第23話 オタクに恋は難しい

 思い出すのは土曜日昨日の夜。

 四姫シキから『果たし状』を叩きつけられ、卑猥な照明ピンクムードに彩られた和室へ足を踏み入れた時は、ラブホみたいだと思った。


 俺は今、そのラブホに――の場所にいる。


 金髪ギャルな五子コーコは、バスルームにてシャワーを浴びている。温水の流れる静かな音と、彼女のゴキゲンな鼻歌だけが聞こえてくる。他の部屋からの物音は、一切聞こえてこない。


 ベッドに座る黒髪ツインテールのオタク娘な六花リッカは、俺の隣で顔色を悪くして震えていた。


「……大丈夫か? リッカ?」


「ひゃひっ!? う、うん……」


 心配して声をかけてみるが、かなり緊張しているようだ。


 俺だって心臓の鼓動が早まっている。

 初めて体験する、大人の世界。リアルな感触や匂い。そもそも高校生が入店して良いのか? 学生服を着ていないせいもあるだろうけど。しっかりチェックしてくれよ、スタッフ!


 しかし今更、後戻りはできない。まさかコーコを放置して、俺達だけで帰るわけにもいかないし。


「………………」


「………………」


 それにしても……リッカの様子が大人しすぎる。顔を赤くし、汗を流し、眼鏡の奥の目は激しく泳いでいた。

 いつもなら「オゥフwラブホ入店とかエロ同人展開ですなww」とか言い始めるのに。まさに借りてきた猫。黙っていると、図書室にいそうな文学少女にも見える。


「ど、どうしたら良いかな、お兄ちゃん……」


「……お兄ちゃん?」


 俺に対するリッカの呼び方に、引っ掛かるものを覚えた。リッカは普段、俺を『兄者』と呼んで、独特の口調で喋るオタク少女なはずだ。


「いつもの『ござる口調』はどうしたんだよ、リッカ」


「はへっ!? い、いや、そ、その……っ! そ、そもそも……『銀カウ』のステファン・ウルフを魂に憑依インストールしていないと……。……恥ずかしくて、お兄ちゃんと上手くお喋りできないし……」


「そ、そうだったのか」


 ……あれ……? なんか、メッチャ可愛いぞ……?


 頬を朱に染めて小声で呟く姿からは、オタク要素など感じられない。

 引っ込み事案で恥ずかしがり屋の、控えめな少女そのものだった。


 そんな姿に……幼少期――それも本当に、小学校入学以前の頃を思い出した。

 柏木家に、初めて『陽菜』が来た日。あの日の朝の光景が、脳裏に蘇る。


 養子ということで、ある日突然に現れた『妹』。当時の俺は5歳で、陽菜は4歳。

 母さんの足の後ろに隠れ、俺を窺うように向けてきた震える瞳を、今も覚えている。


『お前の妹だぞ、新也』

『お兄ちゃんになるんだから、何があっても妹は守ってあげてね』


 そんな両親の教えを胸に、俺は新しい家族と過ごした。


 生来の性格なのか、『施設』から急に環境が変わったせいもあるのか。陽菜は周囲に上手く溶け込めず、俺の友人の金次郎キングや近所の子供達に紹介しても、俺の背中に隠れるばかりだった。


 しかし俺が遊びに行く時は必ず後を付いてきたし、俺と同じ玩具やお菓子を欲しがり、一緒に風呂に入り、同じ部屋で寝て……そうして徐々に打ち解けていき、俺達はとなった。


 そんな妹とよく似ている――しかし煮詰まったオタクではなかったはずの――目の前にいる『陽菜リッカ』は、ツインテールを結んでいたヘアゴムを外す。

 現れたのは、艶やかな長い黒髪を下ろす、眼鏡をかけた清楚な少女。

 教室クラスの中ではそこまで目立たないとしても、眼鏡の奥の美貌に気付き、しかも同じオタク仲間だと分かれば、きっと誰よりも魅力的に見えて、一緒にいたいと感じるだろう。


 そんな美少女が、ラブホテルのベッドで、俺の隣に座っている。


「お、お兄ちゃんは……大丈夫なの?」


「えっ。な、何が?」


「私、その……ほ、他の皆より、可愛くないし……。そんな私と一緒に、こんな所に来て……。……迷惑とか、気持ち悪いとか、思ってない?」


「そ、そんなこと思ってるわけないだろ。それに、他の『陽菜』達より可愛くないだなんて、そんなことも……」


「……じゃあ……」


 ズリズリと、距離を詰めてくる。

 俺は逃げようとしたが、このままベッド脇に逃げ続けていくと、尻から落ちてしまう。

 逃げ場を失い、ベッドの端ギリギリで止まると――リッカは長い黒髪を下ろす小さな頭を、俺の肩へとコテンと乗せてきた。


(123456! 123456!!)


 俺は金縛りにでも遭ったかのように動けず、部屋の天井を見つめて6秒を数えることしかできない。

 膝の上に置いていた手は、汗でジットリ滲んでくる。


 いつも自身のことを拙者と呼び、オタク全開なトークや気持ち悪い笑い方をしていたというのに――今のリッカは、まさに恋する一人の乙女だった。

 そんな可愛い女子と、ホテルのベッドで座って。隣同士で。肩に頭を乗せられて。緊張しないはずがない。


「……ふふ。こういう展開、『オタ活ミユキの奮闘記』でも、似たようなのあったよね」


「あ、あぁ。アニメも面白かったよな、あの作品」


「お兄ちゃんから借りる本、いっつも面白くてアニメ化するもんね……」


 しかも共通の話題で、スムーズに盛り上がることができて。趣味に理解を示してくれるだけでも、男子としては好印象だ。


 そしてリッカはオタ活ミユキに出てくるシーンと同じように、膝の上に乗せていた俺の手へ――小さく白い手を、そっと重ねてきた。


「っ……!」


 彼女の手もまた、緊張によるものなのか、汗で湿っていた。


「『……貴方の手、大きいですね』」


 漫画の中の台詞。俺も知っている。だから俺も、台詞で応えた。


「……きっ、『キミの手は、濡れているね』」


 俺の肩に頭を乗せたまま、見つめ上げてきて。眼鏡の奥の綺麗な瞳が、見つめてくる。

 小さく整った顔は恥ずかしさで赤くなっているが、それでもリッカは――意を決して、続きの台詞を口にした。



「これからもっと、濡れることになるわ」



 その漫画の続きは――主人公のミユキは、片想いしていた職場のイケメンな先輩と、結ばれる。

 そしてページをめくると、二人の唇が――。




「――ふぃ~、リッカぁー。次シャワー入って良いよ~」


「「オッヒョォォォオオオッ!!!」」


 コーコがバスルームからタオル一枚の恰好で戻ってきて。顔同士がギリギリまで近付いていた俺とリッカは、それぞれ左右に飛び退く。

 まるで、敵軍から撃ち込まれた砲弾が、塹壕に着弾した時の兵士みたいな動きだった。


「……何してんの?」


「なっ、何も! 何もしてないが!?」


「そそそ、そうでござる! ンンンッ、それでは拙者も湯浴みといたすか! 『下町温泉娘』、好評連載中!! あっいや今は休載しているんだった!」


 誤魔化すようにリッカは素早く立ち上がり、バスルームへと駆け込んでいった。口調はすっかり、いつものござる口調ステファン・ウルフだ。


 そしてリッカと入れ替わるように近付いてくるコーコは、大きいバスタオル一枚を身体に巻いただけの状態で――俺へと目線を向けてロックオンしてきた。


「……ふぅ~ん? そういう感じ? なら、アタシもワンチャンあるってことね?」


「どういう感じ!?」


「こういう感じ。えいっ」


 俺はコーコは細い両腕によって肩を突き押され、背中からベッドに倒れ込む。

 そして金髪ギャルな妹が、ベッドをギシリと鳴らしつつ乗り込んできて――四つん這いの体勢で、兄の身体へと覆い被さった。

 俺を見下ろし、風呂上りの火照った顔で、小悪魔のように微笑んでから舌なめずりする。


「アタシ、今夜でケリを付けるつもりだから。覚悟してね? 兄貴」


 オゥフ……。エロ同人で見たことある展開ですな……。


 ……誰か助けて!!




***




 日曜日の高校。


 休日ということもあって人の姿は皆無で、特に夜ともなれば、完全なる静寂が校舎を包み込む。

 だが今日に限っては、人の姿があった。しかも、平日であろうと立ち入りが禁止されているに。


 夜風に白衣をなびかせ、月光に黒髪を照らされて。赤い眼鏡をかけた女教師――三年二組の担任『雛森真妃』は、赤い口紅を塗った唇に電子タバコを咥えながら、校舎屋上で星空を眺めていた。


 そして白衣のポケットの中から、着信音が鳴り響いているスマホを取り出す。

 通話に出ると小さな耳にスマホを押し当て、煙と共に言葉を吐き出す。


「――私だ。……あぁ。大体の報告は受けている。映像でも見ていたしな。『処理』はソッチに任せるよ。規定通り、尋問や評議会の承認は不要だ。それと『報告書』のセキュリティクリアランスを、レベル3から4に上げておけ。場合によっては、Aクラス職員の中でも更に審査しないといけないかもしれん。……まったく、誰の手引きで閲覧したのやら……」


 その口調には疲れた色が滲んでおり、転落防止のための柵を見つめてから、再び星空へと視線を向けた。


「Orion部隊は柏木家の監視よりも、本来の任務である治安維持に力を注いだ方が良いんじゃないか? イレヴタニアとセブンスからも、正式な抗議が届いているしな。……そう言うな。はよくやっているよ。それに、計画はまだ始まったばかりだ」


 通話の向こうで、太い声の男が何事かを呟いているが、赤い眼鏡の奥の瞳は揺るがない。


「あと、最後に……。いくら柏木新也がだとはいえ、みんなジロジロ見すぎだと通達しておけ。彼の平穏な日常を守ることこそが、柏木陽菜の……あの無力だった少女が、たった一つ残した『願い』なのだから」


 通話しながら、巨大な月が浮かぶ夜空を見上げて。

 雛森真妃の表情は、遠い昔を懐かしんでいるかのようだった。


「『T5ティーファイブ』の御老公達には、私から話を通しておく。の意見だぞと強めに言って話を少し盛れば、まぁ要求は飲むだろう。……あぁ、そういうことで。引き続きよろしく」


 そして通話を切ると、雛森真妃は屋上の柵に背を向け、校舎の中へと下りていく扉に向かう。


「やれやれ……。どいつもこいつも、好き勝手に動いて……。……『楽園』を追放された人間は、所詮この程度ということかな……」


 その呟きは、誰の耳にも届くことはなく。


 誰もいなくなった屋上を、月明かりだけが照らしていた。

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