第20話 信頼に足る者

 私は、懐かしい家にいた。古くて小さな一軒家である。


 食卓に座っていると、優しそうな男の人が、私を見つめていた。



「優佳里は、今、幸せか?」


 おもむろに、彼が話しかけて来た。凄く懐かしい声だが、誰なのか思い出せない。



「ううん、違う。 でも、自分から幸せを捨てたから、自業自得なの」



「君が幸せじゃないと悲しいよ。 どうしたら良いかな?」



「迎えに来てほしい。 また、一緒にいてほしいの …」


 私が懇願すると、なぜか、彼は黙ってしまった。


 

「ねえ、なぜ返事しないの?」



「私のことを嫌いになったの?」



「悪かったわ。 凄く反省してる。 もう、絶対に裏切らないから」



「そうだ、あなたに代わって、あの男に復讐するから …。 だからお願い! 剛、私を迎えに来て! ああ〜」


 彼の姿は、いつの間にか消えていた。


 私は、そこで目が覚める。



 ここのところ、いつも同じ夢を見る。そして、夢の中で大声で泣いていた。



 しかし、目覚めてからしばらくすると、不思議なことに、あれほど悲しかった気持ちは、嘘のように消えていた。

 恐らく、心が壊れないよう、防御機能が働いているのだろう。


 この繰り返しだ …。


 そして、今日も、いつもの朝を迎えた。

 


「そろそろ行くぞ、優佳里」


 父の頼之が声をかけて来た。



 住み込みの運転手がいて、会社まで送るのだが、いつも父と一緒だ。



「パパ。 少し早くない?」


 父も私も、役員出勤だから、時間は決まっていない。スケジュールにより多少前後する。



「そうかな? じゃあ、優佳里に合わせて待つことにするか。 ところで、貿易業交流会の件だが、欧州事業部の平井部長のレクを受けたか?」


 家では、仕事の話をしない父が、珍しく聞いて来た。



「えっ、家で仕事の話をするなんて …。 パパどうしたの?」



「仕事を家庭に持ち込まない主義なんだが、この件は気になってしかたなくて、例外かな。 それで、どうなんだ?」



「レクを受けたわ。 欧州での事業は、三笠に取って重要だけど、うちの主力は半導体よ。 丸菱と被らないわ。 食材は、欧州での取引額全体の1割にも満たない。 最悪、丸菱にシェアを奪われたとしても、影響は小さいわ」



「なにっ! そんなことを、平井が言ったのか? 丸菱の、北米での話しはなかったのか?」


 父は、かなり不機嫌な口調で話した。

 娘の私でなかったら、部下は震え上がる場面だ。



「何で、北米なの?」


 私は、不思議になり逆に聞いた。



「そうか …」


 父は、少し考え込んだ後、続けた。



「優佳里に大切な話しをする。 前にも言ったが、会社を経営するということは、適切に人を動かすということでもあるんだ。 いくら優秀でも裸の王様では何もできん。 だから、いかにして、手足となる腹心を確保できるかで、経営者の運命が決まる。 時には隠密もいるだろう。 専務として、最初になすべきことは、何か分かるな」


 頼之は、私に優しく問いかけた。



「平井欧州事業部長と、冴木企画調査部長を、本当の意味で従えることです。 場合によっては、2人を切ってでも、精鋭達の中から腹心を見つけること。 これが、まず、なすべきことです」


 私は、ゆっくりと、しかも堂々と話した。



「そうだ、それで良い! やはり、俺の目に狂いはなかった。 優佳里は、経営者に向いてる。 ガハハハハ」


 頼之は、心底嬉しそうに、豪快に笑った。



「あっ、それと …。 丸菱の北米での動きは、陣内を使って調べるわ」



「俺からは言わない。 それで良いんだ、優佳里」


 父は、嬉しそうだ。私がこの会社のトップになった時のことを本気で考えてくれている。だから、自分が経験したことを惜しげも無く、私に伝えてくれる。


 恐らく、丸菱のことは、会社全体を揺るがす問題に発展する懸念があり、父は、そのことにいち早く気づいたのだろう。 

 大胆に見えて、実は繊細な、父の姿が垣間見えた。



 その後、父と共に出勤した。


 父とはフロアが違うので、エレベーターで別れた。

 私は部屋に入ると、真っ先に陣内を呼んだ。



「失礼します」


 陣内は、いつものように冷淡な表情で挨拶した。

 どちらかと言うと、イケメンの部類なのに、その冷たい表情から、女子社員の受けは良くないようだ。


 私は、彼の顔をマジマジと見た。



「桜井専務、私の顔に何かついていますか?」


 臆せずにものを言うところも、彼らしい。



「いえ、何もついてないわ。 それより、あなたに頼みがあるの。 丸菱の北米での動きを調べてちょうだい」



「はい、そのことでしたら …。 実は、社長の特命を受けて、調べました。 丸菱が内々に、米国の半導体製造大手のキーテクノロジーと接触しているようです。 このことは、北米事業部も把握しています」



「何のための接触なの?」



「分かりません。 ただ、気になるのは、丸菱の田中専務が絡んでいることです。 この方は、天才的な事業手腕をお持ちの方で、これまで、あっと驚くようなビッグプロジェクトを多く成功させて来ました」


 陣内は、淡々と話した。



「田中専務が絡むと、うちの会社にどのような影響があるの? 具体的に言って!」



「最悪のシナリオは、丸菱資本によるキーテクノロジーとの事業提携です。 弊社の主要取引品目は、グループ企業である 日の元 が作る半導体です。 特に、欧州におけるシェアは大きく、欧州全体の約4割にもなります。 まさにドル箱。 ご存じの通り丸菱には、ここに来て、食材取引の欧州市場参入の動きがあります。 もしかすると、丸菱の田中専務が、キーテクノロジーとの事業提携を見越して、画策しているのかも知れません」


 私は、田中専務と聞いて嫌な気分になった。

 彼女は、父親である社長から後継者と目されており、私と同じような境遇の、しかも同じ女性である。

 だけど私と違い、華々しい成果をあげ、その名声は各方面にまでとどろいている。


 私は、正直、嫉妬さえ覚えていた。

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