第19話 強大な企業

 陣内に調査を依頼してから5日後のこと、彼が私を訪ねてきた。



「桜井専務からご依頼の件、ご報告します」



「早いわね。 それでは、よろしく頼むわ」



「井田商会は、主に欧州との食材取引を中心に扱う貿易会社です。 当初、カサブランカと取引がありましたが、二見食品にシェアを奪われてからは、この店との取引は、ほとんどありません。 この話は、二見食品におられた桜井専務もご存知かと …」


 陣内は、私の様子を伺うように見据えた。

 そして、また続けた。



「社長を入れて僅か4名の小さな会社ですが、井田社長の実直な人柄と信用が功を奏し、販路を広げ着実に売上を伸ばしており、財務状況も良好でした。 そこで、聞き取りのため会社を訪ねましたが、も抜けのからで、潰れたような感じでした。 登記簿により法人登記の状況を確認したところ、清算結了登記がなされており、事実上の解散状態でした」



「財務状況が良いのに、なぜ、解散したの?」


 まさか、剛の会社が解散してると思わなかった。だから、行方が分からない彼のことが心配になった。



「はい。 不思議な感じがしたため、井田商会と取引のあった事業者を訪ね、聞き取りました。 そこで、非常に興味深い事実が分かりました」



「それは、どういうこと?」



「通常、あり得ないことが起きていました。 なんと、国内最大手の商社 丸菱に、社員3名と事業全てを吸収されていたんです」


 いつも冷静な陣内の声が、一瞬大きくなった。



「なぜ、そんなことが? 丸菱ほどの会社が、こんな小さな会社に魅力を感じたというの? メリットはなんだろう? そんな面倒なことをしなくても、シェアを奪うのは簡単なはず …。 そもそも、丸菱が欲しがるような事業でないでしょ」


 私は、心底不思議に思った。


 その時に、なぜか、井田商会を立ち上げた時の共同経営者という女性の顔が脳裏に浮かんだ。しかし、丸菱に結びつくはずもなく、直ぐに打ち消した。



「はい、私もそう思いました。 周りに理由を知るものがいないため、そこで、井田社長の行方を探して真相を突き止めようとしましたが、残念ながら見つかりませんでした。 恐らくは、日本にいないような気がします。 これが調べた結果です」



「ありがとう。 もう、下がって良いわ」 


 私は、剛の会社が解散していたことを知り、なぜか落ち込んでしまった。


 そんな私に気付いてか、陣内は私を見据えていた。



「申し訳ありませんが、今度は、私から話があります。 すでに察していると思いますが、私は社長より特命を受けて、秘書室に配属されています。 ですから、今回の件を社長に報告しなければなりません。 社長に伏せるように言われておりますが、それはできません。 井田商会は、桜井専務の元夫の会社ですから、なおさらです。 私は、桜井専務のことを全力でサポートしますが、私には社長の特命があることを含みおきください」



「正直に言ってくれて、ありがとう。 陣内課長が信用できる人間であることが分かった。 今後とも、よろしく頼むわ」 


 私は、陣内を労った。


 父が、この男を信頼してる理由が、分かった気がした。



◇◇◇



 翌日のことである。


 私は専務になって、初めて社長室に呼ばれた。


 社長である父と、家で毎日顔を合わせているが、会社の話はいっさいしない。公私混同を避けるための配慮だと思うが、その点は徹底していた。


 父は私に甘いが、会社での顔は全く違った。カリスマ性があり、社員から尊敬され、恐れられていた。


 私が見てきた父のイメージとはまるで違う。このことに最初かなり戸惑ったが、今は、尊敬し憧れさえ抱いている。

 この会社に来て、父が一流の企業家であることが分かった。



 私は、社長室の前でノックした。


「失礼します」



 部屋は、専務の部屋よりさらに広く豪華だった。


 部屋に入ると、隣にある応接室に移動するよう、社長から促された。



 豪華なソファーに対面で腰をかけると、社長から話し出した。



「2週間後にある貿易業交流会に、桜井専務が出席してくれ」



「承知しました。 でっ、貿易業交流会とは、どんな集まりなんですか?」



「日本を代表する商社の役員が集い、情報を交換する場だ。 立食形式で自由に話ができる」



「何か、注意する点とかありますか?」



「それなんだが …。 うちは欧州における食材取引に強みがあるのだが、業界最大手の丸菱が、ここに進出する動きがあると聞いた。 欧州事業部の平井部長を同席させるから、相手の感触を探ってきてほしい。 行く前に、平井部長からレクを受けてくれ」



「分かりました」


 私は、丸菱と聞いて、陣内から聞いた話を思い出したが、剛の会社を吸収した件と関係ないと思えたため、何も言わなかった。



「それで、丸菱からは、誰がくるんですか?」



「参加者の情報はない。 但し、田中専務が来た場合は、失礼が無いようにくれぐれも注意してくれ」



「分かりました。 それで、田中専務とは、どんな方なんですか?」



「丸菱の田中社長の長女だ。 非常に優秀な女性で、数々のビッグプロジェクトを成功させており、社長からの信頼も厚い。 知っての通り、商社の丸菱は、製造から流通までを担う企業グループのトップに立つ会社だ。 彼女は、次の丸菱グループを率いる後継者と目されている。 だから彼女が来た場合、同じ女性の専務として、親しくなってほしいんだ。 桜井専務とは、置かれた状況が似てるから話も合うだろう。 できれば、懐柔してほしい。 やれるか、優佳里?」


 父は、思わず私の名前を呼んだ。かなり、期待しているようだ。



「分かりました。 社長は、丸菱とシェアを争ったとしても、対立せず融和での解決を望んでいると理解してよろしいですか?」



「その通りだ。 残念ながら、今の我が社の力では、丸菱に太刀打ちできない。 資本力が違いすぎるんだ。 欧州における食材のシェアを奪われたとしても、何か他の交渉材料を獲得するしかない。 田中専務とのことは、そのための布石だ。 このやり方で、我が社は今日まで生き残れたんだ」


 父の、いつになく弱気な態度に、丸菱の強大な力を感じざるを得なかった。

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