第35話 丸菱の専務

 お昼に執務室で休んでいると、眠気を覚ますように内線の音が鳴った。


 午後一番で社長室に来てほしいとの事である。田川 正蔵から協力を得られる事を社長に報告をしてあるが、もしかしたら、その件かも知れない。



 昼休みが終わり、社長室のドアをノックした。


 秘書が出て、中に通された。


 社長である父は、奥の応接室で私を見てニヤニヤしている。会社では、お互い他人行儀にしているのに、今日は様子が違う。



「桜井専務、そこに座りたまえ」



「はい、失礼します。 午後一番の呼び出しとは、急な用事ですか?」



「まあ、そうとも言えるな」


 口調は普通であるが、そこはかとなく笑みが溢れている。機嫌が良いのが分かる。


 父は続けた。



「明日の午後、業界代表者会合があるんだが、そこに丸菱の田中専務が代理出席する事が分かった。 彼女とは、会った事がなかったよな?」



「はい。 機会に恵まれなかったもので、一度も話した事はありません。 弊社に取ってライバル関係にある会社の役員ですから、非常に興味があります」



「じゃあ、私の代理で桜井専務が出席してくれ。 そこで、噂通りの切れ者か、相手の力量を確認して来ると良い」


 父は、嬉しそうに話した。



「それは願ってもない事です。 ぜひ、出席させてください」


 私は、元夫の手がかりを得られるかと思ったが、父に悟られないように、わざと厳しい顔をして見せた。



「そうしてくれ」


 父は、相変わらず笑顔だ。



「今日は、機嫌が良さそうですね。 何か、あったんですか?」



「分かるか?」



「はい、表情を見れば分かります」



「実は、田川 正蔵から電話があったんだ。 優佳里の事を褒めていた。 彼が人を褒めるなんて、よっぽどの事なんだ」



「私の事を? 何か嬉しいな」



「でも、安心はしておれんぞ。 女性として気に入られたのかも知れん。 しかし、これは千載一遇のチャンスだ。 しっかりと物にするんだ!」


 含みのある表情で話す父の姿を見て、女の事を見下しているようで、嫌悪感を覚えた。



「それって …。 誘惑すると言う意味ですか?」



「女の武器は強い。 どんな男も惑わされる。 但し、絶対に男女の関係になってはならんぞ! お前は、私の可愛い娘だからな。 ワハハハハ!」

 

 父は、豪快に笑ったが、私は気分が悪くなってきた。

 


「何言ってるの? あんな、お爺さんと!」


 私は、身震いしながら叫ぶように話した。



「実は、田川 正蔵は女にだらしの無い男だった。 数々の浮名を流していたが、こと、娘の亭主の浮気となると、自分の事を棚に上げて許せないようだな。 田川は、若い頃は2枚目だったが、確かに、今は爺さんだ。 まあ、心配ないか」


 父は、安心したように頷いた後、話を続けた。



「ところで、田川が話した住菱グループの介入の件だがな …。 いろいろ調べたが分からなかった。 でも、彼の言うことが本当なら厄介だぞ。 さすがに住菱グループを敵に回せない。 丸菱との連合なら、なおさらだ。 間違いなく潰されてしまう。 だから、事の真相を確認しておかなければ勝負に出られない。 真相は、立田の風間社長なら分かるかも知れないが …」



「そうなんですか?」



「立田の社長は、昔、田川の手下と言われていた男だ」



「でも、さすがに敵に聞けないよ」



「まあ、この調査は任せろ。 陣内には話してあるよな」



「はい。 すでに陣内に調査を指示してあります」



「そうか。 なら、話が早い」


 父は、何かを考えるように頷いた。



◇◇◇



 翌日の午後、私は、老舗ホテルの豪華な会議室にいた。


 大手商社の社長が集う中、業界団体が依頼した経済学者により、世界経済の説明があった。

 さして新しい情報がなく退屈する中、業界第1位の丸菱と、第2位の住菱物産の座席に目をやった。

 

 そこには、若い女性と中年男性の姿があった。

 女性の方は、丸菱の田中専務である。

 やはり、元夫の会社で見かけた女性であった。写真で見るより、実物はさらに美しかった。私は、別れた元夫のことを思うと、嫉妬のような感情が芽生えてきた。


 2人は旧知の仲なのか、談笑している。


 経済学者の説明は40分ほどで終了し、次に立食形式の懇談会に移った。


 参加者が隣の部屋に移動すると、そこには豪華な料理と、アルコールを含む飲み物が並べられていた。

 

 私は、ボーイからカクテルを受け取ると、軽く飲み干した。

 そして、田中専務の方に向かった。



「初めまして、三笠の専務をしております、桜井 優佳里と申します」


 私は、名刺を差し出して挨拶をした。



「私は、丸菱の専務の田中 安子です。 あっ …。 どこかでお会いしたかしら?」


 田中は、名刺を渡しながら、薄ら笑いを浮かべた。



「初めまして。 僕は住菱物産の常務の藤野 幸三です。 もしかして、桜井社長の娘さんですか?」


 藤野は、人懐っこい顔をして名刺を差し出した。



「はい。 次女です」


 私も名刺を渡しながら、相手を見た。



「ところで、先ほど経済学者から説明があったように、世界経済が縮小傾向にある中、少ないパイの奪い合いのような状況になるが、垣根を越えた協力体制の構築が急務と言えますな。 桜井専務はどう思いますか?」


 藤野は、少し真面目な顔をして言った。



「何を仰います? 商社の業界第2位とは言え、日本最大の企業グループの住菱様が、垣根を越えた協力体制? 油断すると飲み込まれてしまいます」

 

 田中は話に割り込み、冗談混じりに笑顔で話した。



「相変わらず、田中専務は手厳しい。 うちの菱友専務と同じだ。 困ったもんですわ。 なあ、桜井専務」


 藤野は、目を細めて私を見た。



「からかっているんだから真面目に答えなくて良いわよ。 桜井専務は、ご自分が大切ですものね」

 

 田中は、見下すかのように私を見た。

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