第25話 諍い

 私は、怒りを抑えるため深呼吸した。



「コホン」


 兄も、私の心の変化に気づいたようで、先ほどの発言を誤魔化すように咳払いをした後、話しを続けた。



「優佳里のことを否定してるんじゃないんだ。 学業が優秀で、東慶大学を卒業するほどだから、親父が期待するのも分かる。 だがな、学業と経営は別ものだ。 優佳里は、学者タイプだと思う。 俺はな …。 桜井の名を冠した経済研究所を設置するつもりでいるんだ。 優佳里を、そこの初代所長に据えようと考えてる。 もちろん、役員待遇としてだ。 優佳里もその方が良いだろ?」


 兄は、優しく話した後、私の顔を探るように見た。



「 ・ ・ ・ 」



「この話は、親父には内緒だぞ」

 

 私が返事せずにいると、バツが悪そうにボソッと言った。

 


「ノブ兄は、将来、パパの後継者になるの?」


 兄の気持ちは分かっていたが、わざと聞いてみた。



「俺は、親父が敷いたレールの上に乗ってこれまで来た。 だから親父も、俺のことを後継者と思ってるはずだ。 だから、優佳里を、三笠の専務に据えたときは驚いたよ …。 おまえも嫌だったろ。 パパっ娘だから、断れなかった気持ちは良く分かる。 頃合いを見て、親父に優佳里の気持ちを言っとくよ。 もちろん、経済研究所設置の話もセットでな」


 兄は、ニカっとした。


 口調は優しげだが、私に専務を辞めさせたい気持ちが伝わってくる。



「ノブ兄の考えは分かったけど、三笠の専務は続けるわ。 大学で経営学も学んだし、それを実践できて楽しいの。 学問としてより、実践することに興味があるわ。 人の心は分からないものでしょ。 私は、パパに請われ、自分の意思で三笠の専務になったの。 だから、パパに辞めろと言われたんなら従うけど、ノブ兄に言われても従う訳に行かない。 そもそもノブ兄には、私と手を携えて会社を発展させる気持ちはあるの?」


 私は、優しく、やんわりと話した。



「まあ、優佳里の気持ちは分かった。 だがな、お前のやり方が良くないという声が、遠く離れた俺の耳に聞こえてきたりする。 お前のことが心配なんだよ。 無理をしてないか?」


 兄は、違う方向に切り替えてきた。



「私のことを心配してくれてありがとう。 裸の王様にならないよう、人心を掌握する術を磨くわ。 まだ就任して間もないんだから、長い目で見てほしいな。 兄妹なんだから対立したらパパが悲しむと思うよ。 ノブ兄が、私のことを心配してたって、パパに言っとくからね」


 私が父のことを話すと、兄の表情がが一瞬曇ったが、直ぐに普段の優しい顔に戻った。



「いや、心配をかけたくないから親父には言わないでくれ。 まあ、仲良くやろうや! そろそろ戻るが、何かあったら相談に乗るから、遠慮なく連絡くれよ」


 兄は、私の肩を叩いて、笑顔で部屋を出ていった。


 日の元の社長と言っても、父が、会長として裏で支えている。

 兄は、私より8歳上と言っても、まだ33歳の若さだから、父がいなければ役員の言いなりだろう。

 おまけに、中堅の私大を卒業した兄は、他の役員に学歴でも負けている。

 

 平井程度の男に言われ行動したところを見ると、父のような、カリスマ性はないようだ。



◇◇◇



 午後4時になり、私は社長室にいた。


 貿易業交流会で、西國商会の伊藤専務から話があった業務提携の件を、企業買収の可能性を絡めて説明した。


 父は、かなり興味を示したようで、私が今まで見たことのない表情をした。

 例えて言うなら、イソップ童話のずる賢い狐のようだ。



「優佳里は、企業買収のために、どの程度の資金が必要になるか、正確に把握できるか?」


 父は、よほど興奮しているのか、私のことを、役職ではなく名前で呼んだ。



「基礎データがあれば、私が解析できるわ。 でも、これは内々の話なんでしょ?」



「そうだ。 確実に実行できる目処が立たないと公には動けない。 役員や株主の反対が予想されるし、西國商会に企業買収の情報が流れたら、対抗されてしまう。 だがな …。 企業買収がうまくいけば、三笠は中堅から大手に躍進できるだろう。 これは、千載一遇のチャンスなんだ」


 経営者としての直感なのだろう。父は、目を輝かせて話した。



「実は、すでに陣内に探らせているの」



「そうか、それで良い。 それと基礎データだが、企画調査部の飯野課長にやらせると良い。 彼を、陣内のように懐刀にするんだ」


 父は、嬉しそうな顔をした。



「冴木部長ではなく、飯野課長なの?」


 私は、父の真意がわからず不思議に思った。



「そうだ。 実は、彼は、私の息がかかった社員なんだ」


 父は、また、自分の懐刀を私に与えようとしている。



 私は、今が、兄のことを言うタイミングだと思い、平井部長の件と、兄と話した内容を報告した。



「そうか、頼伸がな …。 浅はかな奴で残念だ。 正直、あいつは経営者の器じゃない。 だがな、ママが跡取りとして考えてるから、それなりのポストを用意してやる必要があるんだ。 知っての通り、ママの実家からの融資で会社が大きくなった経緯があるからな。 しかし、三笠を優佳里に任せる話しは、ママも賛成してるんだぞ」


 

「でも、三笠の後継者の話は誰も知らないわ」


 私は、思わず声に出してしまった。



「頼伸が落ち込むことを考え、公言できずにいる。 しかし、西國商会の企業買収を、優佳里が主導して成功させれば、周りが認めざるを得なくなる。 そうなれば、丸菱の田中専務のように、優佳里を俺の後継者に据えることも可能だ。 頼伸と切磋琢磨してほしい」


 父は、申し訳無さそうな顔をした後、本音を漏らした。

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