第12話 不安

 私は、急ぎタクシーに乗り自宅に向かった。

 時刻は午前6時を過ぎ、あたりは明るくなっていた。おまけに二日酔いで気分が悪い。


 夫は、午前6時30分に出勤するから会えないかもしれない。私の事を心配してると思うと、胸が張り裂けそうになった。


 家に着き、慌てて玄関の扉を開けた。

 リビングに入ると、夫は食卓テーブルに座っていた。見ると、私の朝食が用意されている。


 夫は、ウトウトしていたが、私に気づき話しかけてきた。一睡もしてない様子だ。



「あっ、優佳里か。 凄く心配したよ。 だいじょうぶか?」


 夫の第一声は、私を気遣う言葉だった。申し訳なさで心が痛くなった。



「ゴメン、飲みすぎちゃった。 ビジネスホテルに泊まったの。 酔いがまわって、電話するのも忘れてしまった …。 本当にごめんなさい、二度としないから」


 私は、涙目で嘘をついた。夫と別れたくなかった。



「部長職のプレッシャーから酔いが早くまわったんだな。 君の無事を確認して安心したよ。 二日酔いで具合が悪いんなら休んだ方が良い、無理をするなよ。 俺は、仕事に行くからな」


 夫は、優しく話した。



「うん。 心配かけてゴメンね。 私も、少し休んでから出勤するわ」



 夫は、出かけた。

 私は、いつもより遅れて出勤した。



 会社に着くと、伊藤課長が待っていた。



「部長、体調が悪いとの事ですが、だいじょうぶですか?」



「ええ、だいじょうぶよ。 迷惑をかけたわね」



「いえ。 それはそうと、カサブランカの野尻支配人から、先ほど電話がありまして …」


 伊藤は、困ったような顔をした。



「どうしたんですか?」



「風間オーナーシェフと交わした食材変更の商談を、無かった事にしてほしいと …」



「えっ、なんで?」


 私は、彼女の言葉を遮り、思わず聞いてしまった。



「分かりません」



 私は、夫にも連絡があったと思い電話しようとした。しかし、バッグの中のスマホが見当たらない。目覚ましにしたまま、家に置いてきてしまった事に気づいた。


 しかたなく、会社の電話から夫の携帯にかけた。



「はい、井田ですが?」


 夫の不思議そうな声がした。



「優佳里よ。 スマホを忘れて、会社からかけてるの。 今、良い?」



「良いよ。 優佳里のスマホに電話したけど出なかった訳だ。 カサブランカの野尻支配人から電話があったが、その件だな?」



「やはり、電話があったんだ。 食材変更のキャンセルをお願いされたけど、そっちは、どうなの?」



「野尻支配人から、これまで通りで頼むと言われた。 立田の権限により風間オーナーシェフの話は聞くなとも言われた」



「風間が、強引過ぎたのよ。 それで、彼から電話はあった?」



「いや、風間オーナーシェフからはない」


 私は、安堵した。



「電話があっても、絶対に出ないで!」



「えっ、なんで?」



「二見食品と揉めてるの。 私の事を誹謗中傷すると思う。 だから、あいつの話は全部嘘だからね!」


 風間が、昨夜の事を夫に話すと思い予防線をはった。



「商談でそこまでこじれたのか? 何か恨まれるような事をしたのか?」


 夫は、私を心配した。



「そこまでは …。 あっ、ゴメン、仕事だ。 後で、また連絡するわ」


 私は、返事に窮し一方的に電話を切った。




「部長、それで?」



「えっ、ああ。 キャンセルはしょうがないわね」


 伊藤が居る事を、すっかり忘れていた。



「今回のキャンセルを口実に、立田の商談に結びつけたらいかがでしょう?」



「それって、どういう意味?」



「オーナーシェフを差し置き支配人から連絡が来たのは、内部で揉めてる証拠です。 キャンセルの件で、立田の専務に対し不服を申し立てるんです。 カサブランカは、実質的に立田の傘下ですから、落ち度があれば無視できません」



「専務に申し立てを? それでアポは誰が?」



 私が、兄の専務に働きかけると、弟の風間は激怒するだろう。夫に昨夜の事をバラされたら困る。

 記憶にないとはいえ、風間と肉体関係を持ってしまった事が悔やまれる。



「段取りは取りますが、直接的には部長がお願いします」



「それはマズイわ。 専務の弟のオーナーシェフと商談したのは私です。 その私が、専務に申し立てるのはどうかと?」



「それなら、だいじょうぶです。 部長の旦那様の会社の取引を奪うような商談だった背景を言えば、オーナーシェフに無理強いされ不本意ながら協力したと言い逃れできます」



「私の夫の会社を調べたの?」



「はい。 ビジネスには、あらゆる情報が必要ですから」


 伊藤は、涼しい顔で言ってのけた。

 

 私は、彼女の情報収集能力の高さに驚いたが、それにも増して、風間との関係がバレやしないかと心配になってしまった。

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