第23話 オタクに恋は難しい
思い出すのは
俺は今、そのラブホに――本物の場所にいる。
金髪ギャルな
ベッドに座る黒髪ツインテールのオタク娘な
「……大丈夫か? リッカ?」
「ひゃひっ!? う、うん……」
心配して声をかけてみるが、かなり緊張しているようだ。
俺だって心臓の鼓動が早まっている。
初めて体験する、大人の世界。リアルな感触や匂い。そもそも高校生が入店して良いのか? 学生服を着ていないせいもあるだろうけど。しっかりチェックしてくれよ、スタッフ!
しかし今更、後戻りはできない。まさかコーコを放置して、俺達だけで帰るわけにもいかないし。
「………………」
「………………」
それにしても……リッカの様子が大人しすぎる。顔を赤くし、汗を流し、眼鏡の奥の目は激しく泳いでいた。
いつもなら「オゥフwラブホ入店とかエロ同人展開ですなww」とか言い始めるのに。まさに借りてきた猫。黙っていると、図書室にいそうな文学少女にも見える。
「ど、どうしたら良いかな、お兄ちゃん……」
「……お兄ちゃん?」
俺に対するリッカの呼び方に、引っ掛かるものを覚えた。リッカは普段、俺を『兄者』と呼んで、独特の口調で喋るオタク少女なはずだ。
「いつもの『ござる口調』はどうしたんだよ、リッカ」
「はへっ!? い、いや、そ、その……っ! そ、そもそも……『銀カウ』のステファン・ウルフを魂に
「そ、そうだったのか」
……あれ……? なんか、メッチャ可愛いぞ……?
頬を朱に染めて小声で呟く姿からは、オタク要素など感じられない。
引っ込み事案で恥ずかしがり屋の、控えめな少女そのものだった。
そんな姿に……幼少期――それも本当に、小学校入学以前の頃を思い出した。
柏木家に、初めて『陽菜』が来た日。あの日の朝の光景が、脳裏に蘇る。
養子ということで、ある日突然に現れた『妹』。当時の俺は5歳で、陽菜は4歳。
母さんの足の後ろに隠れ、俺を窺うように向けてきた震える瞳を、今も覚えている。
『お前の妹だぞ、新也』
『お兄ちゃんになるんだから、何があっても妹は守ってあげてね』
そんな両親の教えを胸に、俺は新しい家族と過ごした。
生来の性格なのか、『施設』から急に環境が変わったせいもあるのか。陽菜は周囲に上手く溶け込めず、俺の友人の
しかし俺が遊びに行く時は必ず後を付いてきたし、俺と同じ玩具やお菓子を欲しがり、一緒に風呂に入り、同じ部屋で寝て……そうして徐々に打ち解けていき、俺達はそこそこ仲の良い兄妹となった。
そんな妹とよく似ている――しかし煮詰まったオタクではなかったはずの――目の前にいる『
現れたのは、艶やかな長い黒髪を下ろす、眼鏡をかけた清楚な少女。
そんな美少女が、ラブホテルのベッドで、俺の隣に座っている。
「お、お兄ちゃんは……大丈夫なの?」
「えっ。な、何が?」
「私、その……ほ、他の皆より、可愛くないし……。そんな私と一緒に、こんな所に来て……。……迷惑とか、気持ち悪いとか、思ってない?」
「そ、そんなこと思ってるわけないだろ。それに、他の『陽菜』達より可愛くないだなんて、そんなことも……」
「……じゃあ……」
ズリズリと、距離を詰めてくる。
俺は逃げようとしたが、このままベッド脇に逃げ続けていくと、尻から落ちてしまう。
逃げ場を失い、
(123456! 123456!!)
俺は金縛りにでも遭ったかのように動けず、部屋の天井を見つめて6秒を数えることしかできない。
膝の上に置いていた手は、汗でジットリ滲んでくる。
いつも自身のことを拙者と呼び、オタク全開なトークや気持ち悪い笑い方をしていたというのに――今のリッカは、まさに恋する一人の乙女だった。
そんな可愛い女子と、ホテルのベッドで座って。隣同士で。肩に頭を乗せられて。緊張しないはずがない。
「……ふふ。こういう展開、『オタ活ミユキの奮闘記』でも、似たようなのあったよね」
「あ、あぁ。アニメも面白かったよな、あの作品」
「お兄ちゃんから借りる本、いっつも面白くてアニメ化するもんね……」
しかも共通の話題で、スムーズに盛り上がることができて。趣味に理解を示してくれるだけでも、男子としては好印象だ。
そしてリッカはオタ活ミユキに出てくるシーンと同じように、膝の上に乗せていた俺の手へ――小さく白い手を、そっと重ねてきた。
「っ……!」
彼女の手もまた、緊張によるものなのか、汗で湿っていた。
「『……貴方の手、大きいですね』」
漫画の中の台詞。俺も知っている。だから俺も、台詞で応えた。
「……きっ、『キミの手は、濡れているね』」
俺の肩に頭を乗せたまま、見つめ上げてきて。眼鏡の奥の綺麗な瞳が、見つめてくる。
小さく整った顔は恥ずかしさで赤くなっているが、それでもリッカは――意を決して、続きの台詞を口にした。
「これからもっと、濡れることになるわ」
その漫画の続きは――主人公のミユキは、片想いしていた職場のイケメンな先輩と、結ばれる。
そしてページをめくると、二人の唇が――。
「――ふぃ~、リッカぁー。次シャワー入って良いよ~」
「「オッヒョォォォオオオッ!!!」」
コーコがバスルームからタオル一枚の恰好で戻ってきて。顔同士がギリギリまで近付いていた俺とリッカは、それぞれ左右に飛び退く。
まるで、敵軍から撃ち込まれた砲弾が、塹壕に着弾した時の兵士みたいな動きだった。
「……何してんの?」
「なっ、何も! 何もしてないが!?」
「そそそ、そうでござる! ンンンッ、それでは拙者も湯浴みといたすか! 『下町温泉娘』、好評連載中!! あっいや今は休載しているんだった!」
誤魔化すようにリッカは素早く立ち上がり、バスルームへと駆け込んでいった。口調はすっかり、いつもの
そしてリッカと入れ替わるように近付いてくるコーコは、大きいバスタオル一枚を身体に巻いただけの状態で――俺へと
「……ふぅ~ん? そういう感じ? なら、アタシもワンチャンあるってことね?」
「どういう感じ!?」
「こういう感じ。えいっ」
俺はコーコは細い両腕によって肩を突き押され、背中からベッドに倒れ込む。
そして金髪ギャルな妹が、ベッドをギシリと鳴らしつつ乗り込んできて――四つん這いの体勢で、兄の身体へと覆い被さった。
俺を見下ろし、風呂上りの火照った顔で、小悪魔のように微笑んでから舌なめずりする。
「アタシ、今夜でケリを付けるつもりだから。覚悟してね? 兄貴」
オゥフ……。エロ同人で見たことある展開ですな……。
……誰か助けて!!
***
日曜日の高校。
休日ということもあって人の姿は皆無で、特に夜ともなれば、完全なる静寂が校舎を包み込む。
だが今日に限っては、人の姿があった。しかも、平日であろうと立ち入りが禁止されている屋上に。
夜風に白衣をなびかせ、月光に黒髪を照らされて。赤い眼鏡をかけた女教師――三年二組の担任『雛森真妃』は、赤い口紅を塗った唇に電子タバコを咥えながら、校舎屋上で星空を眺めていた。
そして白衣のポケットの中から、着信音が鳴り響いているスマホを取り出す。
通話に出ると小さな耳にスマホを押し当て、煙と共に言葉を吐き出す。
「――私だ。……あぁ。大体の報告は受けている。映像でも見ていたしな。『処理』はソッチに任せるよ。規定通り、尋問や評議会の承認は不要だ。それと『報告書』のセキュリティクリアランスを、レベル3から4に上げておけ。場合によっては、Aクラス職員の中でも更に審査しないといけないかもしれん。……まったく、誰の手引きで閲覧したのやら……」
その口調には疲れた色が滲んでおり、転落防止のための柵を見つめてから、再び星空へと視線を向けた。
「Orion部隊は柏木家の監視よりも、本来の任務である治安維持に力を注いだ方が良いんじゃないか? イレヴタニアとセブンスからも、正式な抗議が届いているしな。……そう言うな。彼女達はよくやっているよ。それに、計画はまだ始まったばかりだ」
通話の向こうで、太い声の男が何事かを呟いているが、赤い眼鏡の奥の瞳は揺るがない。
「あと、最後に……。いくら柏木新也が我々の希望だとはいえ、みんなジロジロ見すぎだと通達しておけ。彼の平穏な日常を守ることこそが、柏木陽菜の……あの無力だった少女が、たった一つ残した『願い』なのだから」
通話しながら、巨大な月が浮かぶ夜空を見上げて。
雛森真妃の表情は、遠い昔を懐かしんでいるかのようだった。
「『
そして通話を切ると、雛森真妃は屋上の柵に背を向け、校舎の中へと下りていく扉に向かう。
「やれやれ……。どいつもこいつも、好き勝手に動いて……。……『楽園』を追放された人間は、所詮この程度ということかな……」
その呟きは、誰の耳にも届くことはなく。
誰もいなくなった屋上を、月明かりだけが照らしていた。
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