第16話 ベッド上でおやすみ

 赤い傘を差すセブンスと対峙する、『Orion部隊』。


 そのうちの一人は、銃を構えたままガスマスク越しに、柏木家へと目線を向けた。

 視認しにくいが、屋根の上では防水シートを頭から被り、スナイパーライフルを構えている、イレヴタニアの姿が微かに見えた。防水シートは屋根と同じ色で、雨天ということもあり、見逃してしまうだろう。

 だがガスマスクの男は、彼女イレヴタニア照準器スコープを覗き、銃口を此方側自分達に向けているのを察知した。


 そして銃口から白煙が上がったのを目撃した瞬間――三人の男達とセブンスの間を割るように、一発の弾丸が道路へと撃ち込まれた。


 外したのではない。明確な、威嚇射撃だ。


「………………」


 


 先頭に立っていた男はそれを理解し、背後の二人へとハンドサインを送る。すると三人同時に、銃を下ろした。


 その姿を黙って見ていたセブンスは、流暢な英語で語り始める。


Did you guysアナタ達ったら、 forget the contract規約をお忘れかしら?」


 金髪の令嬢からの言葉に、男達もまた『母国語』で応えた。


「『……これが我々の任務だ』」


 するとセブンスは大げさな、芝居がかった口調の英語で驚いてみせる。


「まぁ! とんだ屁理屈ですわね。……『境界』の内側に入ってきていないとはいえ、あと一歩の距離ギリギリまで迫るだなんて。報告おチクリ申し上げますわよ?」


「『T5ティーファイブ』の決定に逆らっているわけじゃない。ただ……」


「チッ。面倒臭ぇな」


 セブンスと会話していた男の、左斜め後ろ。もう一人の隊員は、ガスマスクを乱暴に外し、その素顔を晒した。


 黒い肌と、茶色い瞳。アフリカ系の血を引く長身な男が雨の中、銃口ではなく鋭い眼光を突きつけ、強い口調で言葉を浴びせかける。


「全員が全員このに賛同しているわけじゃないってことだ。やるなら、さっさとやれよ」


「………………」


 屈強な体躯の黒人隊員から叱責されても、セブンスは無表情を崩さない。赤い傘をくるくると回し、つまらなそうに聞き流すだけ。


 そんな態度に、黒人の隊員と同じくイラつきを覚えながらも、右脇に立っていた通信士の男――最後のOrion隊員が、『忠告』を付け加えた。


「……この『箱庭』で、いつまでも生き続けられるわけじゃないんだ、我々は。評議会との決めた方針には従うが……。たった一人の平穏な日常のために、全人類の未来を閉ざす気か?」


「そこを突かれると痛いですわねぇ」


 ここへ来て、セブンスは降参したように溜息を吐いて、苦笑いを浮かべる。傘を持っていない方の手の平を彼らへ見せ、ヒラヒラ振った。


 しかしその手をピタリと止め、小さな拳を握る。睨んでくる男達を真っすぐに見つめ返し、真剣な表情と声で『答え』を出した。


「ですがワタクシは……ワタクシ達は、お兄様の幸福も、人類の未来も、両方守ってみせますわ」


「………………。……お前達、退くぞ」


 どこまでが彼女セブンスの本意か分からないが、これ以上の対話は無意味。

 そう判断した先頭リーダーの男は、この場からの撤退を選択した。


「了解です」


「クソが。無駄に濡れただけじゃねぇか。


 住宅地の曲がり角に停車させていた黒いワゴンの中へ、隊員達は銃や通信機を放り込んでいく。


 しかし車に乗り込む直前。撤収作業を見守っていたセブンスの方へと、リーダー格の男は再び目線を向けた。


「……我々は監視を続ける。それが任務だからだ。そしていざとなれば、武力行使も辞さない。それはお前達も、承知の上だろう」


「えぇ。ですがそうならないことを、お互い祈るばかりですわね」


 そして男達を乗せた黒い車は、走り去る。


 それを見届けたセブンスは踵を返し、傘を閉じて、雨粒を一身に受け止める。


「……Singing in the rain~……♪」


 うろ覚えな歌を口ずさみ、上機嫌にステップを踏みながら。


 『最愛のお兄様』がいる家へと、傘も差さずに帰っていった。




***




 すぐ近く――むしろ我が家の屋根の上で、パーン! と大きな音が鳴った。


 雷でも落ちたのだろうか?

 しかしカーテンの向こうの窓は光らないし、雨は降っているけど落雷の予報や注意報は、出ていなかったはずだ。


「きゃぁっ!」


 だが予想外の轟音だったのは、俺も三奈ミナにとっても同じことで――二人一緒のベッドで寝るミナは、突然の雷鳴に驚き、布団の中で抱きついてきた。


「123456! 123456!! 123456!!!」


 に当たる圧倒的な『感触』に、考えるよりも先に脊髄反射で6秒を数える。

 しかし「ぐにぃぃい……っ」と歪む、温かくて柔らかな弾力のある戦力ボリュームに、冷静になっても次の瞬間には煩悩が脳内を駆け巡る。


 せめてもの対策として、俺はミナに背中を向けて寝ていた。

 そして壁のシミや小さな傷を凝視し、コレを結んでオリオン座でも見出みいだせないかな~? と試行錯誤を繰り返し、気を紛らわせる。それだけに集中する。壁の一点だけを見つめ続け、精神統一していた。


 しかしそんな俺の態度が、ミナにはご不満だったようだ。


「……新也お兄さん。コッチを向いてくれても良いんですよ~?」


「その場合は俺の両眼を潰さないとならん」


「うふふ。失明したら、ワタシが一生お兄さんのお世話をしてあげますからね~」


「くっ、大天使……っ!!」


 冗談で紛らわせようとしたのに、それ以上の愛で包み込んでくる。


 二番手にして、やはり最大の強敵だ。

 だが逆を言えば、今夜ここを乗り切れば、以後どんな妹達が来ようとも、対処できる気がする……ッ!


「……でも、お世話されてばかりいたのは、本当はワタシの方ですよね~……」


「え……?」


 ふと。穏やかな口調の中に、ミナはどこか申し訳なさそうな色を含んだ。


 どうやってこの戦いを切り抜けるか、そればかり考えていた俺は思考を中断して、背中越しにミナの言葉へと耳を傾ける。


「昔……こんな風に、雷が鳴っていた夜の日……。怖くて怖くて、お兄さんにしがみついたことありますよね?」


「……? ……あぁ、俺が小三ぐらいの時?」


 思い出した。言われるまで完全に忘れていたが、小学校低学年の嵐の夜に、そんなこともあったな。


 引っ越し前の素朴な家で。普段は父さん、俺、母さん、陽菜という並び順で一家四人、同じ部屋で寝ていた。

 だが嵐が襲来した日の夜。けたたましい雷鳴に怯えきった陽菜が、俺の隣へと移動し抱き着いてきた。

 その頃はまだ互いに子供で、別に恥ずかしさやなんて存在していなかったし。


 お兄ちゃんとして、妹を守らないと。

 ただその一心で、両親から教わった言葉に忠実に従い、陽菜が眠るまで頭を撫でてやったんだ。実に懐かしい。


 ……俺が忘れていた情報すら、ミナこの子は把握しているのか。


「……あの時みたい、また撫でてくれますか?」


「い、いや、それは……!」


 抱き着いてくるミナが俺の背中へと、小さな額をぐりぐり押し付けてくる。


「……せっかくお兄さんと二人きりなんだから、良いじゃないですか~……」


「っ……!」


 ヤバイ。

 またしても、『妹』のギャップに負けそうになる。


 おっとり穏やかで料理上手で、母性を感じさせるミナ。

 性格は落ち着いていて、見た目も態度も大人びており、一姫イツキに続いて10人の中の副リーダー的なポジションだと思っていた。


 しかし雨の日の夜に、同じベッドで寝てみると。

 小さな子供のように甘えてくる姿に――俺の心臓は、激しく脈打ってくる。


「……ドキドキしてくれています? お兄さん」


「そっ、そういやさ! ドキドキといえば、今朝もビックリしたよ!」


 強引に話題を逸らす。


 ミナは「むー……」と不満そうだったが、とりあえずは話を聞いてくれるみたいだ。


「後ろを振り向いたら、ミナが包丁を持って立っているんだもんな! 一瞬、刺されるのかと驚いてさぁ……! ハハハ……!」


「うふふ、まさかぁ~。ワタシは八千枝ヤチエちゃんじゃないんですから~」


「えっヤチエは刺してくるの?」


 冗談を言い合っていたつもりが、聞き捨てならない言葉に、逆に落ち着いてしまう。

 真面目な表情と声色で「その話、もう少し詳しく聞かせて?」と振り向くと――。


「お兄さん」


 ベッドに横たわるミナが、穏やかな微笑みを浮かべ。俺の寝間着パジャマの裾を、ぎゅっと掴んできた。

 外で雨が降りしきる夜。薄暗い部屋の中、彼女の瞳は輝いていて。

 昔、雷に怯えて眠れない陽菜の頭を撫でてやった時――「ありがとう、お兄ちゃん。お兄ちゃんと一緒なら、陽菜は何も怖くないよ」と言ってくれた、あの日の妹と、同じ表情を浮かべていた。


「大好きですよ。ワタシは、新也お兄さんのことが。今も、昔も……この先も、ずっと」


「……ミ、ミナ……」


 そして俺は、ミナの頭を撫でようと――。




「ぶえっくしょーい!! ですわ!!!」




 家の外。玄関の方から、ドデカイくしゃみが聞こえてきた。


「はっくしょん! ですわ!! ぶえっくし!! ですわ!!! ……ヤッベ完全に風邪っぴきですわコレ!」


 姿は見えないが、誰のくしゃみなのかメチャメチャ分かりやすい。

 こんな雨の日に、どっか散歩にでも行っていたのか。セブンスあのアホの子は。


「……うふふ、セブンスちゃんったら~。ワタシ、ホットミルクでも作ってきてあげますね~。着替えとタオルも用意しないと~」


 そう言ってミナはベッドから下り、部屋を出て行こうとする。


 ただ、部屋を出て行く前、一度振り返ってから。優しさとを含んだ顔で、微笑みを向けてきた。


「新也お兄さんは先に寝ていてください。おやすみなさいね~」


「あ、あぁ。……おやすみ、ミナ」


 ……まさか、こんなパターンもあるとは。

 いやむしろ、これで良かったのかも。


 あと数分でもミナのおっぱいを押し付けられていたら、俺の理性と国境は崩れていたかもしれん。


 そして俺は、ミナの頭を撫でようとした、自分の手の平を見つめつつ――雨音を聞きながら、彼女の温もりが残るベッドの中で、眠りについた。

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