第23話 元夫の影
私は、女子トークの中で、田中専務の弱点がないか探ろうとしていたが、周りは、そんな事を気にしていない。
だから、陣内を含む同行者は、辟易した表情で聞いていた。
「その背の高い優しげな男子学生が、田中専務の恋人では?」
「その男子学生は、田中と一緒にいたけど、恋人ではなかった …」
伊藤専務は、突然話を止め、周りを見た。
「あなた達は、席を外して」
伊藤は、陣内を含む同行者達を遠ざけて話し出した。
「この話は、誰にも言わないでね」
伊藤は、少し頬を赤らめて恥ずかしそうだ。
「分かった。 誰にも言わない!」
私は、強い口調で話した。
安心したのか、伊藤は小さな声で話し始めた。
「実は、その男子学生が素敵な人だったから、私、凄く気になっていたの。 田中のこと抜きにしても、好意を持っていたわ。 それに、彼と一緒だったから、田中のことが、ますます癪にさわったの」
伊藤は、考え込むように言葉を飲み込んだ。そして続けた。
「ある時、思い切って、その男性に告白したの。 でもダメだったわ。 それでも諦めきれなかったから、理由を聞いたの。 そしたら、奨学金をもらってるけど生活費が足りず、学費を稼ぐため必死に働いてると言われた。 だから、恋愛どこじゃないって。 でも、私は信じられなかった。 桜井専務なら分かるよね」
伊藤は、私に質問してきた。
言わんとすることは直ぐに分かった。
「そうね。 私も何不自由なく育ったから、働きながら大学に通うなんて想像もつかないわよね」
伊藤に同調するように話したが、今は、苦学生がいる事を理解している。
元夫の剛が、苦学生だったからだ。
「そうでしょ。 それで、嘘だと思ったから、田中が恋人なら諦めると言って追求したの。 そしたら、田中とは仲が良い友達だけど恋人ではないと否定されたわ。 それでも信じられなかったから、彼を調べたわ。 大学にいる以外は、ずっとアルバイトをしていた。 それも休みなしだった。 誰も身寄りがなく、1人で頑張っていた。 でも、それはそれでショックだった。 彼は素敵な人だけど、身寄りがないと知って、私には無理だと思った。 父が交際を許すわけがないから …」
伊藤は、昔の黒歴史を語るように、目を細めた。
私は、元夫を否定されたような気がして腹が立ったが、表情にださないようにした。
「そうね、親族の反対にあうよね。 でも、付き合っていないなら、なぜ、田中専務と一緒にいたの? どんな関係なのかな?」
私は、素朴な疑問が湧いてきた。
「高校が一緒だったみたいだけど、それ以上の事は分からなかった。 でもね、田中は、彼に好意を持っていたと思う。 間違いないわ。 これは、女の直感よ!」
伊藤は、自信ありげに答えた。
私は、剛と同じような境遇の人がいたことに驚愕したが、もしかして、剛なのかと思えてきた。
それで、思わず聞いてしまった。
「その男の人の名前は?」
「井田 剛っていったわ。 天涯孤独の身でなかったら、諦めずに、私が彼の心を射止めていた。 今でも思い出すけど、優しそうで素敵な人だった」
伊藤は、少し自慢げな顔をしたが、私はそれどころではなかった。
田中専務と元夫が知り合いだったのだ。
剛のことを思うと、胸が苦しくなり泣きそうになった。
「どうしたの?」
伊藤は、私の様子を見て心配した。
「ごめんなさい。 実は、朝から体調がすぐれなかったの。 伊藤専務に会えて良かったわ。 少し早いけど、これで退席させていただくわ」
私は、何とか涙を堪え、陣内を呼んだ。
彼も、私の尋常でない様子に驚き、直ぐに車を手配してくれた。
◇◇◇
家に帰ると、私は直ぐに寝室に閉じこもった。
それを見て、母が心配をして部屋に入ってきた。
「具合、大丈夫? 今、お医者様を呼んだから」
母は、私の手を握った。
私は、母を見て安心したせいか、我慢できなくなり、大声で泣いてしまった。
母は、只事ではない私の様子を見て、かなり驚いていたが、気を取り直し優しく尋ねた。
「優佳里、会社で嫌なことがあったの?」
「ママ、違うの」
「母親の目は誤魔化せないわ。 正直に言ってちょうだい。 会社の事ならパパに相談するわ」
心配のあまり、母も涙を流していた。
「話すから …。 でも、パパに言わないと約束して」
「分かった、約束する」
母は、優しく手を握った。
「大学時代の、剛の事を聞いたの。 昔の話だけど、彼を思い出したら堪らなくなって …。 ごめんなさい。 私が悪いのに、まだ、彼の事を忘れられない」
私は、母の胸に顔を埋めて泣いた。
「無理に忘れなくて良いのよ。 時間が解決してくれるわ。 だから、今日はゆっくりと休みなさい」
「ありがとう、ママ。 お医者様はいらないから断って」
「分かったわ」
私は、泣き疲れて寝てしまい、目が覚めたのは、夜の9時を過ぎていた。
だいぶ良くなったので、父と母がいるリビングに向かった。
「おお、優佳里。 大丈夫か?」
父は、私の手を強く握った。
「ゴメン。 貿易業交流会を抜けてきちゃった」
「体調不良なんだから仕方ないさ。 どうって事はない。 それより、ゆっくりと休みなさい」
父は、仕事の話を一切しなかった。
それから、母も、剛の事を言ってないようだ。
田中専務と剛の関係が気になったが、心が折れそうになるため、これ以上は考えないようにした。
剛のことを諦めたはずのなのに、実際は違っていた。自分の心なのに、分からなくなっていた。
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