『にわかに…』━━本当にあったウソの様な真実の嘘の噺━━

『にわかに…』━━本当にあったウソの様な真実の嘘の噺━━


 今からする話は、本当にあった事だが、私はなんにもしていないと言っていいので、少しためらいがある。だけど今しておかないと、この話が埋もれてしまう気がするので、みんなに知って欲しくて敢えてする次第だ。

 ただし、女優の名前はアナグラムになっているので、誰なのか考えて欲しい。それと、架空の名前の元であるギリシャ神話も。


 場所は居酒屋だ、といっても、私は十七だからジュースだけど。

 ある劇団の練習の後の飲み会に、初めて付いて行った。その劇団は、プロの俳優とアマチュアが、一緒に芝居を造り上演するという形式で、たまに参加させてもらっている。

 その日の練習は即興芝居だったので、飲み会の話題も自然とそれになった。いるのは劇団の看板俳優、高槻のスタリオンこと河口達也先生、といってもまだ三十代半ば。あと、アマチュアで毎回出演している直子さんと典子さんの三十才ぐらいの女性が二人。

 飲み会初参加なので、ジュースをちびちび飲みながら、三人の話をヘエーと思って聞いていると、達也先生が、

「彩月、黙ってうなずいてばかりだけど、なんかないか」

「エッ、えーっと、関係ない話ならできますけど、即興についてですよね」

「まぁ出来れば」

 今日の即興劇の練習で、たまたま組んだ二人の内、横になっている男性を女性がいきなり、「ねえ、お父さん、大丈夫?」と身体を揺さぶる所から始まったのが、記憶に残っていた。

「うーん、子どもの頃の話ですけど、今まで見聞きした三十分番組、テレビ、ラジオの、ドラマ、アニメ、バラエティー、報道を含む全ての三十分、いや、一時間物を入れても、一番驚いたどんでん返しの番組があります」

「ほぉー、自分からハードルを上げたな。大丈夫か」

「『にわかに…』っていう番組なんですけど、観たことありますか」

「名前だけは聞いたことあるな」

「私も」と直子さん。

「あーっ、船平がやってた?」と典子さん。

「はい」

典子さんは「私、せんべえ、苦手なんだ」

直子さんも「私の母も、俳優のフォレスト・ウィテカーに似たあの顔が、と言ってる」

「俺は好きだぞ、あの船平噺は天下一品だ。で?」

「その落語家、というよりタレント兼俳優の松鶴亭船平がホストで、毎回ゲストの俳優と即興芝居をする番組です。

 CMを除くと実質二十五分ぐらいで、最初の五分は、船平によるゲストの紹介と会話の後、その日のセットを見て回ります。次の十分で打ち合わせなしの即興劇と終演直後の様子、最後の十分は二人で録画を観ながら対話、という流れです」

「あぁ、即興劇の事を、にわか芝居とか似輪加、というからな。それで」

「その日のゲストは李精漣さん」

「うん、ベテランの個性的な良い女優さんだ、最近見ないんだが」

直子さん「あぁ、分かります」

典子さん「ふんふん」

「その日の設定は夕暮れ時の病室です。画面手前にベッドがあって右奥が枕、その周りにテーブルや収納棚があったと思います」

「うん、解った」

「ブザーが鳴ると、船平はベッドに入っていて上半身を起こし、李精漣はベッドの向こうに立っています。彼はシャツ姿、彼女は普段着といった感じで、会話が始まると何となく、二人は夫婦という事になりました」

「ふん」

「夫はどうやら検査入院で、妻は付き添いです。夫は、会社でこんなことが、とか、高校生の息子の学はどうしてる、とか話しかけますが、妻は、あれはこう、それはこう、と会話しつつ少し受け流す感じです」

「ほぉ」

「夫婦が互いに気遣い、愛情も感じられるんですが正直、その芝居は盛り上らなかったんです。いつもは船平の誘導にゲストが乗ったり反発したりして、もっと変な展開になったり、怪しくなったりして面白いんですけど」

「解る解る」と典子さん。「なるよね」

「私も、やってる途中で普段の自分が出そうになって、逆に変になる」と直子さん。

「さて、出演者から見える所にタイマーがあるのか、時間が迫ったんだと思います。夫が、ちょっと疲れたから寝るわ、とこちらに身体を向けて横になりました。すると妻は、うん、そうしなさい、と、布団を掛け、椅子をしまい、枕元をかたずけ、最後に何かの包み紙を丸めて、十秒ぐらいすると、カット、というスタッフの声が懸かりました」

「うん」

「船平は起き上がると、なんでもっと早くカットを掛けなかった、と不満を漏らしました。余韻が消えてしまうと思ったんでしょうか」

「なるほど」

「さて、最後のトークコーナーです。横並びに座って二人で録画を観ながら船平は、あそこはこう思った、ここはこんな意図だった、と話し掛けます。李精漣は、あぁなるほど、とか応えながら、やっぱり少し受け流す感じです」

「へぇー」

「最後の場面が来ました。夫が身体の正面をこちらに向け横になります。妻は、夫に布団を掛け、椅子をしまい、枕元をかたずけました。そこで映像は妻のアップに替わります。すると妻は、夫の背中を愛しそうに見つめた後、包み紙を、クシャクシャッ、と両手で握り潰すと同時に、悲しい、悔しい、という表情で、大粒の涙をボロッ、とこぼしました。その瞬間、録画を観ていた船平は映像を止めさせ、横にいる李精漣を睨むように見た後、驚いて『アーッ!…この女、ワシ殺しよったッ!ワシ、不治の病かなんかで、死ぬんやッ!』と叫びました」

「アッ!」と三人。

「そうです。この夫は、重い病気で余命幾ばくもないんだな、検査入院というのは口実で、妻はそれを医師から知らされてるんだけど、夫には伝えてないんだな、という事が、クシャクシャッ、ボロッ、の芝居だけで判るんです」

「なるほどー」

「映像が再開されました。紙を丸めた手は震えています。その後、妻は涙を拭きながら必至に嗚咽をこらえます。じゃあ帰るね、とかなにか言った様にも思いますが、よく覚えていません。そして、カットの声が懸かりました」

「それが謎の十秒か」

「はい。全てを伝える無言の演技だけでも素晴らしいんですが、もっと凄いのは、この事を知らなかったのは船平だけ、視聴者もスタッフも全員、最初の十分の即興芝居が終わった所で夫の運命が判ってるのに、夫が、船平だけが、録画を観て初めて知ったという事です」

「えっ、どうして」と典子さん。

「全て、李精漣が、こちらを向いて寝ている船平の背中越しに芝居をしたからです」

直子さんは感心した様に「そうか、彼女が見えてないんだ」

「そうです。さらに怖いのは、スタッフや勘の良い視聴者なら、トークコーナーの最中、船平だけが判ってない事に気付いていたでしょうけど、私みたいな人は、彼が気が付いた瞬間、アッ、船平だけが判ってなかったんだ、と気付かされた事です。

 勿論、その瞬間、李さんは苦笑、スタッフは手を叩いて大受けでしたけど」

「だろうな」と達也先生は感慨深そうに。

「そして恐ろしいのは、これが全部、彼女の即興だという事です」

「いやぁ」と直子さん。

「と同時に、船平が気付く所まで、全て彼女の計算でしょう」

龍也先生「フウーッ」

典子さん「凄い」

直子さん「凄いを通り越して怖い」

「はい、私も怖いと思って、思わず自分の身体を抱きしめて震えました。矛盾してますけど」


「ウーン。…でもそれ、李精漣に取っては、朝飯前なんじゃないかな」

「だと思います」

「それも気が付いたか」

直子さん「エッ、どうしてですか」

典子さん「なんで」

「ガンの致死率が高かった昭和頃は、患者に告げずに家族にだけ知らせる事が多かったし、そんなドラマもよくあった。李精漣は一九六十年代から新宿のテント小屋の劇団の看板女優として活躍してる、アングラの女王と呼ばれた人だ。舞台映画ドラマの経験も豊富だし、百戦錬磨、そんな芝居は引き出しを開けたらすぐ出てくるだろう」

「私も李さんの経歴を調べてそう思いました」

「さすがだな。じゃあなんで彼女はそんな事をしたと思う」

「仕返し、でしょうか」

「ンッ、仕返し?」典子さん。

「どういうこと?」直子さん。

「さっき言った様に、この番組は若手からベテランまで、毎回いろんな俳優がゲストで即興芝居をします。即興とはいえ、皆さん有名で経験もあるでしょうから、たまに俳優もやるとはいえ、船平より演技力はあるはずです。ところが彼の土俵に上がると、みんなおかしくなってしまう。船平ワールドとでも云うんでしょうか。たとえ俳優が逆襲して船平がアタフタしても、それも彼の計算の内です。そこが面白いと云えば面白いんですが、李さんには面白くなかったんだと思います」

「役者としての矜持、だな」

「はい。だから船平に仕返し、というかイタズラを仕掛けてお灸を据えた」

「俺もそう思う」

「だから、途中盛り上らなかったのも李さんの計算でしょう。船平が上げたトスを全部スルーして、というかモグラたたきみたいに全部潰して、話の流れを導いて。おそらく、彼が横になったのも何か言葉で誘導してるはずです、覚えてませんが。そして最後にどんでん返しという」

「うん」

「でもそれをあっさり即興でやっちゃうわけですか」と直子さん。

「ハアーッ」典子さん。

「番組の最後に、船平から、『今日のゲストは李精漣さんでしたー』と送り出され、スタッフから拍手されてましたが、彼女は、ちょっとやり過ぎちゃったかな、テヘッペロッ、みたいな顔をしてましたから」

「あの人らしいな」

「子どもの頃観たので記憶違いがあるかもしれませんが。『にわかに…』のDVD は十枚出てて四十人以上の俳優が出演してるんですが、李さんの回は入ってないんです」

「ウーン、観たいなー。しかし、なんで話題にならなかったんだろう」

「もともと名古屋のテレビ局の制作で、十六年も続いた番組だそうですが、こっちでは二000年の四月から十月の、たった半年しか放送しなかった様です。他でも同じかもしれません。ネットでも、取り上げてる人は今のところ一人だけです」

「という事は、彩月がそれを観たのは…」

「はい、叔父が録画して持っていたビデオです。でも、十年ぐらい前、たった一度観たきりですし、今はDVDですから、今でも保存してるかどうか…」

「そうか、チャンスなしか」

「叔父によると、名古屋という所は、関東と関西の文化や芸能が両方入ってくるので、自分ではやらないけど見巧者が多い。だから企業が新製品や新曲をここで試す事がよくある。かつて古今亭志ん朝が、名古屋の大須演芸場で毎年独演会をやったのも、そういう土地柄だからだ。この番組もそんな所だからこそ生まれ、逆に初期の頃は話題にもなりにくかったのでは、と」

「なるほど」

「この番組も、関西出身の船平と関東からの俳優の共演がほとんどです。ただし、ゲストを活かしつつ実はホストが株を揚げる、という基本構造をひっくり返した精蓮さんの凄さは、彼女の出自や人生観と関係あるかもしれません」

「あり得るな。ウーン、しかし残念だな」

「実は李さんは今、ご病気をされて闘病中だそうです。治って復帰される事を祈ってます」

「そうだったか…。大先輩に対して失礼だけど、あの人の芝居をまた観たい」

「はい」



 冒頭で触れた様に、私は何もしていないので、名前にだけ凝ってみた。本当は、李麗仙さんだ。船平も仮名だが、番組名は『スジナシ』だ。分かる人には分かるだろう。語った内容は、本当の事だ。

 そして、精漣と船平という名前は、あるギリシャ神話から採っている。海の怪物、つまり、漣の精霊が、歌声で船を難破させ、海の底に引きずり込むという、セイレーン伝説だ。

 あの後、彼女の、快癒と復帰を祈願して四人で献杯した、あの夜の事は忘れない。



 *李麗仙、本名大鶴初子、二0二一年六月二十二日、肺炎のため死去、享年七十九。

 偶然だが、大きな鶴が小さな鶴と遊んだのか。いや、彼女は判っていたのかもしれない。

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