第44話 吉報

 香澄は、陣内の話を聞いて、一瞬、慈愛に満ちたような表情をしたが、直ぐに、いつもの冷静な感じに戻った。


 それに対し、陣内は、感情の高まりを覚ますのに苦労しているのか、服の袖を目に当てると、鼻声で弁解するように話した。



「お見苦しい所を見せてすみません。 空手バカだった者ですから、つい、恥ずかしい過去を話してしまいました …」


 陣内は、軽く鼻をすすった後、いつものポーカーフェイスに戻った。

 


「無理しないで。 それに …。 陣内さんは、剛武流の兄弟子なんだから、私に遠慮は要らないわ。 ビジネスに関する事で、話があるんでしょ?」


 香澄の話は、いつも直球である。


 そして、陣内は思った。

 当初は、住菱グループの後継者を見極めて、状況によっては利用してやろうと考えていたのだが、空手が縁で、打ち解ける事ができた今、強い絆で結ばれたような気がして、相手を騙す事など、到底できないと感じていた。


 しかし、言わざるを得ない状況がある。



「丸菱の圧力で、弊社の三笠は、最大の危機に直面しています。 このままでは、吸収されかねません。 対抗するために、お力添えをいただきたいのです」



「力添えと言うけど、何を期待しているの? 協力するとして、何のメリットを得られる? それから …」


 香澄は、言葉を呑み込んだ。



「それから、何でしょうか?」


 陣内は、表情を変えず香澄に問いかけた。いつもの調子が戻って来たようだ。



「陣内さんには言いにくいけど …。 経営を左右する大きな話だから、役員クラスが加わる必要があるわ。 この場では、敢えて話を聞かないけれど、改めて正式な場を設定してください」



「分かりました。 ところで、その会合ですが、御社の会場をお借りしてもよろしいですか?」


 陣内は、香澄を真剣な眼差しで見据えた。



「住菱の名前を出して、丸菱を牽制したいのね。 良いわよ。 但し、場所は、私が社長を務める住菱重工よ。 さすがに、グループ代表企業の住菱物産は使えない。 それから、グループ代表の父は同席をしない」


 香澄は淡々と話した後、スマホのスケジュールを見て、さらに続けた。



「来週の火曜の午後2時を空けておくから、代表権を行使できる役員を連れて来て」



「分かりました」


 陣内は、成果をあげた事を喜び、目を輝かせた。



「それから …。 会合の話の中で、あなたをヘッドハンティングするわ。 私の懐刀として働いてもらうけど、取り敢えず政策秘書として採用する。 この事を、三笠の中でどう切り出すかは、あなたの自由だけど …。 会合の時までに、自分の身の振り方を考えておいてね」



「はあ。 でも、自分のような者を …」


 陣内は、酷く恐縮した様子で答えたが、香澄はそれを遮った。



「これで、この話は終わり。 質問には一切応じない! さあ、冷めちゃったけど、ご馳走を食べるわよ!」


 2人がテーブルを見ると、野菜炒め定食の大盛りが、手付かずの状態で置かれていた。


 香澄が、ニヤッとして口角をあげると、陣内は、ポーカーフェイスを保つ事ができず、下を向いて誤魔化した。

 それほどまでに、香澄の笑顔は美しく魅力的だった。



◇◇◇

 


 私が、執務室で決裁の書類を見ていると、ドアをノックする音が聞こえた。

 秘書室から連絡が無いため、少し訝しんだ。



「陣内です。 今、入っても宜しいでしょうか?」


 陣内の声を聞いて安堵した。


 彼が、秘書室を通さずに来る事は、ほとんど無い。よほど、緊急の要件なのだろうと思った。


 そして、部屋に入ると、深々と頭を下げた。


 普段からポーカーフェイスで、心の内を見せない男だが、私は、とても信頼している。

 いつもと違う態度に不安を覚えながらも、声をかけた。



「陣内、どうしたの?」



「すみません、アポ無しで訪ねてしまって、まずは非礼をお詫びします」



「あなたは、私の懐刀なんだから、遠慮は要らないわ。 それより、珍しく慌てた様子で、緊急事案のようね」



「はい。 住菱グループの次期代表の菱友香澄氏と会う事ができました。 それで、代表権のある役員を交え、話を聞いて頂ける事になりました。 来週の火曜の午後2時に、同氏が社長を務める、住菱重工を訪ねるようにとの事です。 至急、この件に関する、社長を交えての打合せをお願いします」



「それは、凄い話ね。 事前交渉はしてあるの? こちらの意図を理解している?」



「丸菱の圧力を受け、窮地に立たされている事と、支援をお願いしたい旨を伝えましたが、詳細は、代表権を持った役員を交えてからと言われました」



「そうか …。 住菱グループへの交渉材料が必要ね。 直ぐに社長室に行くわよ」


 私は、秘書室に連絡し社長へのアポを取ったが、あいにく外出しており不在だった。

 そこで、仕方なく、家族として使う、私用の携帯に電話した。


 呼び出し音を数回鳴らすと、相手と繋がった。



「優佳里、私用の携帯にどうした? 家族に何かあったのか?」



「家族の事じゃないわ。 実は …。 陣内が、住菱グループ次期代表の菱友香澄氏にアポを取る事ができて、来週の火曜の午後に話を聞いてくれる事になったの。 その件で、至急、打合せをしたいんだけど …」



「それは凄い! 陣内を、特別に昇格させるか!」



「そうね、本当に凄いわ!」



「来週の火曜だと、準備時間に余裕が無いか。 午後の、頼伸との打合せをキャンセルして戻る。 午後1時に、陣内と社長室に来てくれ!」



「分かったわ。 ところで、ノブ兄とは、何の話があるの?」



「日の元の、設備投資をしたいと言われてるんだが …。 金が掛かる事ばかり言ってくる。 部下の役員に良いように動かされおって、困った奴だ …」



「そうなんだ。 丸菱に、半導体の販路を奪われるかも知れないと言うのにね」



「そうだな。 頼伸も社長なんだから、察してほしいものだ …」


 父は、ため息を吐いた後、電話を切った。


 陣内は、私が電話する様子を不思議そうに見ていた。

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