第22話 爺のレコンギスタ

 出来事としては、僅か数秒だっただろう。

 だがその短い時間の中で、俺は三度も驚くことになる。 


 まず一つ。


 道路を横切り、車から鳴らされる高音クラクションをものともしない老人。

 浮浪者ホームレスそのものな恰好で、真っ赤に充血した瞳を爛々と輝かせ。

 口の端から泡を飛ばしながら、ゾンビのように両腕を伸ばし、白髪の高齢男性が迫ってきた。


 突然現れた見知らぬ爺さんに、俺は酷く動揺したが――。


「――下がれ!」


 二つ目の驚き。


 それは、ナンパしに来たはずのラッパー衣装な黒人が、俺や五子コーコ六花リッカを庇うように、前へと一歩出たことだ。

 太く黒い腕を広げ、焦りながらも明確な言葉で、後方へ下がるよう指示してくれた。


 チャラい見た目な白人とアジア系の二人も、さながら要人警護をするSPじみた動きで、前に出て自らの身体をバリケードにした。


「救世主さ――!」


 そして、三つ目の驚き。


 叫びながら迫ってくる老人の姿に、カフェテラスが騒然とする中。

 接客をしていた女性店員――コンビニでもバイトをしている声の可愛いお姉さん――が、老人へと向かっていったことだ。

 すらりとした長い脚で、カフェのテーブルを強く蹴り。勢いよく横移動スライドさせる。


 不意を突かれた老人は立ち止まることもできず、白く硬いテーブルに正面から衝突しぶつかり、「がぁあ!」とくぐもった声を上げながら体勢バランスを崩した。


 その隙を見逃さず、カフェの女性店員が駆けていく。

 老人の後方へと素早く回り、枯れた腕を掴み、関節と手首を捻り上げ、足をかけ、自身の体重をアスファルトの地面へと押し倒す。

 合気道の達人のような、鮮やかな私人逮捕。制圧に三秒もかかっていない。まさに、訓練された人間の動きだった。


「――何をする! 彼こそが、我々を『約束の地』へ導く……!」


 馬乗りになるお姉さんに対して、血走った眼を向け、老人は何か喚いている。

 高齢者とは思えない大声で叫んでいたが、「我らのレコンギ――!」と言いかけたところで。カフェ店員は頭に巻いていたバンダナを外し、それを猿轡の代わりにして老人の口を塞いだ。


「っぐ――! んぐぅああっ……!!」


「……他のお客様の、御迷惑となりますので」


 声の可愛いお姉さんは、冷たい瞳で老人を見下ろしながら、『それ以上の言葉』を封じた。


「な……」


 この数秒の間に、あまりにも色々なことが起き過ぎた。


 俺は、コーコやリッカを連れ去ろうとした黒人男性達への怒りや、恐怖や反省も忘れ、一連の逮捕劇を棒立ちで見守ることしかできなかった。


「……ご苦労。後は俺達が代わる」


 それまで明るい表情や口調を崩さなかった白人の男が、女性店員へと声をかける。その顔や声色に、軟派な雰囲気は一切なかった。

 黒人男性も協力し、履いていたズボンのベルトを外し、それをロープや手錠代わりにして、老人の両手首を縛りあげていく。……その動きも、手慣れていた。


 ふと、俺がアジア系のお兄さんに視線を向けると。

 彼は、ポケットの中へとをしまい直した。その動きが見えたんだ。

 黒くて硬そうなモノが、チラリと見えただけだが――もしかして、アレは……拳銃?


「……兄貴、大丈夫?」


「あ、あぁ……。お前達こそ、大丈夫か……?」


「拙者達は問題ないでござる。それより……もう、この場から離れましょうぞ」


 冷や汗を浮かべる俺へと、心配そうな表情を浮かべて駆け寄るコーコとリッカ。

 俺の腕を左右からそれぞれ掴む彼女達の手は、僅かに震えていた。



「――どいたどいた! 道を開けて! 目撃した人以外は、近付かないで!」


 そして。

 誰かが通報したのか、太った中年の警察官が、パトカーから降りて駆け付けてきた。……あの警官には、個人的にあまり良い思い出がない。

 俺達に声をかけてきた三人組は、捕縛した老人を警察へと引き渡しつつ、事情を説明するためか警察署へ向かうようだった。

 カフェの女性店員はというと、何事もなかったかのように店内へ戻っていく。


 そうして、混乱や恐怖が収束する中。

 俺はただ、連れていかれる老人を――未だ抵抗し、素直にパトカーには乗ろうとしないお爺さんを、見ていた。


 彼の背中を、その小さくボロボロな背中が車内パトカーに押し込まれて消えていく瞬間まで、俺は見つめ続けていた。




***




 思わぬトラブルに見舞われた俺達。気分を変えようと、駅近くのゲームセンターにやってきた。


 このゲーセンに来るのも1年5ヶ月ぶりだ。高校に入学した直後の放課後などは、よく金次郎キングと一緒に遊びに来ていた。……勉強もせず入り浸っていたから、赤点を取ったのもかもしれないけど。

 だが、たまの日曜日に、気晴らしに来る分には構わないだろう。……雛森先生からの課題は、未だ大量に残っているけれど。


 言い訳や謝罪は月曜日明日の自分に任せ、UFOキャッチャーでコーコの欲しがる人形ぬいぐるみをゲットしたり、リッカと一緒にリズムゲーに熱中していく。


 そして久々に、レーシングゲームで遊ぶことにした。


「――……キャー! 曲がんない曲がんない! てか、リッカ速くない!?」


「『イニシャルG』を熟読した拙者には、この程度のカーブなど生温い! 限界ギリギリを攻めさせてくれ! もっと熱くさせてくれよォ!」


 大型の筐体に座るリッカは人気漫画の台詞を叫びながら、ハンドルを切っていく。

 コーコはギアのシフトチェンジに失敗して失速し、そんな彼女の車とぶつかりそうになって、俺は急ブレーキを踏む。


 この筐体はマニュアル自動車の運転席を忠実に再現しており、レーシングゲーム用でありながら、「普通自動車免許の取得教習にも使えるレベル」と評判だった。

 世界中のあらゆる都市の道路や、同じ日本でありながら名前を聞いたこともない田舎の景色すら、忠実に再現している名作ゲーム。


 俺とコーコとリッカ、そしてCPUの四人対戦で、俺達が住んでいるこの町の道路マップを、高級スポーツカーで爆走していく。


「………………」


 父さんが車好きで、リッカが台詞を口にした自動車走り屋漫画を俺も読んでおり、車の種類や運転には昔から興味があった。

 誕生日が来たら高校卒業前に免許を取るつもりだったし、このゲームもキングと一緒に放課後やり込んでいたくらいだ。


 だが――今の俺は、ゲームに全く集中できていなかった。

 頭の中に思い浮かぶのは、先程の老人のことばかり。


(あの人は、何を言っていた? 『救世主』? ……俺が?)


 春の季節はが増えるからな……と、納得することはできる。


 しかし、あのお爺さんは、痴呆でも精神に疾患を抱えているでもなく、平常なままだった気がする。鬼気迫る形相ではあったけど。それでも――真剣だったと思う。


 カフェのお姉さんも変だ。咄嗟に対応して老人を制圧し客達を守り、凄くカッコ良かったけれど。……護身術ってレベルか?

 俺達に声をかけてきた外国人達は、ヘラヘラとナンパしていたのに、急に態度を変えて俺達を庇うような動きを見せた。


(……何かが、オカシイ)


 『妹が10人に増えている』という事態が既に異常だけど、そうじゃなく、もっと、何か――。


「あっ」


 そんな考え事をしながら、ゲームを操作していたせいか。

 俺が運転する車はアクセルを踏みすぎてしまっており、高速道路に乗る直前でスリップし、そのままインターチェンジに激突してしまった。

 先頭を走っていたのに、コーコやリッカ、それどころか大して強くないCPUが操作する車にすら追い抜かされ、四位で終わってしまった。


「ありゃりゃ。兄貴が負けるなんて珍し~。この手のレースゲーム、最強だったじゃん」


「弘法にも筆の誤りというやつですな……。……やはり、まだ先程の事を気にしておいでで?」


「い、いや、そういうわけじゃ……」


 本当は、その通りである。頭の中にこびりついて、離れない。


 けれどコーコやリッカ――それに他の妹達にも、言わない方が良いことなのかもしれないと思った。なんとなく、「そうするべきだ」と、俺の勘が告げていた。


 そして妙に低いテンションのまま、再試合もせず、ゲームセンターを出る。


 街の景色は夕暮れとなっており、駅前のカフェテラスは、数時間前の騒ぎなど、何事もなく穏やかな時間が流れていた。


 おかしな出来事ではあったけれど、大多数の人間からすれば無関心なトラブル。そんなものだろう。俺も、考えすぎる必要はないのかもしれない。


 そう思って、コーコが買った大量の服が入った紙袋や、加えて巨大なウサギのぬいぐるみも抱え、自宅の方に足先を向けると――。


「あー、もしもし一姫イツキ~? うん、兄貴も一緒。うん。……あのさ~。ウチら、帰るのちょっと遅くなるから。晩御飯は冷蔵庫にでも入れておいてー」


 装飾しデコりまくったスマホを耳に押し当てつつ、俺達の先を歩くコーコが通話していた。会話の内容からして、相手はどうやら『陽菜』達のまとめ役であるイツキのようだ。

 一体何を話しているのか。リッカに目線を向けるも、肩を竦めるだけ。彼女にも分からないらしい。


 そしてコーコはイツキとの通話を終了させると、夕焼けに反射する金髪をなびかせつつ、俺達の方へと振り向いた。


「じゃ、休めるところ行こっか」


「休める……」


「ところ……?」


 俺とリッカは疑問符を浮かべるが、「いーからいーから」とコーコに腕を引っ張られ、そのまま――自宅とは正反対な方向の、繁華街へと向かっていった。




***




 そろそろ暗くなる時間。

 居酒屋や怪しいお店が繁盛し始める時間帯なのか、にわかに賑わう繁華街を、コーコに連れられ。

 俺達三人は、とあるホテルへと入った。


 コーコが無人の受付を済ませ、エレベーターで上階を目指す。

 そして入室し、今日一日で買い込んだ荷物を、ベッド近くに適当に置いて。


「寒くない? あと、なんか飲みたかったら言ってねー」


 部屋に入ると、コーコは慣れた手つきでエアコンの設定を調整していく。


 俺とリッカは大きめのベッドの上にチョコンと腰かけ、まるで公園のベンチに座るかのように隣り合い、背筋を伸ばしたまま部屋の中を見回す。


「……なぁ、リッカ……」


 この部屋は、ビジネスホテルじゃない。それくらいは俺にも分かる。


「……兄者。ここって……」


 オタクなリッカも綺麗な姿勢でベッドに座ったまま、枕元に用意されている――ちょっと直接的には口に出せないアイテムを、眼鏡越しに凝視していた。


 日曜日もそろそろ終わる頃。

 服屋でもカフェでも、レーシングゲームが設置されているゲーセンでもなく、休日の最後に訪れた、この場所は。


 もしや、おそらく、いや、間違いなく――。



「「……ラブホテルでは!!?」」



 大丈夫!? アクセル踏みすぎじゃない!!?

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