第6話 夜の商談

 夫と付き合ったキッカケは、初恋の人である風間 涼介に似ていたからだ。

 しかし、2人は似て非なるもので、実際はまるで違っていた。


 何を言っても怒らず優しく聞いてくれる夫と違い、風間には強い野心のようなものを感じる。それが頼もしく見え、それとは逆に夫が弱々しく見すぼらしい人間に思えてくる。


 夫の愛情を感じ、私も夫を愛していると思っていたが、初恋の人である風間の前では、それが色あせてしまう。ある意味、自分自身、大きな衝撃を受けていた。

 風間に会ってしまった今は、夫より彼の方が素敵だと思えてしまうのだった。


 別に浮気をした訳じゃないが、なぜか、夫に対しやましい気持ちが芽生えていた。



「いらっしゃいませ」


 若い女性店員が、フランスパンと生ハムサラダ、フルーツジュースを運んできた。



「ありがとう。 俺は、これから商談をするが、君たちは先にあがってくれ。 支配人にも、その旨を伝えてくれ」



「オーナーとお客様だけが残られるんですか?」


 女性店員は、心配そうな顔をした。



「ああ、そうだよ。 遅くなると皆に悪いだろ」



「かしこまりました」


 女性店員は、厨房の方へ向かった。



「自分達だけが残って、迷惑じゃないかしら?」



「構わないさ。 それよりもお腹が空いてるだろ?」



「あれっ。 何でそんな事を聞くのよ?」



「一生懸命仕事をしてると腹が減るものさ。 それに慣れない部長職だ。 時間に追われて、食事をする間も無かったんじゃないのか。 違うか?」


 風間の言う事は当たっていた。豪快に喋ってはいるが、相手の立場に立って物事を考える、彼のスキルの高さを感じる瞬間だった。



「じゃあ、遠慮なくいただくわね」



「もちろんだ。 良かったら、俺のも食べてくれ」



「それは …。 さすがに、遠慮するわ」



「腹が減ってると、身のある商談ができないぞ!」



「そうね。 お互いが発展できる内容にしたいわね」


 私も、強く同意した。部長という肩書きは凄いと思う。これまで腰かけ程度の仕事と思い会社に所属してきたが、重い肩書きを得ただけで会社に貢献したく思えてくる。これまでの自分とは明らかに違うと思った。



「そうこなくっちゃ!」


 大声で言った後、風間は豪快に笑った。



「おいしい!」


 私は、生ハムを口にした瞬間、思わず叫んでしまった。



「そうだろ! この生ハムに使う豚肉はフランスから仕入れてるんだよ。 君のご主人の会社と取引してる食材さ」



「まいどありがとうございます。 夫に代わってお礼を言うわ」


 私が喋ると、風間は少し暗い顔になった。



「でも、あまりにもコストが掛かるから、日本産の豚肉に変えようと思ってるんだ」



「えっ、なんで? だって、この店はオープンして間もないんでしょ。 食材を変えると、お客様が掴んだ味のイメージまで変わってしまうわ」



「じゃあ、こっちを食べてごらん」


 風間は、口をつけてない方の生ハムサラダを私の前に置いた。



「これは、風間さんの分では?」



「実は、運ばせた軽食は、夜食という訳じゃないんだ。 試食用なんだよ」



「えっ、そうなの? 了解」


 私は、もう一方の生ハムを口にした。



「あっ、クセが無くてマロヤカだわ。 日本人好みといえるけど …。 でも、フランスの本場感が薄れてしまう」


 正直いって、後から食べた方が美味しかった。しかし、夫が提供してる食材が敗北したように感じ、曖昧な表現をしてしまった。



「うちは国産の豚肉に変更したいと思ってる。 俺たち料理人は、後から食べた方が美味いと感じてるんだ」


 

「それは …」


 夫が手掛けた食材を否定されたようで、私は、やり場のない悔しさを覚えた。



「だけど安心しな。 この話は、君のご主人にしてあるから」


 風間は、優しい目で私を見た。やはり、どこか夫に似てると思った。



「そうなの …。 でも、夫の会社と引き換えなんて、困るわ」


 風間に惹かれてるとはいえ、夫が困る顔を思い浮かべると心が締め付けられるように辛くなった。



「優佳里さんには悪いが、この問題は、ご主人の会社で国内の豚肉を調達できるかって話なんだ。 ハッキリ言って、ご主人の会社では難しいと思う。 うちは国産に切り替えて利益を上げたいんだよ」



「さっき、夫と話がついてると言ったよね。 分かったわ。 弊社で手配してみます。 後で、肉質や使用量に関する条件書をください」



「実は、もうできてるよ」


 そう言うと風間は、カバンから条件書を出した。


 私は、直ぐに目を通した。



「これって、野菜や果物も国産に切り替えるの?」


 私は、夫の落胆した顔を思い浮かべると、悲しくなってきた。



「そう悲しむなよ。 ご主人は愛されて幸せだよな! でも、俺も自分の会社を軌道に乗せて社員を守らなければならないんだ。 ご主人とは、経営者として同じ立場なんだよ」



「なんか、反論できないわ。 でも、利益以外に、つながりや信頼とかはないの?」



「それはあると思うが …。 でも、ご主人の会社とは、そこまでの付き合いはないんだ。 すまない」



「分かったわ。 この条件書で見積りを出すわ。 夫の会社の事は考えない」



「それで良いんだよ。 君は営業部長として、所属する会社の利益を第一に考えるべきなんだ」


 風間は、私を諭すように言った。

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