第8話 密会の後

 突き飛ばした時、風間は一瞬驚いたような顔をしたが、直ぐに元に戻った。



「優佳里が愛おしい。 でも、君は人妻なんだ。 ご主人は優しくて良い人だから、そんな彼を裏切るのは辛いだろう。 もう少し早く再会してればと思うと凄く悔しい。 運命は時に残酷だ」


 風間は、言いながら落胆の表情を隠せない。私を好きな気持ちがヒシヒシと伝わってきた。



「風間さんも優しいよ。 私ね、夫の剛を好きになったのは、風間さんに似ていたからなの。 初恋の人と結ばれなかったから、その面影を追ってたんだと思う。 今度は逃したくなくて必死でさ。 だから夫には、私から告白したの。 これまで自分から告白した事はなかった」


 一旦拒否したにも関わらず、風間への思いが募った。



「人生初の告白って …。 それって、旦那が一番好きって事か?」

 

 風間は、キョトンとした顔で聞いてきた。少しテンションが下がる。


「もう、風間さんって、恋愛に関しては鈍感すぎるわ。 初恋の人がダメだったから …。 忘れる事ができなかったから…。 だから、風間さんに似た夫に告白したのよ! 今度は逃したくないと思ったの」



 私は、一呼吸おいた。

 そして続けた。



「私の初恋の人は風間さんなの。 夫はあなたの代わりだったのよ。 でも、今となっては、夫にも愛情があるわ。 でも、あなたがいると思うと、本当に好きな人がいると思うと …。 心がおさえられない。 だから …」


 私は、言葉に詰まった。



「分かった」


 風間は私を抱き寄せ、唇を重ねた。



「あん」


 体がジーンとして、幸せな気分になった。

 そして、今度は私から風間を強く抱きしめた。


 その時である。



プルルル、プルルル



 私のスマホが鳴った。


 2人は、驚いて離れた。

 そして、私は、慌てて着信を見た。



「夫からよ」


 キスの興奮が冷めやらぬ中、震える声で伝えた。



「ああ」


 風間も、動揺を隠せない様子だ。



 数回の呼び出し音を聞きながら、昂ぶる気持ちを落ち着かせ、深呼吸をしてから電話に出た。


 そこには、私を心配する夫の声があった。



「仕事中かな、今、良いかい?」



「ええ、だいじょうぶよ」



「遅い時間だから心配で電話したんだ。 声が聞けた …。 良かったよ」


 夫の安堵の声がした。私の事を心配してる様子が伝わってくる。


 私は、夫の声を聞き、なぜか凄く焦った。

 そして、風間の事がバレないようにしなければと、強い思いが込み上げてきた。


 少し冷静になり、ふと、腕時計を見ると、かなり時間が経っている事に驚いた。



「あっ。 もう11時を過ぎてるのね。 もう少ししたらタクシーで帰るから心配しないで」



「ああ、分かった。 時間がなかっただろうから …。 夕食を準備してあるんだ。 帰ったら一緒に食べよう」



 夫は高校3年の時、両親を事故で亡くしてから1人で生きてきた。だから料理が上手だ。苦手な私は、これまで沢山の料理を教わった。夫との良い思い出だ。

 早く帰りたくなってしまった。



「遅いから、先に食べてて。 私も、ファーストフードを食べたんだよ。 だから、気にしないでね」


 思わず嘘をついてしまった。



「そうか、分かったよ。 帰りを待ってる」



「先に、休んでてね」



「分かったよ」


 夫は優しく答えた後、電話を切った。


 恐らく、私の帰りをずっと待っているだろう。私の事を、いつも第一に気遣ってくれる。

 夫にとっては、私が唯一の家族なんだ。


 私は、風間とキスをした事を後悔した。



「風間さん、これで帰るわ。 今夜の事は忘れて。 やっぱり不倫は良くないわ」



「そんな事を言うなよ。 君には子どもがいないんだから、別れればすむことさ」



「そうかもしれないけど …」


 私は、曖昧な返事をしてしまった。



「俺の事が好きなんだろ」



「それは …」



「まあ、良いさ。 明日の仕事に差し支えるだろうから直ぐにタクシーを呼ぶ」



「風間さんは、どうするの?」



「俺の事は気にしなくて良い。 ここには仮眠室もある」



「そうなの? 今日は、ありがとう」



 その後、風間が手配したタクシーに乗って都内の自宅に戻った。運転手に代金を払おうとしたが、彼の会社と契約してるから不要と言われた。

 風間との関係が深みにはまって行くようで、少し不安になってしまった。

 


 帰宅して、玄関のドアを開けると、夫が出迎えてくれた。これまでとは逆の光景である。


 リビングに入ると、食卓には料理が用意してあった。私の帰宅時間を考えて温めたようだ。凄く美味しいそうだ。


 やはり、夫は食べずに待っていてくれた。商談が2人きりだった事や、風間と食事した事はとても言えない。



「ファーストフードを食べたと聞いたけど、お腹が空いてるだろ」



「まあっ、美味しそうね。 待ってくれてありがとう。 凄く嬉しいわ」


 私は、お腹が空いているように振る舞った。

 但し、夫への感謝は本心だ。



 食卓に着くと、夫が話しかけてきた。


「疲れただろ。 それで、商談はどうだった?」



「外食グループ立田は、これからなんだけど、カサブランカの食材の商談があったわ。 風間さんは、剛に話を通してあると言ってたけど …」


 私は、暗い顔をした。



「フランス産の豚肉と野菜の事だよな」


 風間が言った通り、夫は承知していた。私は責任を感じてしまった。

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