちょうどこんな吹雪の日もだ。武士たる者、強くならねば生きる価値はない。そう言われた。

 強くなったって、偉い武士になれるわけでもない。そう父親に口ごたえしたときには血を吐くまで殴られた。

 やがて長じるにつれて、自分も父親の考えを継ぐようになった。

 武芸で身を立てようと、本気でそう思うようになったのだ。


 虚しい望みであった。



 雪が無情にも積もってゆく。地面と言わず、三郎の肩の上と言わず。あらゆるものをその厚く白い帳の内に埋めてゆく。

 吐く息がだんだんと白の色を失っていく。体の中の熱がもうあまり残っていない。生きるために行う一息一息が、凍りつく死への道標を刻む。


 その状況の中で、逃げ場を失った心は自ら過去へと向かう。



 太平の続くこの世の中で、剣技で身が立てられるはずもない。

 禄というものは減らされることはあっても、増やされることはない。戦場というものがない世の中では、武士が武功を立てて出世する道は完全に閉ざされている。

 それは若い頃の自分でもわかってはいた。だがそれを認めるわけにはいかなかった。どのような厳しい生活でも耐えていくには希望がいる。剣の道の先に新しい人生が待っているという希望がだ。

 それがただの虚しい空っぽの希望だと認めた瞬間に、人は真の死を迎える。

 だからこそ、認めるわけにはいかない。

 現実から目を逸らし、わずかな希望にすがりついている方がうんと良い。

 そうやって三郎は自分をごまかして生きて来た。


 だがその絶望が心の澱みとなり、ついに三郎は自分が空っぽとなったことを感じた。家宝の戦国大太刀を持ち出し、死ぬための場所を求めて彷徨い歩いたのだ。

 刀を持ち出したは一つには父母に生きる望みを持たせるため。

 家宝を持っての出奔となればまさか息子が死を選んだとは思うまい。

 もう一つは、我が家を狂わせたこの戦国大太刀を葬り去るためであった。

 誰の持ち物であったのかも分からぬこの戦国大太刀。こんなものが伝わっていなければ、草野一族はここまで苦しまずに済んだのだ。そういう思いであった。

 そしてそのとき行き着いた荒野の果てで、一人の老人に出会ったのだ。


 最初は枯れ木が立っているのかと思った。

 今にも折れそうな老人の細い腕が質素な着物の袖から突き出している。だがその腕には不釣り合いなほどの大太刀が握られていた。それは三郎がいま持っている戦国大太刀と奇妙に似ていた。人の身の丈もありそうな、太く長く無骨で頑丈、なおかつひどく凶悪そうな鋼の刃。

 立ちふさがる者をことごとく斬り伏せるためだけに作られた刀。それが戦国大太刀だ。見せびらかすためのものではなく、ただ殺すことだけを目的とする持ち運ぶのさえ一苦労の代物だ。

 戦国の世に産まれ、今では誰一人使う者もおらぬ忘れ去られた古刀である。

 その老人は目にも止まらぬ速さでその大太刀を振るうと大木を一撃で切り倒してしまった。その後に繰り広げられたとても人間技とは思えぬ数々の技を見て、三郎は驚愕に我を忘れてしまった。

 これならば空っぽの自分を満たすことができる。そう確信した瞬間、思わずその場に走り出て、老人の弟子になることを懇願してしまった。


 古縁流。老人の流派の名前だ。今まで聞いたこともない流派であった。

 いにしえのえにし、と読むのだ。そう老人は語った。

 人と人が戦うのは一期一会などという軽いものでは決してない。いかなる戦いも過去に縁がある。袖摺り遭うも他生の縁という言葉は嘘ではない。ましてや殺し合いをするともなれば、ただの縁では済むものではない。

 だからこそ、切り捨てるという言葉はない。切り合いとは、己の人生を相手の人生と交差させること。そして生き残った方が相手の人生を継ぐことなのだと思え。

 そう言われた。このときより老人は三郎の師匠となった。



 冷気は体の芯を切る。あのときの師匠の斬撃のように。

 薄い布の着物一つで、この寒さが防げるはずもなかった。まるで刀で切り付けられたかのように肌が痛んだ。その痛みを感じなくなったときに自分は死ぬのだと、三郎にはわかっていた。

 まだ間に合う内に山を下りることはできた。そうするつもりだったし、そのはずだった。だが自分はそれをしなかった。まるで何かに呼ばれるかのようにこの山の奥深くまで来てしまった。


 予感・・だったのかもしれない。



 加藤兵庫之助。兄弟子はそう名乗った。


 同じ領内の同じ石高の武士の出。その中でも穀潰しとされる次男坊三男坊の若者たちの寄合いで、きっと顔を会わせていたに違いない。

 しかし三郎にはその覚えがなかった。この集まりは武家社会の底辺で蠢く連中のみじめな傷の舐め合いでしかないと、そう考えていたからだ。

 薬代もない家の家計の内で、なぜか酒を飲む金だけはあった。

 父親の晩酌。その酒をこっそり盗んで、みなで集まって飲むのだ。

 その惨めさには吐き気がした。

 だからこそ、たまの寄合に顔は出しても、他の者の名も顔も覚えなかった。 お互い名乗りを上げて初めて知り合った。


 腑抜け侍の連中の中には居ても、加藤兵庫之助だけは一味違った。

 大酒飲みのロクデナシであったが、この時代には珍しく武技に心を傾ける男であった。三郎のように毎日真面目に剣術の稽古に出てくるわけではないのだが、何かのきっかけで気が向くと驚くべき鍛錬をこなすという斑のある性格だった。

 二人して師匠の下で死ぬほどの修練を積んだ。


 三郎が見る限り古縁流の剣術の奥義は、派手に演じる豪快な剣技に非ず、左手の内に隠した手裏剣にあった。

 戦国の世に産まれ落ちた古縁流は元より忍術と剣術を融合してできたものなのだと師匠は言った。実戦のみを主眼に置き、昨今の風格とやらに満ちた剣術とは一番遠いところにあるものなのだと、そう教えられた。

 古縁流の剣戟の間に手裏剣は縦横無尽に乱れ飛び、そうして生まれた隙に必殺の斬撃が深く斬り込む。如何な剣の流派もこの動きには対抗できるものではない。三郎はそう見てとった。


 手裏剣の技は蟹目撃ちを基本とする。手裏剣で蟹の目を射抜くほどの精度が必要とされるということだ。

 だが、古縁流の要求はさらに厳しいものであった。蟹の目を射抜くは当たり前、それに加えて一切の構えなしで複数の手裏剣を投げることが要求された。

 激しい剣戟の合間に手の内に隠した手裏剣や礫を、間近より正確に相手の目に飛ばすのだ。

 手のひらの内にて投げる技、手のひらの外にて投げる技、そのどちらもが要求された。二本の手裏剣を同時にそれぞれ異なる速さで投げることも行った。

 それができて初めて、古縁流の最初の一歩に入ることができた。


 続いて斬撃の訓練に入った。

 右の片手持ちから素早く両手に切り替えて、大太刀による渾身の斬撃を放つ。相手が手裏剣を避ければ斬撃を受けきれず、斬撃を受ければ手裏剣は避けきれぬ。そのために必要となる右腕の膂力はそら恐ろしいものであった。

 大きな石の重りを片手で持ち上げる訓練から始まり、それを軽々と振れるようになるまでは地獄の日々だった。そのために師匠からは薬活の基礎を叩き込まれた。山野に自生するただの草から多くの薬を作り自ら服用した。


 山中のウサギを手裏剣で狩りつくし、すべて腹に納めた。

 野犬もイノシシも刀で切り殺し、すべて腹に納めた。

 賢いクマだけは、追うこともできない速さで修行中の山から逃げ出してしまうので、食うことはできなかった。


 古縁流。そは必殺にしても、決して表には出せぬ剣であった。

 戦国の世であれば、あるいは立身出世もあったやもしれぬ。だが太平の世ではそうもいかぬ。

 相手に飛び道具は卑怯なりと言われてしまえば、今の武士の間ではただあざ笑われるばかり。この剣術を極めたとしても今のお綺麗な武士の世では立身出世は決してあるまいと断言できた。

 だが一度その強さを目にすれば、剣の道を究めたいと思う者ならば決して無視はできぬ。

 見栄えのよい風格のある剣技は確かに出世には有利であろう。ただし一度でも古縁流と剣を交えればその者は間違いなく死ぬ。

 三郎はそれを腑抜けの道と呼んだ。剣術は立身出世の道具ではなく、武士の生き様そのものでなければいけない。そう信じていたのだ。

 加藤兵庫之助も少し形は違えどまた同じであった。いわばこの二人だけが古縁流の真の理解者であった。

 修業の合間に多くを語り合った。太平の世にあって剣技を磨くことの無意味さも、先行きの無い貧乏武士の未来についても。二人は揃って深い深い絶望の中にあった。

 だがそれでも古縁流の強さには希望があった。ひとたび、今ひとたび世が乱れさえすれば、古縁流こそが頂点に立つのだ。

 二人はそう思うしかなかった。


 三郎は加藤兵庫之助を、顔も知らぬうちに死んだ兄たちに代わって、自分に新たにできた兄なのだと感じた。

 厳しい修行も加藤と行えば、実に楽しい遊びのように思えた。二人の伸びゆく剣の技量がうれしかった。お互いに組打ち散る刀の火花が頼もしかった。


 時は飛び去る矢のように流れ、やがて三郎は免許皆伝を受けた。

 兄弟子の兵庫之助よりも早く。

 それが悲劇の始まりだった。

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