第36話 敵意と対立

 私は、田中専務の敵意剥き出しのような態度に驚いた。

 明らかに、元夫を意識してのことだろう。2人の関係を思うと腹立たしいような悲しいような、複雑な気分になってしまった。


 動揺している事を気づかれると、甘く見られてしまう。以前の私なら、それが表情に出て相手に気づかれてしまうのだが、今の私は、何とか堪えられた。

 

 業界の力関係では、圧倒的に向こうが上だ。それに、部外者とは言え住菱物産の藤野常務もおり、変な誤解を与えかねない。

 ここは、対立を避けるべきだろう。


 私は、冷静になるために一呼吸おいて、無理に愛想笑いをした。それは、喜怒哀楽を自在に操る女優のようであった。


 私は、論点をずらし反論を試みた。


「自分の事が大切なのは、皆一緒だと思います。 弊社は、企業の在り方として公益性も追求しています。 例えば、利益の一部を環境保護活動に役立てるよう基金に積み立て、活動団体等に対し寄付を行なっております。 こう言った還元の仕組みをさらに発展させる必要があると考えています」



 私が話すと、何か、険悪な雰囲気を感じ取ったのか、藤野が私を見て憐れむような表情をした。だが、それは、一瞬の出来事であった。



「素晴らしい考えです。 我が、住菱グループも公益性を追求しております。 以前から、環境改善や貧困等による生活困窮者支援等、これらの活動を世界的に行っており、弊社の菱友専務の号令のもと、より発展させているところです。 この事は、関係各国の政府からも高く評価されており、これからの企業にとっては責務と言えるべきものです。 丸菱の田中専務は、どうお考えですか?」


 藤野は、訳ありな表情で田中を見据えた。もしかすると、私の情報を共有しているのかも知れない。

 私は、疑心暗鬼に陥ってしまった。



「公益性も重要ですが、まずは、企業として利益を追求しなければなりません。 他に、社員の福利厚生や設備投資等、やるべき事が沢山あります。 これらの役割をしっかりと果たした上で、次に公益性を追求する必要があります。 大企業における社会的な責任は、日々増しており、言うまでもない事です。 しかし、桜井専務には、個人的な資質を指摘したつもりだったのですが …」


 田中は、含み笑いをした。

 嫌味を言っているにも関わらず、美しい顔のため、傍目にはそうは見えない。



「すみません。 僕は、席を離れます」


 藤野は、2人の険悪な雰囲気を察知し、この場を離れた。

 いや、田中が私を攻撃しやすいように、気を使ったのかも知れない。



「どう言う事でしょうか?」


 私は、我慢していたタガが外れ直球で尋ねてしまった。



「言葉の通りです」



「なぜ、初対面のあなたに、そこまで言われなければならないのですか? 私の何を知っていると言うのですか?」


 私は、いつの間にか感情的になっていた。それが、思う壺だったのか、彼女はにこやかに笑い、私をさらに挑発した。

 


「初対面では、ありませんよ。 あなたが、私の大切な友人の会社を訪ねて来た時に会っているわ。 酷く慌てた様子で友人を探す姿が滑稽だったわ。 なぜ、必死になって探していたの?」



「それは …。 私が悪かったからです。 とにかく、謝りたかった」


 私は、涙を堪えた。

 あの時よりは、自分をコントロールできるようになった。



「私の友人は、あなたのせいで、酷く傷ついていたわ。 信頼している人に裏切られた人の気持ちが分かる? 残酷な事をしたのだと理解してる?」


 彼女の直球のような言葉は、刃物のように私の心をえぐった。

 そして、その言葉を聞いた時、元夫の事を隠す必要がないと思えた。



「私の別れた夫の事を言って、お怒りのようですね。 あの人は、今、どこにいるのですか? お願いだから、会わせてください」


 私は、恥も外聞もなく、縋るように尋ねた。



「浮気して裏切っておいて会わせろなんて、あなたの頭の中は、どうなっているの? とことん自分勝手な人ね。 だから、自分が大切な人と言ったのよ」


 浮気した私が、別れた夫に会いたいなど、非常識極まりない事だ。田中の話は正論である。

 その厳しい敵意に押され、私の心は萎縮した。



「友人が傷ついてしまうから、知っていても、あなたには教えない。 それくらい、厚顔無恥なあなたでも分かるでしょ?」



「謝罪さえ、させてもらえなかった。 とにかく話がしたい …。 でも、自分で何とかします。 田中専務は優秀な女性と聞いていたけど、視野の狭い人でガッカリしたわ」


 私は、精一杯の抵抗をした。



「あなたがどう思おうと、全く気にならないわ。 それはそうと、一つだけ教えてあげる」



「何でしょうか?」


 私は、それでもと期待してしまった。



「あなたの元夫である井田 剛は、裏切ったあなたの事を悪く言わなかった。 それどころか、気遣ってさえいた。 私が、法的に責任を取らせようと勧めたけど断られたわ。 これを聞いて、どう思う?」



「私が悪いのは確か。 とにかく謝罪がしたい。 傷つけた責任を取らせてほしいの」



「いくら説明しても分からないようだけど、もう関わらないでほしいと言ってるの!」


 田中は、キツく私を睨んだ。



「剛から言われれば聞くけど、あなたに言われても従わない」



「そう。 ならば、容赦しない」


 田中は、宣戦布告とも取れる言葉を残し、この場を去った。

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