第43話 歩んで来た道(陣内主観)

 菱友香澄は、思ったイメージとまるで違っていた。

 彼女の空手に対する強い情熱を感じた時、俺の中の忘れていた何かが呼び覚まされた。

 そして、自分がこれまで歩んで来た道を思い返していた。



 俺が、久しぶりに剛武流の道場を訪ねたのには訳があった。

 三笠に敵対する丸菱に影響力のある、住菱グループの次期後継者である菱友香澄が、この道場に通っていると聞き及び、その人物を見たいと思ったのだ。また、空手を好む彼女に、親近感を感じたのもあった。



 大学の時以来訪ねた道場は、全く変わっていない。懐かしい師範の顔を見た時に、昔にタイムスリップしたような不思議な感覚に陥った。


 道場で、空手の型を演舞していると、ここに来た目的さえも、どうでも良いと思え、何事にも動じない無の境地に至れる。

 


 大学時代は、俺に取って空手が全てだった。

 自分から空手を取ってしまったら、存在意義さえも失ってしまうほどに思えた。

 俺は、間違いなく、この武道に心酔していた。



◇◇◇



 小さい頃より、空手の手解きをしてくれたのは、今は亡き父であった。

 空手の流派は、古流と言われる剛武流である。


 父は、沖縄県の那覇市に小さな道場を構えていた。

 門人が少なく、経営はうまく行ってなかったが、それでも貧しくはなかった。母が、仕送りをしてくれていたからだ。


 母は、アメリカの投資会社に研究職として勤めており、ほとんど日本に帰る事はなかった。

 彼女は母性が薄いようで、偶に日本に帰国した時に俺と会っても、可愛がられた記憶がない。 

 そんな母の態度を見て悲しくなったりしたが、その内、諦めてしまった。

 本当は、母性に飢えていたが、気持ちに封印をしていたのだ。

 父は、そんな俺を不憫に思ったのか、不器用ながら、必死に愛してくれた。

 父の愛情を感じていたから、母がいなくても耐えられた。



 父に鍛えられ空手が上達し、それに伴い、精神力も強くなった。

 学業の方は、母に似たせいか、常に最上位の成績をキープしていた。



「雄一は、俺と違って学業優秀だから、将来は、様々な選択肢があるな。 遠慮せずに大学を目指せよ。 母さんも学費は、何とかすると言ってる」



「でも、父さんのように空手を職業とするのも悪くないと思うよ」


 それは、俺の本心だった。

 母のように、人の心が分からない人間になりたくなかった。父のように愛情を注げる人になりたかった。



「兄弟子が、東京で道場を開いているから、そこに口を聞けない事はないが、しかし …。 おまえは、大学に進むべきだぞ。 空手は、趣味で続ければ良いさ」


 父は、俺の肩を叩いて励ました。



 母は、愛情が薄い分、仕送りだけはキチンとしていたようだ。

 父からは、母も、雄一の事を愛しているんだと、何度も繰り返し聞かされていた。



「なあ、雄一。 会えなくても、母さんの事を悪く言っちゃならんぞ」


 父は、俺が母の事を恨まないように気遣っているようだが、父の辛そうな顔を見ると本心でない事が分かる。

 両親の不仲には気づいていた。



 俺は、地元の高校を卒業して、日本の最高学府と言われる、東慶大学に進学する事ができた。地元では、快挙だと言って驚いていた。

 

 沖縄を出る時に、父と道場の門人による、簡単なお祝い会を開いてくれたが、結局、母は来なかった。



 東京では、先に話した、父の兄弟子の所に下宿し、そこから大学に通う事になった。ここの道場主は、とにかく良い人で、こんな俺に対し、いろいろと面倒を見てくれた。また、俺の師範として厳しく鍛えてくれた。



 大学の授業と空手の両立は大変だったが、師範の指導のおかげで何とかこなせた。

 そして、大学2年の時に、関東学生空手道選手権大会で優勝する事ができた。

 父も喜び、はるばる沖縄から祝福に訪ねてくれた。

 この時が、俺の人生の中で最高潮の時期であったと思う。



 その時は、急に訪れた。


 3年に上がった時に、父が急死したのだ。

 師範の力を借りて、故郷で厳かに葬儀をあげる事ができた。

 その時には、さすがに母も帰国した。


 父が亡くなっても平然としている姿に違和感を覚え、俺は母を問いただしてしまった。



「母さんは、父さんを愛してなかったのか?」



「だいぶ前から破綻していたわ。 あなたに言ってなかったけど …。 実は、すでに離婚してるの。 私にも家族がいるのよ」


 母は、淡々と言ってのけた。



「俺の事も …。 愛して無いんだろ」



「あなたは、私がお腹を痛めて産んだ子よ。 扶養義務があるわ。 大学を卒業するまでは、お金に困らないようにするから安心しなさい」


 母の言葉を聞いて、俺の中の何かが壊れてしまった。

 そして、そんな母を見返してやりたいと強く思うようになった。



 その後、経済界の情報誌を読み漁り、そこで、一人の人物に目をつけた。

 一代で、大手企業グループを起こした、カリスマ経営者と呼ばれる、桜井頼之の手腕を学びたいと思ったのだ。

 だから、彼が社長を務める中堅商社の三笠に入社した。


 

 母を見返したい一心で頑張ったおかげで、社長の懐刀になり、今は、娘の専務を支えている。



 しかし …。

 菱友香澄とこうして会って、自分の中の何かが蘇った気がした。

 そして、恥ずかしげも無く、自分の生い立ちを話してしまっていた。


 彼女は何も言わず、時に悲しげな表情を浮かべて聞いてくれた。

 それを見て、俺は目頭が熱くなっていた。

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